(13)折れない心
狂喜と闘志とが、再び激しくぶつかり合う。
放たれたパイルの一撃が、重苦しい衝撃音と共に【イアペトス】の身体を穿つ。
同時に漆黒の拳が、ロウガのみぞおちに食い込んだ。
「ごはっ!」
共に後退りながらも、血を吐き出したのはロウガのほうだ。
【イアペトス】の黒き魔体は一時的にこそダメージを受けるが、すぐに元の姿へと戻ってしまう。
「やはり力不足だな。【アレス】よ……我が本領、侮ってもらっては困る」
「ぬか、してろ……!」
荒い息をつきつつ敵を見据えるロウガは、思考を巡らす。
(時間にして〇.五六秒……)
再度、パイルバンカーの杭を引っ込め、彼は立ち向かう。
ダメージは目に見えて大きそうだが、その動きはいまだ精彩を欠いていない。
雄叫びと共に放たれた一撃が、改めて【イアペトス】を打つ。
「凝りぬ奴よ!」
魔人は返しの拳を放った。
身を穿つほどの衝撃を正面から耐え、それをロウガにヒットさせる。
吹き飛ばされる敵を一瞥し、再生される傷口を見やりながら、【イアペトス】は気付いたようにその目を歪めた。
(ふん……寸分違わぬ位置に打ち込んできたか……)
ロウガの狙いは当然、彼の核だ。その攻撃は極めて正確であり、一ミリの誤差もなかった。
水滴が岩を穿つように集中攻撃を叩き込まれれば、いずれ突き抜かれるかも知れない。普通ならもう少し慎重になっていただろう。
しかし、彼にとっては愉悦のほうが勝っている。今ここにいる敵との戦い以上に、滾るものはなかった。
(だが、無駄なことよ。そのような小手先の技や考えでどうにかなるものではない……)
なにより、その方法が無意味なことを【イアペトス】は知っていた。
彼の再生能力は自身の意思と関わりなく一定に機能するものであり、再生速度が変わったり、再生箇所が強化もしくは劣化することもない。
つまり、ロウガの攻撃は何度繰り返そうと同じ結果しか生まないのである。
(もっとも、秩序の光本来の力を発揮できぬ身では止む無しか。よくやったと褒めてはやるがな!)
なおも愚直に同じ攻撃を仕掛けてきたロウガに対し、【イアペトス】は雄叫びと共に更なる一撃を叩き込む。
メルトメイアは、自らが作り出した塹壕に身を潜めていた。
荒れ狂う破壊の暴風から身を守るため、そして【イアペトス】の知覚から逃れるため――。
耳を塞いですら聞こえてくる怒号や苦鳴も、今の彼女の行動を変えることはない。
しかし、それは逃げではない。
むしろ心を削られるような光景を目の当たりにし続けることは、もうひとつの戦いであった。
(ロウガ……)
想い人の激闘を見ながら、彼女は自身の心と戦い続ける。
役立たずの身であっても、加勢したい気持ちが逸る。
それでも今、動いてはならない。男がどれだけ傷つこうと、あるいは死に瀕しようとも動いてはならない。
すべては、【イアペトス】を倒すために――。
(無理はしないで。死なないで下さい……!)
祈るように彼女は心でつぶやき、ただ静かに集中する。
その身に残された力を収束し続ける――。
謎の構造物へ吸い込まれるように入った船は、異質な空間の中にあった。
全体が煌めく金属で構成された広大な空間は、人の世界にない幻想的な輝きに満ちている。
進入する直前まであったはずの海水も今はなく、あくまで船体そのものが迎え入れられたという感じであった。
誰もが言葉を発することが出来ずにいる中、船は静かに着底する。同時に船自体の機能が制限されていた。
「エンジンが完全に停止しました。外部ハッチが開放されます」
「どういうことだ?」
「わかりません。こちらからのコントロールも受け付けなくなっています……!」
動揺を隠せない乗組員たちを見つめ、ダージリンはため息をつく。
彼らに与えられた情報がどの程度のものだったかはわからないが、あまりにお粗末な反応と言えただろう。
「……あなたたちの主様とやらは、隠し事が好きなようね」
「貴様! 我らが主を愚弄するか!」
「別にそういうつもりはないわ。けど、あなたたちは宝探しに来たのでしょう? だったら、降りればいい……それとも、そのつもりじゃなかったのかしら?」
ダージリンの放った言葉に、乗組員たちは閉口する。
確かに目的の遺産がいかなるものかは、彼らも知らされていない。ここまでの道程があまりに順調過ぎたため忘れていたが、危険を伴う探索になることは想定できていた。
だからこそ、SPS強化兵――ダージリンの同行も求めたのである。
「……総員、下艦するぞ。防護スーツを着用後、探索班と防衛班に分かれて行動する」
ややあって、艦長が命令を下す。
そこには先程までの動揺は見られず、乗組員たちも淡々と準備を進め始める。
しかし、その様子を見つめる黒髪の女の表情は、険しさを増していた。
(妄信に囚われ、自らの意思で動くことも忘れるなど、赤子と同じ……いや、それ以下かしらね)
「ぐあっ!」
もう何度目かになる激突のあと、ロウガは血反吐を吐いて倒れた。
A.C.Eモードが解除され、人の姿に戻った彼は歯を食いしばりながら、その身を起こす。
流れ落ちるおびただしい血と、震える腕と膝、その様子が満身創痍ぶりを物語る。
「どうやらここまでのようだな……」
【イアペトス】が、超然と立ちながら言う。
漆黒の魔体は現れた時と同様の姿を保ち、その様子からやはりダメージは感じられなかった。
「貴様がどれほど攻撃を繰り出そうと、結果は変わらん。諦めて我に屈するがいい」
彼の声音には、傲慢さと同時に諭すような響きが混じっている。
そこにはすでに勝利を確信した者としての余裕が感じられる。
実際、この場を目の当たりにすれば、誰もが勝敗の行く末は変わらないと見るだろう。
「確かに……てめぇの力は、認めて、やるよ……」
それでも、ロウガは諦めていなかった。
立ち上がり、唯一右腕に残されているパイルバンカーを掲げてみせる。
「だがな……それでも勝ったと思われちゃ、たまらねぇ……」
「まだやるつもりか? 往生際の悪い奴よ」
「あいにく、それが性分なんでな……」
もはや残された力はわずかとも言える中で、ロウガは笑った。
それは、勝負を捨てた者が見せる笑みではなかった。
「それにな。【イアペトス】……戦いは、力の強い奴が勝つとは限らねぇ」
「なに……?」
「どれだけ窮地に陥ろうが、どれだけ無力さを感じようが、折れねぇ心……その心が勝ちを呼び込むのさ!」
【イアペトス】の目が、わずかに歪む。
この期に及んで、この男はなにを言っているのかと思う。力こそがすべて――現に今、ロウガは敗北必至の状況にある。
しかし、ただの負け惜しみにしては、不気味さを感じさせる一言だった。それがまた【イアペトス】の心を苛立たせた。
「終わりにしようじゃねぇか……てめぇが勝ちだって言うんなら、今度こそ俺を、打ち砕いてみやがれ……!」
「……人の姿となったその身で、我の拳に耐えるとでも? 笑わせる!!」
落ち着きかけていた空気が、再度震え始めた。
ロウガはすべてのエネルギーを右腕に集約させて、構えを取る。それは間違いなく渾身にして、最後の一撃となることを予感させるものだ。
【イアペトス】は、拳に力を込め直す。
望み通り相手を打ち砕くため、そしてつまらない不安をも消し去るために――。
「うおおおおおおおおぉぉぉああぁぁぁっっ!!」
「ぬおおおおおおっっ!!」
それまでで一番とも言える咆哮が響く。
両者の距離が縮まり、ほぼ同時に右腕が繰り出された。
光と闇が交差し、続いて衝撃音が空気を震わせる。
ややあって中空に血飛沫と共に舞ったものは、ロウガの半身――正確には、彼の左肩口から先だった。
魔人渾身の一撃は超金属細胞を容易く打ち砕き、戦神の身体を吹き飛ばしたのだ。
「ハハハハハハ……さらばだ。【アレス】よ!」
【イアペトス】の哄笑が放たれる。
やはり結果は変わらなかった。どれほど能書きを垂れようとも、所詮は力の勝る者が勝つのだ。
しかし、そんな彼の声を遮ったのは、鮮血に塗れた戦神の絶叫だった。
「……まだだぜ!【イアペトス】ウゥッッ!!」
爆発するような音と共に、ロウガの右腕からパイルが打ち込まれた。
魔人の身体に大きく穴が穿たれる――その瞬間、飛び散った血飛沫の向こうから煌めきが飛んできた。
文字通りの閃光が再生をし始めた穴へ吸い込まれ、不気味に蠢く奥の核へと突き刺さった――。