(19)放たれる激情
ジェラルド=バウアーの邸宅は、人工的に造られた小高い丘の上にあった。
周囲一キロ以内に他の邸宅は無く、植林に囲まれている。屋敷自体は頑強な塀に囲まれ、各所には防犯カメラが設置されている。また侵入者を探知して攻撃を加える対人用レーザーも備えられており、およそ自宅と呼ぶには過剰過ぎる警戒ぶりだった。
ただ、厳重な外面と裏腹に、中には四季折々の花が咲く見事な庭園が広がっていた。
自然石で組まれた池の中には地球由来の観賞魚も放されており、それらが訪れた人々の目を楽しませると共に、憩いの空間を形成していた。
ただし、それはあくまで平時の様相を表したものに過ぎない。
今、その広大な邸宅は原型を失いかねないほどに破壊されようとしていた。
防犯システムはすべて沈黙し、庭の木々も倒され、草花も容赦なく踏み荒らされていた。
屋敷は炎上を始めており、周囲には警護の者と思われる黒服の男たちが何名も息絶えて倒れている。
「フフフフフ……ハハハハハハハハ……!!」
その邸宅の庭で赤い輝きを見つめながら、一人の男が哄笑を上げていた。
瞳を炎と同色に染めたその男は、エンリケス=ラウドであった。
やがて彼の背後から、車の急ブレーキの音と共に、いくつもの足音が聞こえてくる。
「こ、これはどういうことだ!?」
辺りの惨状を見つめながら声を荒げたのは、この邸宅の持ち主であるジェラルド=バウアーその人である。
その声を聞いたエンリケスは笑いを止めると、ゆっくりと振り返った。
「これはジェラルド=バウアー殿、ご無沙汰しておりますな」
「エンリケス=ラウド! 貴様……なぜ、ここに!?」
ジェラルドは驚きに満ちた目で、目の前の相手を見つめる。
まるで幽霊でも見たかのような彼の態度に、エンリケスは嘲笑で答えた。
「おや……なにを驚いていらっしゃるのですかな? もしかして、私を殺したとでも思っていたのですかな?」
その言葉にジェラルドは息を呑む。
ここに来る前のリサからの報告では、確かにエンリケスを始末したとのことだった。
ただ、そのリサも今は意外そうな表情を見せている。
「私もあれから勉強しましてな……あなたのやり方は、だいぶ理解しましたよ。いやまったく、やり手となる政治家の手口は大したものですな」
「エンリケス……貴様、妻たちを……子供たちをどうした!?」
高揚した男の様子に訝しさを覚えるも、続けてジェラルドの口から放たれたのは、それとはまったく異なる感情のものだった。
その声は、普段の彼と思えないほどに震えている。
それを聞いたエンリケスはわざと首を傾げたりしたあと、思い出したかのような素振りで言葉を続けた。
「妻? 子供たち? ああ……もしかしてコレのことですかな?」
すると彼の横に緑色の体色の男が、突如として移動してきた。
目にも止まらぬ早さで現れたこともさることながら、その異質な姿にエンリケス以外の者たちは息を呑む。
しかし、真に驚くべきことが起こったのは、男が手にしていたものを前へ放り投げた時だった。
目の前に転がってきた複数の物体――真紅に彩られたそれらを見つめたジェラルドが、次の瞬間、凄まじい絶叫を放つ。
「うわああああぁぁぁぁあぁぁぁぁあああぁぁぁあああぁあぁあぁぁあああああぁぁぁああぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
それは、およそ人間のものと思えない声だった。
膝をつき、頭を抱えてうずくまった彼の耳に、宿敵だった男の哄笑が重なる。
「ハハハハハハハハハハハハ……良い叫びですな!! ジェラルド殿、実に良い!!」
周囲の人間たちが凄惨な光景に目を背ける中、エンリケスだけが愉快そうに笑っていた。
その様子は、まさに狂気じみたものを感じさせた。
だが、その狂気も、彼の内に秘めた激情という名の氷山の一角に過ぎなかったのである。
「貴様……貴様……! なぜだ!? なぜ、罪もない妻たちを手にかけた……!!」
「なぜ? 罪もない……だと?」
涙を流し、震える声で叫んだジェラルドに対し、彼の目が細められる。
笑い声が唐突に止み、屋敷の燃える音と風の音だけが、一時的に辺りを包んだ。
誰もが凍り付いたように動けぬ中、長い沈黙を経たエンリケスの口から次に飛び出したのは、嵐のような怒声だった。
「……ふざけたことをぬかすな!! 貴様に、そんなことを言う資格があると思うのかあああぁあああぁぁぁぁっっ!!!!!」
その瞳は、異質な輝き以上の鮮血の赤に彩られていた。
抑え込んでいた激情が、火山の噴火のように彼の口から突いて出る。
「貴様のせいで、私がどれほどの地獄を味わったと思う!? 貴様は政争のため、私や家族に濡れ衣を着せ、社会的に抹殺した!!」
エンリケスの中で、忌まわしき過去の記憶がマグマのように煮えたぎっていた。
そのマグマが、今まさに宿敵の前で音を立てて解き放たれようとしていた。
「私だけなら、まだよかったろう!! だが、苦しみの中で私との関係を断った妻たちにさえ、世間の風は冷たかった!! 犯罪者の元妻だと! 元子供だと蔑まれ! まともな職にも就けず彷徨うしかなかった!! その結果、二人がどうなったと思う!?」
因縁の相手を指差し、顔全体を紅潮させながらエンリケスは吼える。
彼の秘めていた激情の渦に、その場に立つ者たちはただ聞き入ることしかできなかった。
「生命を落としたのだ!! 妻は病死し、息子は世を呪って自殺した!! それを聞いた時の私の絶望がどれほどのものだったか……貴様にわかるか!?」
叫ぶエンリケスの目からは、涙が溢れていた。
そこには深い悲しみと同時に、苦悩の中で生命を失うことになった家族たちの無念の思いが感じられた。
「そんな貴様が、家族に会うために帰ってきただと!? 家族を愛しく思っているだと!? 笑わせるなっっ!! 貴様が家族愛を語るなど、傲慢もいいところ!! 独善もいいところだ!!」
噴き上がった激情のマグマは、怒涛の如くジェラルドに叩き付けられる。
そのボルテージは、今や最高潮に達しようとしていた。
「だから私は、貴様の家族を殺したのだ!! 貴様に私と同じ絶望を味あわせるためにな!! これは報復なのだ!! わかったか!! ジェラルド=バウアァアァァァァッッ!!!」
その言葉を最後に、エンリケスの叫びは終わりを告げた。
荒い息をつき、目の前の宿敵を見下ろす男の顔は激情を解き放ったことで、落ち着きを取り戻しているかのように見えた。
「おのれ……おのれ……!! エンリケス=ラウド……!!」
目の前に転がる家族の変わり果てた姿を見つめながら、ジェラルドは怨嗟の言葉を口にする。
エンリケスの言うように、彼の愛情はまさに独善だった。自身の家族を守るためなら、他者の家族がどうなろうと知ったことではなかった。
だが、その考えが皮肉にも、大切な家族の生命を奪うことに繋がってしまったのだ。それはまさに因果応報と呼ぶべきものだったろう。
しかし、当のジェラルドはそれを認めることもできないまま、沸き上がった怒りのままに叫び散らす。
「殺せ! この男を殺すのだ!! なんとしても!! この場で!!」
一部始終を見守っていた側近や警護の者たちはややあって我に返ったものの、どう動くべきかわからない様子だった。
そんな彼らよりも早く、行動を起こした者がいた。
激高するジェラルドにゆっくりと歩み寄ったリサは身を寄せると、その腕で相手の胸を真っ直ぐに突く。
なんの抵抗もなく滑り込むように、腕が男の身体を貫通した。
噴き上がった鮮血が、辺りを朱の色に染め上げる。
「がっ……リ……リサ……!? な、ぜ……!?」
驚愕に目を見開いたジェラルドに対し、リサはわずかに笑みを浮かべる。
彼女の瞳は、異常なまでの紅い輝きに満ちていた。
「残念ですわ。ジェラルド様……あなたの家族は、私がこの手で引き裂いてあげる予定でしたのに……」
本当に残念そうにつぶやいた彼女は、次いで槍のように変質した自分の腕を見つめる。
彼女の全身から黒い波動のようなものが迸り、それが周囲に拡散していった。
周りの人間たちはその異様な圧力に、再び呑まれていた。
「でも、アナタのカンじょう……スばらシイものデシタわ……! アナタにコレほどノオモイガカクサレテイタナンテ……ヨソウイジョウデシタワ」
リサの声は陶酔したような響きに変わりつつも、片言じみたものへ変化していく。
空いた手でジェラルドの身体を抱き締めながら、彼女はその人外じみた腕力で愛する男の身体を締め上げていく。
骨の砕けるバキバキという音が、その動きに続いた。
「デモ、コレデアナタハ、ワタシノモノ……ワタシダケノモノ……フフフフフ……アハハハハハハ……!!」
声にならぬ声をあげて、哀れにもジェラルド=バウアーは絶命する。
そんな愛しい男を見つめながら、リサはとうとう異形の化け物――カオスレイダーへと覚醒した。




