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APOLLON -灼熱の特務執行官-  作者: 双首蒼竜
FILE3 愛憎に狂い落ちて目覚めしもの
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(10)忌まわしき記憶


 夢を見ていた。

 それは在りし日の悪夢。

 すべてを失ったあの時までの記憶。



 ベータに降る冷たい雨。

 その日は、ひどく肌寒い日であった。


「君、だいじょうぶかね?」


 私用で街頭を歩いていた彼は、目の前に座り込んでいる女性に声をかけた。

 ひどく青い顔をした彼女を助け起こし、肩を貸した。

 それは善意だけの行動であり、下心などは無かった。

 なぜなら、彼には守るべき者が他にいたから。

 しかし、休息させるべくホテルに連れ込んだその行動が、命取りであった。


【エンリケス=ラウド氏、白昼の不倫疑惑】


 身に覚えのない記事が、世に出回った。

 そこから、歯車が狂いだした。


【エンリケス=ラウド氏、特定企業からの献金疑惑】

【ラウド氏の妻、薬物法違反の疑い】

【ラウド氏の長男、有名私立高入学に不正ありか?】

【ラウド氏の親族にインサイダー取引の疑い】

【特集:疑惑の一族――ラウド氏に政治家としての器はあるのか?】


 それまではフレンドリーな議員候補として、民衆の支持を集めていた。

 誰もが彼を励まし、支援してくれていたと感じた。

 しかし、一度失われた信頼は簡単には取り戻せなかった。

 次から次へと生まれてくる謂れのない疑惑が、負のスパイラルに拍車をかける。それは彼のみならず、彼の家族にまで及んだ。

 冤罪と騒ぎ立てても、やがて信じる者すらいなくなった。


「もう……あなたについていくことはできません」


 妻は精神的苦痛で痩せ衰え、入院生活を余儀なくされた。

 子供は引きこもりになり、人に会うことすらできなくなった。

 幸せだった家庭は崩壊し、彼は離婚せざるを得なくなった。


(なぜ、こんなことになった?)


 なにも間違ったことはしていないはずだった。

 しかし、世間はすでに彼の敵となっていた。


【エンリケス=ラウド氏、議員立候補取り下げ――当然の結末か】


 候補者でなくなった彼は、ただの無職に成り下がった。

 身の回りにいた支援者も、一人として残る者はいなかった。

 代わりに世間の期待を集めたのは、対立候補だったジェラルド=バウアー。

 他の候補者は有象無象であり、選挙を待つまでもなく、その当選は確実なものとなっていた。


 しかしある日、彼は知ってしまう。

 ある街での演説の中、ジェラルドの陰に潜んでいた一人の秘書の存在を。

 それは疑惑の発端となった事件の女――街角で助けたあの女性であった。


「こ、これはどういうことだ!?」


 彼は演説の終わったジェラルドに詰め寄ろうとした。

 しかし、当然のことながら、周囲の人間たちに取り押さえられた。


「これはラウド元候補ではありませんか。いけませんな。このような真似をされては……」

「だ、黙れ! もしや貴様が……貴様が、裏で糸を引いていたのか!?」

「さて、なんのことですかな? 身に覚えのないことを言われるのは心外ですな」


 冷たく鋭い視線が、彼に注がれた。

 その瞳の奥に、侮蔑の輝きがあったのは今でも忘れられない。


「あなたはもう、ただの一般人だ。素直に立ち去らないと、選挙妨害で保安局に通報することになりますよ?」

「お、おのれ! ジェラルド! ジェラルド=バウアー!!」

「まぁ、昔のよしみで今回は目を瞑りましょう。では、ごきげんよう。エンリケス=ラウド殿……貴殿の今後のご多幸を、お祈りいたします」


 そして地面にねじ伏せられたままの彼の耳に、最後に届いたのは嘲笑であった。





「ジェラルド=バウアアァァァァァッ!!」


 かっと目を見開いたエンリケスは、絶叫のような声を上げて飛び起きた。

 その顔には、滝のような汗が浮かんでいる。


「くそ……またしても、あの夢か……!」


 独房にも似た薄暗い個室で、彼はいまいましげに呟いた。

 息を整えつつベッドから降り、壁際の洗面台に向かう。

 水道から勢いよく出た水を叩きつけるように顔面に浴びせ、次いで喉を鳴らして渇きを潤した。


(いったい、何度見たことか……奴が生きている限り、私はずっとこの夢に苛まれ続けるのか)


 目の前の鏡を、厳しい表情で見据えるエンリケス。

 苦悩と苛立ちとを孕んだ瞳――その奥には、わずかながら情の輝きが灯っている。

 肌身離さず身につけているロケットを握り締めたあと、彼はその中に秘められていた映像データを空間に投影した。

 そこにあったのは、エンリケスと共に笑っている女性と子供の姿――今は失われた彼の家族の記録だった。


(敵を潰すためなら手段を選ばぬ外道……私一人だけが犠牲になるのなら、まだよかった。だが、まったく罪もない家族を苦しめたあの男を……私は絶対、許すわけにはいかん!!)


 拳を握り締め、彼がジェラルドへの憎しみを新たにしたその時、室内に設置された映像投影型の通信端末が鳴った。

 無造作に受信のキーを叩くと、宙に男の姿が浮かぶ。

 恐縮したような声が、それに続いた。


『お休み中のところ、失礼します。ラウド支部長』

「……構わん。なにかあったのか?」

『はっ……本部から通信が入っております。ラウド支部長に繋いでくれと』


 その言葉にエンリケスは、舌打ちする。

 恐らくは今回の襲撃失敗の件についてだろう。ある程度予想していたことではあるが、気分の良いものではない。

 彼が無愛想に繋げと命令すると、映像が切り替わり【SOUND ONLY】の文字が浮かんだ。


『失態だな。エンリケス……今回の件、どう申し開きをするつもりだ?』


 聞こえてきたのは、かなり低い男の声だった。

 抑揚に欠けていることからして、肉声でないのは確かだろう。聞く者に不快な印象を与える声だった。

 ただ、エンリケスは特に臆した様子もない。


「予期せぬ事態が重なった結果だ。次の作戦では、必ず奴を……」

『そういう問題ではない。今回の作戦で仕留め損なったことが、まずいと言っているのだ。ジェラルド=バウアーという男の影響力を、君は甘く見過ぎている』


 不気味な声は淡々と語る。

 感情の欠片も感じさせないものでありながら、その裏にはわずかないまいましさが垣間見えていた。


『確かに奴は政府の人間だ。だが、裏社会にもかなりのコネクションを持っている。我々の活動をある程度、黙認もしていた……あの男にとって【宵の明星】の存在は、自身がのし上がるための必要悪でもあるのだ。しかし、今回の件で奴が表立って敵対することになれば、我々の今後の行動にも大きな支障が出てくるだろう』

「しかし、だからといって……!」

『君の気持ちはわからんでもない。我々とていまいましい限りだ。だが、君もわかっているのではないかね? 奴の狡猾さ、そして無実の人間を有罪にしてしまえるほどの絶大な影響力を……』


 その言葉に、エンリケスは拳を握り締める。

 先刻見た悪夢がまた、彼の脳内でリフレインされていた。


『エンリケス……組織は君の私怨で動くものではない。これまでの功績に免じて、今回の失態は不問としよう。だが、ほとぼりが冷めるまでの間は謹慎したまえ。その間、ベータ第一支部の活動も凍結とする』


 謎の声は最後にそう告げると、返答を待つこともなく端末の接続を切った。

 室内に再び薄暗さが戻ると同時に、壁を叩く強烈な音が響いた。


(おのれ! 私は……私は、また奴に屈するのか? あのような人間の屑に……!)


 瞳にわずかな赤の輝きを宿しながら、エンリケスは歯噛みした。

 組織の思惑がどうであれ、今の彼にジェラルドを見逃すつもりは毛頭なかった。

 彼はすぐに端末を操作すると、先ほどの部下に命令を下す。


「……おい、至急アマンド・バイオテックに連絡を取れ」

「は? しかし……」

「この間のダイゴとかいう男を呼び出すのだ! 早くしろ!!」


 野獣のような声をあげた指揮官に、部下は慌てて頷く。

 再び端末の接続が切れると、エンリケスは壁際にかけてあった上着を羽織って部屋を出た。


(組織が使えぬのならば……ジェラルドを葬る手立てはまだある)


 無機質な通路に、荒々しくも規則正しい足音が響く。

 半ば狂気に支配されかけている彼ではあったが、その頭にはまだ若干の冷静さを残していた。


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