(5)同類同士の取引
ベータには、かつて地球からの移住の際に開発され、その後手つかずとなってしまった廃棄区画が多く存在する。
そのほとんどは人も寄り付かない廃墟と化していたが、中にはそこを逆手にとって不法な活動に利用する者たちもいた。【宵の明星】もまた、そういった区画に多く拠を構えていた。
その内のひとつ――フィアネスたちが密会していた場所からそう離れていない一角に、旧地下街への入口となっていた階段がある。
そこは一見、周囲の風景と同様に寂れた印象であったが、周りには目立たぬように階段を監視する人間たちが潜んでおり、同時に隠しカメラがそこかしこで稼働していた。
やがて、黒塗りの車が大通りの向こうから姿を現す。
このような場所に似つかわしくない外装をしたその車は、地下入口付近でゆっくりと動きを止めた。
ドアを開けて二人の男が、地に降り立つ。
一人は黒髪を固めた精悍な顔つきの男――アマンド・バイオテックのダイゴ=オザキだ。
そしてもう一人は、全身を包帯に包んだ正体不明の大柄な男であった。
階段のほうへと歩き始めた彼らだが、その瞬間二人を囲むように、数名の男たちが物陰から飛び出した。
「止まれ。貴様らは何者だ?」
「私たちはアマンド・バイオテックの者です。すでに面会のお話は通っていたかと思いますが?」
「そうか……話は聞いている。こちらだ。案内しよう」
誰何の声にダイゴが静かに答えると、男の一人は彼らを先導するように地下の入口へと入っていった。
男に続いて、ダイゴたちも階段を降りていく。
その後ろ姿を見送る男たちの中に、一人の巨漢の姿があった。
巨漢――支援捜査官のゴードン=ウェストは険しい表情をその顔に浮かべながら、内心でつぶやいた。
(あれが、アマンド・バイオテックの役員か……ずいぶん不穏な空気を纏った男だ)
地下街もまた、ひどく荒廃した有様だった。
ただ、地上ほど劣化が進んでいるわけではなく、原型を留めているものも多い。
かつて賑わったであろうカフェやアパレルの店舗などには、当時使っていた調度などがそのまま残されていた。
迷路のように入り組んだ地下街の中を、男たちは進んでいく。
いくつもの角を曲がり、時折階段を昇り降りして辿り着いたのは、こじんまりとしたドアの前だった。
地下街の事務所として使われていたものだろう。案内の男が壁脇のパネルに手をかざすと、鈍い音を立ててドアがスライドした。
中には数名の男たちが、剣呑な空気を漂わせながらたたずんでいた。
銃を構え、警戒心もあらわに来訪者を見つめていた彼らは、案内の男と言葉を交わすと部屋の奥を指し示した。
そこには更にドアがあり、脇に二名の男が立っている。
彼らはダイゴたちがやってくると同時に、認証を解いてドアロックを解除した。
ドアの奥は、数メートル四方の部屋となっていた。
周囲には数台のコンピューターが乱雑に並び、わずかな光を放っている。
部屋の奥には事務机がひとつ置かれており、そこに一人の男が護衛を二人ほど従えて座っていた。
白髪を無造作に撫でつけた男だ。歳は五十代といったところだろうか。
極めて鋭い目つきの中に、わずか狂気めいた光が垣間見えていた。
「お初にお目にかかります。私はアマンド・バイオテック・コーポレーションで情報統括役員をしているダイゴ=オザキと申します」
「【宵の明星】のエンリケスだ。今はこの第一支部の指揮官をやっている」
その白髪の男――エンリケス=ラウドは、深々とお辞儀をしたダイゴに向けて抑揚のない声で告げた。
相手への興味など微塵もなく、ただ迷惑そうな表情をしている。
「この度は急なお話に応じて頂き、感謝しております」
「つまらん御託はいい……我らはいろいろと忙しいのでな。お前たちの言う取引とやらの話をさっさと進めてもらおう」
「手厳しいですね。ですが、今回のお話はこの度の襲撃計画にも役立つものです。きっと気に入ることかと思いますが……」
「……待て。貴様、なぜ我らの計画のことを知っている?」
意に介することもなく話を続けたダイゴだが、襲撃計画という言葉が出たところで初めてエンリケスの顔色が変わった。
脇の護衛たちも色めき立つが、ダイゴは取り乱す様子もない。
「私の仕事は、会社にとっての利益不利益となる情報を集め精査することでね。あなた方の情報もすべてとは言いませんが、把握しておりますよ。かつての上院議員候補……エンリケス=ラウド殿」
「貴様……!」
「まぁ、そう興奮なさらずに……あなた方も資金の後ろ盾を無くすつもりはないのでしょう?」
拳を握り締めて立ち上がったエンリケスを制するように、ダイゴは両手を前にかざした。
ややあって再び椅子に座り込んだ白髪の男は、努めて低い声で告げる。
「それで? 貴様の言う取引とはなんだ……?」
「簡単なことです。今回の計画に、この男を参加させて欲しいのですよ」
そう言うとダイゴは、脇に立つ包帯の男を指し示す。
同時に包帯の男が、頭に巻かれていた包帯を素早い手つきで取り外した。
次の瞬間、エンリケスらの表情が驚愕に変わる。
そこに現れたのは、鮮やかな緑色に染まった男の顔だった。
オールバックの髪をした彼は、先日ダイゴより戦力外通告を受けたあの男だった。
ただ、その顔にはなんの表情も浮かんでいない。まるで人形のようである。
「この男はいったい……!?」
「超細胞SPSを投与した強化兵士……その試作型です。まずは試してみましょう。この男をその銃で撃ってもらえますか」
ダイゴは護衛の一人にそう告げる。
わずか動揺する護衛の男だったが、エンリケスが頷くと、構えていた小銃をオールバックに向けて発砲した。
銃声が一発だけ鳴り、緑色の頭に風穴が空くも、その穴は数秒後に塞がってしまう。
「これは……!」
「それだけではありませんよ」
そう言うとダイゴは、指を鳴らす。
瞬間、それまで棒立ちだったオールバックが目にも止まらぬ動きを見せ、護衛二人の背後に回り込む。
そのまま連続で繰り出された手刀が、護衛たちをあっけなく昏倒させた。
ほぼ一瞬で不利な状況に追い込まれたエンリケスは、色めき立ったようにダイゴを見つめる。
「貴様!」
「どうでしょう? この通り、極めて有能な兵士です。我々はこれを製品化するつもりですが、まだ実戦でのデータが揃っていない。そこで今回の計画で試験運用をして頂きたいのです」
しかし、ダイゴはあくまで飄々としていた。
元よりエンリケスに危害を加えるつもりはないのだから、当然だろう。
これがあくまで取引であることを思い出し、白髪の男もまた気を静めるように座り直した。
「確かに凄いものだが、この男が我らに牙を剥かんという保証はあるのか? 制御できない兵器など危険物も同じだぞ?」
「ああ、そこはご心配なく……この男があなたに逆らうことは決してない。そう……エンリケス殿、あなたに対してはね」
「なに……うぐっ!」
その瞬間、エンリケスは頭に焼け付くような痛みを感じた。
殴られたというようなものでなく、内側からくる痛みだ。しかし頭痛としては、あまりに強過ぎる。
机に突っ伏し頭を押さえた彼を見つめるダイゴの瞳には、わずかばかりの赤い輝きがあった。
やがて痛みが治まったのか、白髪の男は顔を上げる。
その瞳にも、ダイゴと同様の赤い輝きが宿っていた。
「き、貴様……! なにをした……!」
「なにもしておりません。ですが、お分かりになったでしょう? 私とあなたは味方同士……いえ、同類だ。断る理由など無いはずです」
その言葉にエンリケスは理性で納得することはできなかったが、本能的、直感的な部分では違っていた。
同類――そこに込められた意味は二人だけが密かに抱える共通項にこそあり、余人には理解できなかったことだろう。
幸い今は彼ら以外、意思を持って立つ人間はいない。
エンリケスはダイゴを見据え、静かな声で告げた。
「……いいだろう。では、遠慮なく使わせてもらうことにする」
「感謝しますよ。エンリケス殿……では、私はこれにて。計画の成功を祈っております……」
笑みを浮かべて一礼するとダイゴはただ一人、その部屋をあとにした。




