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APOLLON -灼熱の特務執行官-  作者: 双首蒼竜
FILE EX1 美しき咎人たち
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(3)罪の楔


 それは、もう三年前のことになる。

 アーシェリーのメモリーには、降りしきる雨の中で響き渡る慟哭が強く印象に残っている。

 いつものように任務を遂行すべくやってきたアルファの地で、彼女はひとつの罪を背負うことになった。

 人の幸せを奪い、その人生を狂わせる罪――特務執行官となった時に覚悟していたことであるが、彼女にとってそれを実感したのは、この時が初めてであった。

 今も色褪せるどころか、昨日のことのように思い出せる記憶である。



 当時、アルファ南部の街エルヴァンで起こっていた殺人事件の調査をしていく中、アーシェリーはロイス=ヴァレンタインという名の男に疑惑を抱いていた。

 彼は名うての弁護士であり、エルヴァンでも社会的信用のある人物だった。

 しかし、法に精通するがゆえに証拠を残さない手口も徹底しており、思うように捜査は進まなかった。

 ようやく確証を掴んだ頃には、すでに覚醒も時間の問題となっている状況だった。

 速やかにロイスを消し去るため、アーシェリーは一計を案じることにする。彼には婚約者がいたのだが、その名を借りて人気のない場所へおびき出そうとしたのだ。

 その婚約者の名こそ、アレクシア=ステイシスであった。



 実行当日の夜、街の埠頭には大雨が降っていた。

 打ち寄せる波濤とそれが重なり、嵐のような激しい音を立てている。視界も極めて悪く、遠目からでは誰とも判別できない状況であった。

 その中でアーシェリーはアレクシアに扮し、ターゲットの到着を待っていた。

 指定した時刻は零時――ロイスの平均的な帰宅時刻から割り出したものだ。

 ただ、実際に彼が姿を見せたのは、それから三分ほど経ってからのことだった。


「すまん、アレク……遅くなった」


 傘を差しながら走ってきた男は、大きく息を切らせていた。

 恐らくは仕事が立て込んだのだろう。さほど遅刻したわけでもないのだが、すまなそうに頭を下げるその姿に、アーシェリーは微かに笑みを漏らした。

 人の悪意に触れることも多い仕事に就いていながら、その人柄の良さが滲み出ていたからだ。


「こんな時間に呼び出してごめんなさい……」

「いいんだ。それよりもいったい、どうしたんだ? 急にこんな……」


 しかし、それが任務に影響することはない。

 どのような人物であろうとカオスレイダーに憑かれている以上は、敵である。

 近寄ってきたロイスに向け、アーシェリーは鋭い貫き手を繰り出す。

 音も立てずに男の胸板が貫かれ、雨の中に朱の液体が紛れて飛び散った。


「がっ!? ア、アレク……どう、シテ……?」


 瞳をわずかに紅く輝かせながら、ロイスは目の前の女を見つめる。

 婚約者の姿がかき消えるように変貌し、そこに現れたのは全身を返り血に染めた緑の髪の女であった。


「答えは単純ですよ。ロイス=ヴァレンタイン……あなたが、カオスレイダーだからです」

「ぐ……あ……ウアアァアァァァァアァァ!!」


 静かに告げたアーシェリーに対し、ロイスは絶叫を上げながら腕を振り上げる。

 その手は黒っぽく変色し、人間のものと思えない鋭い鉤爪が現れていた。


「最期のあがきですか……無駄なことです」


 しかし、振り下ろされる前にアーシェリーは、相手の腕を掴み取っていた。

 胸板に刺さった手を引き抜き、取った腕を捻るようにして投げ飛ばす。

 激しい音と共に頭から叩き落とされたロイスは、そのままこと切れて動かなくなった。


「任務、完了……」


 足下に横たわる男の遺骸を見つめながら、アーシェリーは静かに息をつく。

 覚醒前にすべてを終わらせることができたのは、僥倖であった。

 すでに犠牲となった人々は報われないが、更なる大きな被害を防ぐことはできた。任務の結果としては上々だろう。

 しかし、一息ついた彼女の耳に響いてきたのは、悲鳴にも似た女の声であった。


「ロイス!? ロイスッッ!!」


 その声にアーシェリーはハッとして顔を上げる。

 いつの間にか視界に、一人の女の姿があった。

 実際のところは初対面だが、データで何度も確認したその容姿を見間違えるはずもない。


(アレクシア=ステイシス!? なぜ、彼女がここに!?)


 それは、想定外の出来事であった。

 今回の計画を遂行するにあたり、彼女の行動パターンはすべてチェックしていたし、この日の予定も把握していた。

 アレクシアがここに現れる可能性は、ほぼゼロに等しかったはずなのだ。


「ロイス!! しっかりして!! お願い! 目を開けてぇ!!」


 駆け寄ってくる女の悲痛な叫びが、緑髪の特務執行官の心をかき乱す。

 普段は冷静なはずの彼女が、この時ばかりはなにも考えることができなくなっていた。

 気が付けば彼女は、アレクシアに背を向けて走り出していた。

 足下から大きな飛沫を上げながら、その身を濡らして全力で駆ける。


「あなた! 待ちなさいよ!! なぜ、ロイスを……うわあああぁあぁぁぁぁあぁぁぁぁ……!!」


 制止の声にも、彼女は振り向くことはなかった。

 自分が罪人になったかのような後ろめたい気持ちが、その心の中に湧き上がってきていた。

 これは任務だと必死に言い聞かせ、彼女はその気持ちを払拭しようとする。

 しかし直後、アーシェリーは呪いのように放たれたアレクシアの絶叫を聞くことになった。


「うああああぁぁぁぁあぁぁぁ……許さない! 殺す! 殺してやる!! 殺してやるううぅぅぅっっ……!!」


 その言葉は鋭い楔となって、彼女の心に打ち込まれた――。






 時は巻き戻り、オリンポスの本拠地である小惑星パンドラ。

 アーシェリーを見送ったルナルは、その後シュメイスから任務を譲った事情を聞いていた。


「じゃあ、そのアレクシアにとって、アーシェリーは恋人の仇ってことになるの?」


 銀の瞳に悲しみを滲ませ、ルナルは大きく息をつく。

 わかっていたことだが、実際に事情を聞くとやるせない気持ちになる。


「そういうことだな。ま、婚約者がカオスレイダーだった以上、仕方のないことではあるんだが……」


 語るシュメイスにしても、それは同様だったようだ。

 ただ、嘆息しつつもこちらは表情に動きは見えない。戦域情報管理官の彼としては、各案件ごとの個別事情に心を動かしていてはキリがないということだろう。


「でも不思議ね。なぜ、アレクシアはその待ち合わせ場所に来たのかしら?」

「さぁな。なにかしらの誤算があったってことは事実だが……詳しいところまではわからない」


 話の中で疑問点となった部分に答えにならない答えを返しながら、シュメイスは先を続ける。


「それからしばらくアレクシアは行方不明になったんだが、一年半ほど前に【スカーレット・ウインド】っていう通り名を名乗り、エルヴァンに戻ってきた。今じゃ裏でも指折りの実力を持つ始末屋らしい。アーシェリーに対する復讐の思いが皮肉にもその才能を開花させ、同時に彼女を狂わせた……」

「……辛い話ね。そしてまさか、彼女にもカオスレイダーの疑惑が降りかかるなんて……」


 想像したくもないというように身震いしながら、ルナルはつぶやく。

 仮に自分が同じ立場に立ったなら、やはり正気ではいられなかったろう。


「でも、そこまでわかっていながら、どうしてシュメイスは任務を譲ったのよ?」

「それがアーシェリーの望みだったからさ。万が一、アレクシアがカオスレイダーとなったなら……その始末は自分につけさせて欲しいってな」

「だからって……!」


 感情を昂らせて詰め寄ろうとする彼女を手で制しながら、シュメイスは静かに言い放つ。


「ルナル……俺たちは多かれ少なかれ、そういった罪を背負って生きてるはずだ。それにどう向き合うかは当人が決めることで、他人が口出しする話じゃない。少なくともお前の兄貴は、そこから逃げたりしないはずだ。違うか?」

「それは……そうだけど……」


 その言葉にルナルは、以前の事件後にソルドが語ったことを思い出す。


『もし仮にミュスカを守れていたとしても……あの場でアイダスを殺すことは避けられなかった。そうなれば私たちは彼女の平和な生活を奪った上で、恨みを買うことになっただろう。下手をすれば、彼女の人生すら狂わせてしまう可能性もあった』


 人物関係や状況こそ違えど、アーシェリーの背負った罪は、まさにそれなのだ。

 そしてシュメイスの言うように、そこから逃げる真似をしてはずっと苦悩を背負ったまま生きていくことになるだろう。

 どんな形であれ、結末は自身の手でつけなければならない。


「ま、アーシェリーを信じてやれよ。それにお前も任務中だろ? 人のことを考えてる余裕はないんじゃないのか?」

「なによ、もう……偉そうに!」


 これ以上話すことはないとばかりにシュメイスはルナルの肩を軽く叩いたあと、手をひらひらと振りながら歩き去っていった。

 その様子にルナルは再びむくれた表情を見せたものの、すぐにアーシェリーのことを思い返して視線を落とす。


(でも、アーシェリー……気を付けて。気にし過ぎてはダメよ……)


 かつて兄が語った続きの言葉を思い出しながら、彼女は不器用な仲間の無事を祈った。


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