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APOLLON -灼熱の特務執行官-  作者: 双首蒼竜
FILE EX1 美しき咎人たち
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(2)緋色の風


 地球の衛星軌道上を周回するアートサテライト・レジデンスのアルファ。

 そこは最も早く完成した人工衛星型のコロニーであり、ベータ同様に雑多な人種が住む人類居住圏の混沌とも呼ぶべき場所である。

 ただ、火星のテラフォーミングが完了して以降、経済的に裕福な人々はほとんどが移住してしまったため、現在は主に中流から下層の人々が住んでいる。それは治安の面でも劣悪な環境にあるということに他ならない。

 CKOの治安維持組織もそこまで大きな力を持っておらず、多くの人々は己の力で身を守るしかなかった。

 その中において非合法な職業が生まれることは必然であり、それを生業とする者たちが幅を利かせるのも当然の帰結と言えただろう。

 どれほどの時を重ね、住む場所を変えようとも、人という種族の持つ性質や業は変わらないのだろうか。





 宵闇の中をエアバイクが疾走する。

 街灯もない区画に、ヘッドライトの光だけが風の音と共に動いている。

 すでに人々は寝静まった時間であり、また元々居住区から大きく離れた場所だけに人の姿は一切なかった。

 やがてバイクは、広大な廃工場の敷地へと入っていく。

 ライトとスピードを同時に落としながら、やや入り組んだ道を駆け抜けると、一棟の倉庫の中に入り停止する。エアバイクの排気によって起きた風が、埃を巻き上げた。

 地に降り立ったのは、緋色のライダースーツに身を包んだ人物だ。肉感的なボディラインは、明らかに女性のものである。

 ヘルメットのバイザーを上げると、その人物は倉庫の奥にあった扉を開け、中へと入っていった。



 その部屋の中は、やや荒れた様相を呈していた。

 元々は事務所かなにかだったのだろう。端々には実務的な造りをした机や椅子が無造作に転がり、埃を被っている。

 中央にある大きめのソファには、枕と厚手の毛布が丸まった状態で置かれている。

 室内に照明らしきものはなく、壁際の卓上に置かれたコンピューターの端末から放たれる光が、唯一の光源となっていた。

 ライダースーツの人物はヘルメットを取って床に投げる。

 その下から現れたのは、緋色に染めた髪を肩近くまで伸ばした見目麗しき女性だった。

 女の名はアレクシア=ステイシス――裏社会では名の知られた始末屋の一人で【スカーレット・ウインド】の異名を持つ。

 彼女はスーツのジッパーを下ろすと、脱皮するかのようにそれを脱ぎ捨てる。

 電子の光に照らされて白磁の肌があらわになり、壁にグラマラスなシルエットが映し出された。

 端末前の椅子に掛けられていたガウンを羽織った彼女は、そのままこめかみを抑えて息をつくと、椅子に沈み込む。

 ややあって、端末から呼び出しの音が鳴った。


『よう、今回もお疲れさん』


 無造作に端末を操作したアレクシアの前に、一人の男の映像が浮かび上がる。

 やや小太りな中年の男で、鼻の頭についたイボが特徴的だ。人懐っこそうな笑顔を浮かべてはいるが、その瞳の奥には人を値踏みするような、油断のならない輝きがある。

 汚れ仕事の仲介人兼情報屋として名を馳せるその男は、女を見据えて言葉を続けた。


『依頼主からの報酬は、いつもの口座に振り込んでおく。あちらさんも涙を流していたよ……これでやっと親父の仇が討てたってな』


 その言葉に、アレクシアはこれといった反応も見せない。

 瞳に冷たい輝きを宿し、卓上に置かれた酒瓶の蓋を開ける。


「……別に感謝される謂われはないわ。やってることは、ただの人殺し……いつものことよ」

『あんたも、相変わらずだねぇ』


 小太りの男は、ため息交じりにつぶやく。

 そんな彼に目を向けることもなく、女は瓶の中の透明な液体をあおった。


「用はそれだけ? 事後報告なら、いらないわ……それとも、緑の髪の女の情報でも見つかった?」


 ただ、緑の髪の女という単語を口にした時だけ、瞳に暗い情念の炎が垣間見えた。

 それは傍から見れば一瞬のことであったが、男はそれを見逃していなかったようである。


『いや……それに関しては、相変わらず目ぼしい情報がなくてねぇ……』

「そう……凄腕の情報屋も当てにならないわね。噂だけが独り歩きしたって感じなのかしら?」

『こりゃまた、手厳しいことで……』


 愛想笑いを浮かべつつ、彼は鼻の頭を掻く。

 期待した自分がバカだったと言わんばかりに、アレクシアは大仰なため息をついた。


『ただ、あんたにとって重要な情報はあるぜ。あまり好ましくないものだけどな……』

「……好ましくない情報?」

『なんでも、あんたの偽者が現れたってことだ。【スカーレット・ウインド】の名を騙る殺人犯……一部で話題になり始めてる』


 しかし、そのあとに続けられた言葉は、彼女自身も予期しないものだった。

 酒瓶を置いた女の目が、鋭く細められる。

 

「確かに面白い話ではないわね……その情報、詳しく聞かせてもらっていいかしら?」

『いいでしょ。あんたにはいろいろ世話になってることだしねぇ……今回は特別サービスだ』


 男は少し口元を緩めながら、その内容を話し始めた。






 わずかに時を違え、アルファの南部にある都市エルヴァン。そこに存在する埠頭に、人知れず緑の光が降り立った。

 光は路上にて、一人の見目麗しき女の姿を形作る。

 その女――特務執行官【アテナ】ことアーシェリー=ウィズフォースは、どこか愁いを帯びた瞳で辺りを見渡した。


(また、この地に……こんな形で、来ることになるなんて……)


 打ち寄せる波濤の音が、彼女の心にもざわめきをもたらす。

 そのざわめきを静めるかのように一度、瞑目したあと、アーシェリーは手のひらを上に向けた。


「……オリンポス・セントラル、アクセス……アトロ、応答願います」


 その声に応じるかのように、手から光の渦が巻き上がった。

 ややあって暗闇の空間に、ポニーテールの少女の映像が浮かび上がる。


『お疲れ様です。アーシェリーさん……シュメイスさんから、任務移行の話は聞きましたよ』


 セントラルの電脳人格【アトロポス】は、耳障りの良いソプラノで言葉を発した。

 アーシェリーは静かに頷くと、やや沈んだトーンで話を促す。


「それで今回の件、詳細を聞かせてもらっても良いでしょうか?」

『はい。え~と、その付近一帯……正確には今、アーシェリーさんが立つ場所から半径十キロ圏内において、殺人事件が頻発しています。この二日で八件になりますね』


【アトロポス】は、やや小首を傾げつつも、情報を話し始める。

 同時に提示されたデータウインドウを見ながら、緑髪の特務執行官はその目を細めた。


「意外と多いですね……その容疑者となっているのが、【スカーレット・ウインド】ということですか?」

『その通りです。目撃者の証言に共通性があり、緋色のライダースーツを着た人物が現場を立ち去る姿を見たと言っています』

「そうですか……これが、カオスレイダー案件であるという確証は?」

『残念ながらありません。ただ、被害現場をスキャンしたところ、ごくわずかですがCW値の反応が見られました。カオスレイダーの関与を疑うには充分ではないかと……』

「なるほど。ただの殺人事件であるなら、CW値は観測されませんからね……」


 一通り聞き終えたアーシェリーは納得したように頷くも、表情は晴れないままだった。

 地の一点を呆然と見つめながら、彼女は口元に手を当てる。


(ただ、あまりにも犯行が雑過ぎる。カオスレイダーに寄生されていたとしても【スカーレット・ウインド】の異名を持つ彼女が、こんな足のつく行動をするでしょうか……?)


 カオスレイダー寄生者の殺人破壊行動は大半が衝動的とはいえ、元の人間の性格や知識、経験が関与しないわけではない。

 裏社会で名を馳せる始末屋であれば、証拠を残さずに人を殺害するなど容易いはずだ。にもかかわらず目撃者が複数存在し、その全員が同じ証言をしている。

 まるで何者かが【スカーレット・ウインド】に罪を着せようとしているように感じられるのだ。


『あの……アーシェリーさん、だいじょうぶですか?』


 しばしの間を置いて、おずおずと聞こえてきた【アトロポス】の声が、アーシェリーの意識を現実に引き戻す。

 心配そうな表情を見せる黒髪の少女に笑みを見せながら、彼女は静かに答えた。


「すみません、アトロ……気を遣わせてしまいました。私はだいじょうぶです。では、早速調査を開始します」

『了解しました。お気をつけて……』


【アトロポス】はまだなにか言いたげであったが、これ以上詮索すべきでないと判断したのだろう。いつもの穏やかな微笑みを意識的に作りながら、光の渦の中に消えていった。

 通信回線を開きながら考え事をしてしまったことに、アーシェリーは改めて自分らしくないと思いながら、宵闇の空を見上げた。


(……本当にあなたの仕業なのですか? アレクシア……だとしたら、私は……)


 そんな彼女の表情は、どこか泣き顔のようにも見えるものだった。


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