(8)襲撃の苦い幕引き
「これはどういうことだ!? 状況はどうなっている?」
同じ頃【宵の明星】の地下拠点では、エンリケスが血相を変えて喚き散らしていた。
「そ、それがどういうわけか、実行部隊との通信が途絶えてしまい……監視ドローンもコントロールを失っており、映像が送られてきません」
「宇宙港に配備されたドローンや警備ロボットはどうした!? ハッキングしたのではないのか!?」
「それがこちらも、まるで行動を見せないのです。プログラムが完全に初期化されているようで、一切のコントロールを受け付けず……」
「ええい! 役立たずめ!!」
部下たちの悲痛な声に、彼は机を殴りつける。
ここに至るまで様々な布石を打ち、実行に至った襲撃計画である。失敗しては【宵の明星】で確立した自分の立場も危うくなるだろう。
なにより彼自身、ジェラルドを決して許すことのできない理由があった。
(こうなっては仕方ない……背に腹は代えられん!)
エンリケスは、先日ダイゴから預かった男を使うことに決めた。
従来の計画で充分にジェラルドを抹殺できると踏んでいたため、ここまでその使用をためらってきたのだが、もはや手段を選んでいる余裕はないようだ。
(行け……化け物! ジェラルドを、ジェラルド=バウアーを殺せ! なんとしても……なんとしてもジェラルドを葬り去れ!! 奴をこの世に生かしておくな!!)
彼は強く念じる。そうするだけであの男が動くことを、彼は直感的にわかっていた。
放たれる凄まじい憎悪と共に、エンリケスの瞳が紅く輝く。
部下たちは訝しげに思ったものの、その鬼気迫る形相に言葉を差し挟むこともできなかった。
「ちくしょう! なんで見えねぇんだ!? いったいどうなって……ぐわっ!」
先刻、ミサイルを撃った襲撃部隊の男が焦燥の声を上げながら、銃撃を受けてよろめく。
ただ、その銃撃は警備側からのものではない。シャトルのランディングギアに身を潜めたゴードンの放った一撃だった。
彼の握ったハンドブラスターの閃光は、続けざまに男の身体を撃ち抜いていく。
鮮血の代わりに、黒いオイルが飛び散った。
恐らく男はサイボーグなのだろう。まともに戦えば、普通の人間では太刀打ちできない相手だ。
しかし、目も見えずセンサーも使えない今の状態ではどんな高性能なサイボーグでも、ただのでくの坊に過ぎない。
やがて全身をハチの巣にされた男は、各所から火花を上げて大地に倒れ伏した。
(これで厄介な連中はすべて消した。あとは警備の人間たちに任せれば充分だろう。それにしても、さすがはフィアネス様の電影幻霧だな……)
倒した相手を冷徹に見据えながら、ゴードンは襲撃の阻止を確信する。
彼一人では、ここまで都合良く事は運ばなかった。すべては周囲に漂う薄い霧――フィアネスの放った電影幻霧のおかげである。
任意対象を思うがままに幻惑するナノマシンの霧は、生体や機械を問わずに効果を発揮する。
ここにいるゴードンの姿も、今は誰の目にも見えていないはずだ。
(そろそろ潮時だな……恐らく襲撃部隊も、撤退を考えるはずだ)
ランディングギアから離れ、バンの場所まで戻ろうとしたゴードンだが、ふとその視界に奇妙な影を認める。
侵入口となったフェンス跡の辺りから、凄まじい勢いで何者かが走ってきた。
その影はゴードンの前を通り過ぎ、いまだ銃撃を続ける警備の者たちへと向かっていく。
(なんだ、あの異様な肌の男は……! 実行部隊にあんな奴はいなかったはず。それにあのスピードは人間ではない!? いかん!!)
目の前を過ぎる瞬間、その者の肌が鮮やかな緑色をしていたことにゴードンは驚愕したが、それ以上に異常な速度で駆けていく姿に強い危機感を覚えていた。
彼は謎の男を追おうとしたものの、激しさを増す銃撃の嵐に足を止めざるを得なかった。
同じ頃、フィアネスもまた異変を察知していた。
ゴードン同様に襲撃の阻止を確信していた彼女もまた、突如現れた謎の存在に驚きを隠せなかった。
(なんですの、あの影は!? 私の霧の中を迷いもなく進むなんて……!)
彼女は電影幻霧の効果を緑の肌の男にも適用していたが、彼はまったくひるんだ様子も見せない。
視覚そのものを封じられても動きに違和感がないのは、男が視覚に頼っていないことの証左であった。
高い幻惑効果を持つ電影幻霧にも欠点はある。それは【機械を除く生体に対し、視覚情報以外の幻惑が不可能】なことだ。
犬などに代表される超嗅覚の動物や、蝙蝠のように音波を発して飛翔する生物には、そもそも効果がないのである。
謎の男は恐らく、視覚以外の感覚が異常に発達しているのだろう。獲物を狙う野生動物のように、彼は迷いなくジェラルドに向かっていた。
(いけませんわ! あのままではバウアー議員に危害が……え? あちらから来る影は、まさか……ソルドですの?)
その時、フィアネスの視界は別方向からやってくる赤い影を捉えていた。
その影は彼女が良く見知った存在――同じ特務執行官のソルド=レイフォースであった。
(どういうことなのでしょう? ですが、ここでじっとしているわけにはいきませんわ!)
いきなり現れたふたつの存在に、さしものフィアネスも動揺したが、すぐに管制塔から飛び降りると銀色の閃光となって宙を飛んだ。
ラウンジを飛び出したソルドは、襲撃現場の前で一度足を止めていた。
その姿はいつもの彼に戻っている。金の瞳を煌めかせ、彼は漂う霧の正体を確かめて眉をひそめた。
(やはりこれは、電影幻霧だったか。電子の目すら欺くナノマシンの霧……いったい、どういうことだ?)
その時、彼の目にも銃撃の中を突き進んでいる一人の男の姿が映った。
その異様な体色もさることながら、ソルドのメモリーには男の人相データも残されていた。
(あの男……あれは以前にミュスカを拉致した男だ! それにあの肌の色は……SPSなのか!?)
かつてミュスカを救出した際に叩きのめしたオールバック――その男がアイダスの残した忌まわしき研究の化け物となって、再び姿を現したのだ。
その化け物は、ただ一直線にジェラルドのいる方向へ足を進めている。
(ジェラルドを狙っている? だが、なぜだ!?)
凄まじい弾丸やビームの嵐が、男の身体を穿っていく。
しかし、SPSの化け物に生半可な攻撃は通用しない。ましてビーム兵器などは、かえって力を与えるだけだ。
事実、受けたダメージを上回る速度で回復していく男の前に、黒服や警備の者たちは狼狽していた。
(迷っている暇はない。今は奴を止める!)
はっきりしない点も含め、状況は複雑であったが、ソルドはひとまず因縁の相手を止めることに決めた。
突如現れた謎の男の存在は、ボリスたち警備の者にとっても脅威であった。
細切れになるのではないかと思われるぐらい激しい銃撃を加えるものの、相手はまったくひるむ様子も見せないのである。
距離を詰められた警備員たちは、男の振るう腕によって死体へと変わっていく。
ある者は爪で内臓をえぐられ、またある者は上半身そのものを吹き飛ばされる。
剛力と鋭さとを併せ持った攻撃の前には、人間の身体などスポンジも同然であった。
「な、なんだこいつは! うわあぁぁぁぁああぁ!!」
「議員、早くお逃げ下さい! ぐわあぁぁぁぁぁ!!」
警備員たちもさることながら、被害は特別保安局の黒服にまで及んでいた。
ボリスたちはジェラルドを守って後退しながら、ただひたすらに銃撃を加え続ける。
しかし、状況は好転するどころか悪化するばかりだ。
(なんなんだこの化け物は!? 銃撃が効かないどころか、傷がすぐに治るだと!?)
さすがのボリスも化け物の相手はしたことがないだけに、焦燥を隠せなかった。
一人また一人と倒される部下の姿に、彼はかつてカオスレイダー化したジョニーを前にした時に感じた恐怖を思い出す。
しかし、蘇ってきた忌まわしい記憶が逆に、彼にひとつの決断をさせていた。
(……こうなったらしょうがねぇな。まだテストもしてねぇ代物だが、やるしかねぇ!)
鋭い眼光をみなぎらせながら内心でつぶやくと、彼は右腕に巻かれた包帯を解こうとした。
しかしその瞬間、彼の目の前に見知った男の姿が割り込んでくる。
赤い髪を持つ青年――それはボリスにとって、忘れようもない後ろ姿であった。
「ここから退け! ボリス=ベッカー!」
「て、てめぇは! ソルド=レイフォース!!」
「こいつは私が引き受ける! お前はジェラルドを守れ!!」
雷鳴のような声を放ち、ソルドはボリスに呼び掛ける。
驚愕に目を見開きつつも、ボリスは忌々しさと憎しみとを込めた視線をぶつけた。
「ちっ! まさか、てめぇに助けられるとは……俺もヤキが回ったぜ!!」
しかし、今は私情に振り回される時ではないと判断したようだ。
ジェラルドや残された部下たちと走り出した彼の目に、ゲートから走ってきた送迎車が映る。
わずかな光明がその瞬間、差し込んだように感じられた。
「さて……ここから先へは行かせんぞ。貴様の存在はカオスレイダーと同じくらい危険だからな」
ボリスらを見送ることもなく、ソルドはかつてのオールバックと対峙する。
化け物となった彼はそこで初めて前に進むことを止め、ソルドの姿を見つめていた。
「キ……キ、サ、マハ……!」
電影幻霧の影響下にありながら、男はソルドのことを認識しているようだった。
その表情が、驚愕から怒りへと移り変わっていく。
空気を震わせるような絶叫が次の瞬間、響き渡った。
「グウアアアアアァァアァアァ!! コロス! コロス!! キサマヲ、コノテデ、コロシテヤル!!」
初めて明確な意思をあらわにした元オールバックは、ソルドに向けてその剛腕を容赦なく振るった。
「早いな。だが、この程度の動きなら……む?」
「シネエェェェェェェ!!!」
余裕をもってかわすソルドに向けて、オールバックの攻撃は連続で続く。
その動きは特務執行官を上回るものではなかったものの、凄まじい殺意を感じさせるものだった。
(この男……ゾンビではなく生きているのか。だが、自意識はほぼ無いに等しい。今、この男を動かしているのは私に対する憎しみ、なのか……)
相手の攻撃の中に混じる透明な液体に、ソルドは気付いていた。
それは目の前の男が流す涙だった。
どのような経緯があって、今の姿になったのかはわからない。
だが、その過程にソルドの存在が強くあったことは事実のようだ。
(カオスレイダーではない者を殺す、か……本来なら許されることではないだろう。だが、この男を止めるには……もはやそれしかないようだ)
相手の憎悪を受け止める中で、ソルドは静かに決意を固める。
何度目かになる剛腕をかわそうとしたその時、オールバックの動きが急に止まった。
「ソルド! 今ですわ!」
突如響いたその声に、ソルドは視線を移す。
天空から降り立った少女が、男の全身を一瞬で氷漬けにしたのである。
「フィアネス? なぜ……いや、わかった!」
わずかな驚きののち、ソルドは頷いた。
そして、渾身の力を持ってオールバックへ拳撃を加える。
男の身体が氷ごとひび割れ、そして儚く砕け散った。
「……ひとまず終わったか……」
粉々になったオールバックを含む氷片が、辺り一面に降り注ぐ。
その様子に目を伏せながら、ソルドは己の拳を見つめていた。
わずかな間の出来事とはいえ、苦い後味を残す戦いだったと彼は思う。
ただ、感傷に浸っているほどの余裕も、今はないようだ。
「ソルド、なぜあなたがここにいるんですの?」
「それはこっちが聞きたい。だが、場所を変えたほうがいいようだな」
下から覗き込むように声をかけてきたフィアネスに答え、彼は視線を元に戻した。
その先には、走り去っていく黒塗りの送迎車が見えていた。




