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APOLLON -灼熱の特務執行官-  作者: 双首蒼竜
FILE13 窮地の中で
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(10)月の絆


 抜けるような青空の中に、どす黒いエネルギーが渦を巻いている。

 ぶつかり合った【ハイペリオン】と【ヘカテイア】の力は周囲の大気を侵蝕し、暴風を起こした。

 荒れ狂い始める天海の狭間で、闇を纏った者たちは金と銀の視線を絡ませる。


「どういうことだ……? お前は【アルテミス】ではなかったのか……?」

「それは私が知りたいわ。けど、あいつを葬るのは私……お前の好きにはさせない」


 弾かれたように、両者の距離が離れる。

 改めて向かい合う中、驚愕に見開かれていた【ハイペリオン】の目が、観察するかのように鋭くなった。


「フン。滅びを招く力か……確かに脅威ではあるが、今のお前にどこまで使いこなせる?」

「なんですって?」

「気付いてないのかい? 自身の存在が不安定になっていることに……」


 その言葉は、文字通りの意味であった。

【ヘカテイア】の纏う闇が、彼女を侵蝕していた。

 その身が末端部分から、塵となっていく。かつてアーシェリーが無限稼働炉を傷付けられた時と同じように――。


「く……ぅ……!」

「理由はわからないけど、分をわきまえない力を求めた結果だね。お前も、あの【エリス】も!」


 顔を歪める【ヘカテイア】に、【ハイペリオン】が襲い掛かる。

 ぶつかり合う闇が、再び空を震わせた。





【ヘカテイア】の出現によって一時的に窮地を免れたルナルだが、その顔は険しいままであった。


(【ヘカテイア】……やっぱり、彼女は私と分離したことで【虚無の深闇】に呑まれかかっているのね)


 霞む目で、彼女は黒き女神の戦いを見つめる。

 かつて【ヘカテイア】と一体だった時、【虚無の深闇】の侵蝕を引き受けていたのが、他ならぬ自分だった。今のルナルが以前ほどの力を持たないのは、侵蝕によって受けたダメージが残っているせいもある。

 しかし分離した今、虚無の力は主である【ヘカテイア】に力の代償を強いているのだ。


(このままじゃ、彼女は消える。虚無の力と共に……でも……)


 身を砕きながら大鎌を振るう己が半身――その顔には苦痛の色が滲む。

 自身の闇、己の中にいた異物――生前からずっと苦しめられてきた存在。

 しかし、ルナルは【ヘカテイア】を憎むことが出来なかった。

 彼女の存在あればこそ、特務執行官として戦えたことも変えようのない事実だったから――。


(ここで彼女を失ってはいけない。【絆の光】よ。もう一度、私に……力を……!)


 アーシェリーを抱く腕に力をこめなおしながら、ルナルは祈る。

 彼女の思いに応えるかのように、胸の奥にある無限稼働炉が強く脈動した。






 嵐の空の下で、ソルドはふとその動きを止めた。

 目を見開き、己が胸に手を当て、不可解というような顔をする。


『……どうした?』

「いや……なんでもない……」


 先行していたシュメイスが問い掛けてきたが、彼は首を振った。


(一瞬、力を抜き取られたような気がしたが……)


 それは今までにない感覚だった。

 いや、正確にはそれと良く似たことはあった。

 バビロン修復の際、ルナルの能力によって個々のコスモスティアのエネルギーが同調し、力の流入と流出とを同時に体感したのだ。

 今しがたソルドが感じたのは、その流出のみに特化した感覚だった。


(気のせいにしては、妙な疲労感がある……それに声が聞こえたような気も……)

『……もたもたしてる暇はないぜ。さっきの変な龍との戦いで、だいぶ時間を取られたからな』

「ああ……わかっている。急ごう」


 内心に湧き上がってくる不安を抑え、彼は再び嵐の空を進み始める。






 雷のような音が轟く。

 衝撃波が音速の風となって駆け抜け、海に荒波を巻き起こす。


「ぐ……!」


 それまで拮抗していたパワーバランスが崩れ、【ヘカテイア】は吹き飛ばされるように後退した。

 かつて【統括者】すら凌駕した彼女の力は、従来の半分程度まで落ちている。それは虚無の力が消えたからではなく、力の解放に伴い身体の崩壊が加速することを危惧したからである。

 要は力をセーブしたからなのだが、その今ですら灰化はわずかずつ進行しているのだ。



(ねぇ、【ヘカテイア】……自分が自分でなくなっていくような気がしたことはあるかしら?)



 荒い吐息の中、彼女はとある記憶を思い返していた。

 かつて同胞である【エリス】から問い掛けられた言葉だ。


(あの言葉の意味……こういうことだったのね。【エリス】……)


 力を振るうたび、自身のなにかを犠牲にする――それが虚無の力の本質だった。

【エリス】は己の記憶や心を、戦うたびに失っていたのだろう。ならば、自分にもまた失っていったものがあるということだ。


(私は……いったい、なにを失ったと……? わたし、は……!?)

「ぼーっとしている余裕があるのかい!?」


 しかし、悠長に考えている暇はなかった。

【ヘカテイア】が気付いた時、【ハイペリオン】は目の前にまで迫っていたのだ。

 暗黒の手が強大なエネルギーをもって振るわれ、防御しようとした大鎌を真っ二つにする。


「ちぃっ!」

「逃がしはしないよ!!」


 とっさに方向転換して逃れようとする【ヘカテイア】だが、敵はそれを許さなかった。

 咆哮のように放たれたエネルギー波が背中に炸裂し、彼女は大きく体勢を崩されてしまう。

 美顔が、再びの苦痛に歪んだ。


「く、ぅ……まず……い……!」

「これで終わりだ!!」


 とどめの一撃を加えるべく、猛然と迫る【ハイペリオン】。

 自由落下し始めていた【ヘカテイア】に、その追撃を防ぐ手段はなかった。

 万事休す――そう思われた瞬間、しかしながら空に響き渡ったのは女神の悲鳴ではなかった。



「なにっ!? ぐわあああぁああぁぁぁぁぁぁーーーっっ!!!」



【ヘカテイア】の目の前を、炎が駆け抜けた。

 自然界にはあり得ないはずの銀色の炎――それが【統括者】の身を包み込んでいた。

 混沌の使者を焼き尽くそうと燃え盛る炎は、幻想的な色で天空を彩る。

 視線を巡らした【ヘカテイア】は、攻撃の飛んできた方向に自身の半身であるルナルの姿を見た。


「くっ……なぜ……!?」


 驚愕の表情を浮かべ、黒き女神はつぶやいた。

 問い掛けようにも、適切な言葉が出てこなかった。

 はっきりしているのは、ルナルが自らの意思で彼女を助けたということだ。


「ぬあああああぁあぁぁぁぁぁっっ!!!」


 刹那、更なる絶叫が響き渡る。

 炎に包まれていた【ハイペリオン】も、黙って焼き尽くされるつもりはなかった。

 混沌のエネルギーが内側から弾けるように爆発し、炎を散り散りに吹き飛ばす。

 塵のように舞った銀光の中、金色の目が憎悪と共にルナルを睨んだ。


「ぐうぅ……なぜ、なぜお前が……!【アポロン】じゃないお前が、なぜこれほどの炎を……っ!?」


 苦痛の色を声に滲ませ、【ハイペリオン】が唸る。

 煙のように混沌のエネルギーが立ち昇り、固体化された肉体が掻き消えていく。銀の炎が彼に絶大なダメージを与えたことは明白だった。

 ただ、問い掛けを投げられたルナルも、即座に返答できずにいる。


(今のは……今のは兄様の炎? どうして……なんで……?)


 先ほどと同じ攻撃を試みたはずの彼女の手から迸ったのは、想定外の異質な炎であった。

 確かに特務執行官はその気になれば、どのような属性の力も振るうことが出来る。

 しかし、得意とする属性並に使いこなせるわけではない。

 ルナルが炎を使ったとしても、本来はソルドの足元にも及ばないはずなのだ。


(でも、さっき感じたのは、兄様の力だったわ……まさか、これが……きずなの、ひかり……の……?)


 思考を巡らすも、答えに到達しようかとした矢先、ルナルの意識はぷつりと途切れてしまった。

 これまでなんとか気力で持ち堪えていたものの、もはや彼女も限界だったのだ。

 抱きかかえていたアーシェリーと共に、ルナルは大海原に落下していった。


「おの、れえぇぇえぇぇ……っっ!! 次は……次は容赦しないぞ。【アルテミス】ッ……!!」


 飛沫の上がった海を見つめ、限りない憎悪をあらわにした【ハイペリオン】は、霧のようにその場から消えていく。

 彼もまた、戦闘の続行は不可能だと判断したようだ。

 ぶつかり合うエネルギーで戦闘空間と化していた空に、再びの静けさが訪れ始める。



「おまえは……おまえ、は……」



 青い世界に唯一残された【ヘカテイア】は、しばらく呆然としていた。

 その顔に浮かんでいたのは、様々な思いの入り混じった形容し難い表情だ。

 やがてなにかを思い立った彼女は、あとを追うようにルナルたちの落ちた海原へと飛び込んでいった。


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