(11)嵐の狭間
大地が爆ぜる。
すでに形を留めていない構造物を塵と吹き飛ばし、なおも地面を吹き飛ばす。
鋼と化したロウガと、悪魔と化した【イアペトス】の戦いは、衝撃波をまき散らすほどの打撃の打ち合いとなった。
拳が炸裂するたびに轟音が響き、弾けるように打たれた側が後退する。
地を削って踏み止まったほうは返しの拳を放ち、それがまた相手に炸裂する。
血と闇が飛沫となって宙に散っていく様相は、荒削りなケンカそのものだ。
相手を強い視線で睨みながら、両者は申し合わせたように同じことを繰り返す。
「なかなかやるではないか。我とここまで張り合うとはな……!」
「ぬかせっ!」
歓喜を見せる【イアペトス】に対し、ロウガは咆哮で応える。
それは激しさを感じさせるものであったが、同時に内心は反したように冷めていた。
(ちっ……こいつはさすがに、分が悪りぃ……)
何度目かになる打ち合いのあと、ロウガは仮面のような顔を歪める。
全身にはヒビが刻まれ始めており、血が溢れるように滴り落ちていた。
対する【イアペトス】は特に変化を見せておらず、ダメージがあるのかすら怪しい。
(無傷ってことはねぇはずだが……このまま打ち合ったら、先に力尽きるのは俺か)
最強形態を発動しての殴り合い――しかし、その力にはいまだ明確な隔たりがあった。
一見、互角のような戦いに見えるのも、あくまで制御訓練の成果が出ているに過ぎない。
攻撃を仕掛ける際は当然として、受ける瞬間もピンポイントで防御フィールドを張ることで、ロウガはなんとか致命的なダメージを避けていたのである。
(せっかくあの野郎の弱点を見つけたってのに、振り出しに戻っちまった。今の状態で奴の防御を突き破るには……)
「どうした? 息切れか? この程度が貴様の実力というわけでもなかろう。【アレス】よ!!」
殴りかかってきた悪魔の一撃に対し、ロウガはついに回避を選択する。
目標を失った拳から飛んだエネルギーが、射線上の地面を抉っていった。
「まだまだ……勝負はここからだぜ!!」
爆風の中で体勢を立て直しながら、ロウガは武装生成を行う。
彼の前腕部に光と共に具現化したもの――それは大型の銃身を上部に備えた手甲だった。
およそ重量のバランスが悪そうな武器に、【イアペトス】が目を細める。
「……なんだそれは? そんなもので、この我を倒せるつもりか?」
「さてな……そいつはやってみなけりゃ、わからねぇっっ!!」
どこか自身を奮い立たせるように雄叫びを上げ、戦神は大地を蹴って飛び込んでいった。
闇の中で、声を聞いた。
あまりに聞き慣れた声――それは物心ついた頃から聞いていたもの。
自分自身であり、自分自身ではない者が放つ声だった。
「お前は……なぜ……!」
声には苛立ちが滲んでいる。
同時に、切なさを感じさせるような響きもあった。
それに応えるべく、闇から覚醒しようと意識を向けるが、その途端、声は次第に遠ざかっていくのだった――。
「……ルナル! しっかりして下さい!」
繰り返される呼びかけの声を耳にして、ルナルは目を覚ました。
目の前にあるのは青い空。そして彼女を覗き込むように見つめる緑髪の女だ。
「アーシェリー? 私……?」
「ルナル! 良かった……」
緑髪の女――アーシェリーは、ほっとしたような顔でつぶやく。
彼女の膝枕から身を起こしたルナルは、辺りを見回しつつ訝しげに問い返した。
「ここは?」
「地球のとある孤島のひとつですね。位置的には赤道に近い場所です」
「そう……って、アーシェリー!? あなた、だいじょうぶなの!?」
目覚める前の記憶を手繰っていたルナルは、はっと気が付いて表情を変えた。
【ハイペリオン】との戦いで瀕死の重傷を負ったはずのアーシェリーだが、今はまったくの無傷に見えたからだ。
質問の意図を察した緑髪の女神は、わずかに瞑目した。
「はい……身体の傷は癒えています。私もあなたも。ですが、それがなぜなのかは……わかりません」
言われてルナルも、自身の傷が一切残ってないことに気付く。
アーシェリーの話では彼女も少し前に目覚めたばかりであり、その時点ですでに傷はなかったとのことだ。
「じゃあ、あなたが私をここに連れてきたわけじゃないのね?」
「そうですね。正直、不可解なことばかりですが……何者かが私たちを助け出した、と考えるのが妥当でしょう」
「何者か……まさか、【ヘカテイア】が……」
「え……それは、どういうことですか?」
意外な人物の名が出たことで、今度はアーシェリーが問い返す。
ルナルは先刻の戦いの中であったことを、かいつまんで伝えた。【ヘカテイア】が現れ、自分たちに加勢する形となったことを――。
「そうですか。そんなことが……やはり【ヘカテイア】も無事だったのですね」
「ええ。けど、明らかに力は弱体化していた。【エリス】と同じで、彼女も滅び始めている……」
重苦しい空気が流れる。
黒き女たちとの因縁を持つ二人の胸には、複雑な思いが去来していた。それは一言で言い表すことの出来ないものだ。
ただ、このまま二度と相まみえることなく終わってしまうことは避けたい――その思いだけは共通していた。
立ち上がろうとするルナルだが、すぐに彼女は尻餅をつく。同時に目の前が眩んだ。
「ルナル……残念ながら、今はなにも出来ないかと。肉体の傷は回復できましたが、消耗した力は回復し切れていません。お互いに……」
「そう、みたいね……残念だけど……」
どちらからともなく二人は、互いに肩を預けるような形で寄り添った。
【ハイペリオン】との激闘による疲労は色濃く残っている。今は戦うどころか移動もままならない状態であり、仮にソルドたちを追っても途中で力尽きてしまうだろう。
色々な意味で歯痒さを抱く二人には、ここで回復を待つ以外の選択肢はなかったのである。
「……そういえば、ルナル……先ほどは、ありがとうございました……」
「え……なんのこと……?」
「私を……死なせないと……言ってくれたことですよ……」
まどろみが支配していく中、アーシェリーはそっと礼の言葉を述べた。
戦いの中で聞いたルナルの叫びは、朦朧とした意識の中でも、はっきり彼女の記憶に残っていた。
それはこれまでに起きた数多の出来事の中で、格別に嬉しいものであった。
「なんだ……そんなこと……当たり前じゃない。私とあなたは……仲間、だもの……」
口元を緩めて答えながら、ルナルもまたどこか救われたような気持ちになっていた。
特務執行官として生まれ変わった時に交わした思いは、大きな紆余曲折を経て、再び二人の心を強く結び付けたのである――。
荒れ狂う嵐は、果てしなく続くかのように思われた。
モニターを通じて見える景色は闇と光のコントラストのみで、そこに色はほとんどなかった。
しかし、変化は唐突に訪れる。
まるで空間そのものが切り替わったかと思えるように、視界が青く開けた。
「どうやら着いたようだ……」
わずかなどよめきがブリッジ内を支配する中、艦長の男はつぶやいた。
それまでの嵐が嘘のように船の周囲は凪いでおり、行く先に島が見えている。
いや、正確には島と呼ぶに歪なものだった。
(あれが、目的地……? まるで突き出た岩のようね。それとも……落ちてきた岩かしらね)
ダージリンが内心抱いた感想こそが、その外観を端的に表していた。
楕円状の巨大な岩石らしき物体が、海から直接生えていたのである。
ただ、その表面は遠目から見ても自然物と思えないものである。
「次元断層フィールド解除。ただちに降下、着水後にシグナルを発信せよ」
「了解。フィールド解除……降下シーケンスに移行。着水まで二十秒」
船が徐々に下降していき、やがて水飛沫を上げて着水する。
それまで快適に航行してきただけに、着水時の振動がやけに激しく感じられた。
「着水完了。シグナル発信します」
モニターが波を切り裂いて進む様を映し出す中、オペレーターが手早くコンソールを操作した。
ややあって、進行上にそびえている岩らしき物体の一部に穴が開いていく。
(進入路……? すると、あれは人工物なの? いったいこれは……)
普段はあまり動じないダージリンだが、さすがにこれには驚きを隠せなかった。
見れば乗員たちの顔にも、程度の差こそあれ動揺が浮かんでいる。
(……どうやら彼らも全部知っているわけじゃないようね。あくまで与えられた指示の通りに行動しただけか……なら、ここからは本当に未知の領域ね)
徐々に迫ってくる穴が、まるで巨大生物の顎のように感じられる。
あの中に、なにが待ち受けているのか――ブリッジ内に緊張が満ちていく中、ダージリンはひとり高揚感に背筋を震わせていた。




