(4)疑惑の男と絡み合う思惑
イプシロンと地球を挟んで反対側に位置する【アートサテライト・レジデンス】のベータ。
それは人類の移住先として、天文学的な予算を注ぎ込んで造り上げられたコロニーのひとつである。
その規模は人工の月と呼んで差し支えないほどの巨大なもので、赤道直径千二百キロの衛星型構造をしていた。
今では約三十億人の人間が居住しており、火星やレジデンスのアルファと同様、人類生存圏の中では主要な位置づけを持つ星となっている。
ただ、治安はあまり良くなく、他の星と比べても紛争や諍いが多発していた。
そして、反政府活動などもまた活発な星なのである。
崩落した瓦礫が岩のように点在している。
アスファルトはあちこちがひび割れ、まともに車が走ることさえ難しそうな様相を呈している。
剥き出しになった鉄骨だらけの廃ビルがより荒廃した雰囲気を漂わせており、乾燥した人工風が粉塵を巻き上げ、甲高い悲鳴のような音を周囲に投げかけていた。
すでに人も寄り付かなくなったその廃棄区画の中を、一人静かに動く影がある。
褐色の肌を持つ壮年の大男だ。身長は二メートル近くあるだろう。左目を眼帯で隠し、黒のタンクトップと軍用ズボンに身を包んでいる。
男は見た目に似合わぬほど注意深く、そして用心深く辺りを見回しながら廃ビルの陰へと身を滑り込ませた。
彼の行く手には、一人の女の姿があった。腰まで垂らした銀の髪を持つ小柄な少女である。
少女はすぐに男の来訪に気付いたらしく、軽く手を上げた。
「お疲れ様ですわ。ゴードン」
その女――特務執行官【ペルセポネ】こと、フィアネス=シーズフォースは涼やかな声で告げる。
このような荒廃した場所には似合わないほど、温かみのある微笑がそれに続いた。
「申し訳ありません。フィアネス様……少し遅れてしまいました」
「あら、別に遅れていませんわよ? 予定時刻の一分前ですわ」
「しかし、フィアネス様をお待たせしたのは事実……どうか、お許し下さい」
対する大男――支援捜査官【クラトス】こと、ゴードン=ウェストは彼女の前に跪く。
見た目は親子のように見える二人だが、その立場が正反対なのは滑稽な構図だ。
「仕方ありませんわよ。あなたの身体は潜入任務に向いてませんもの。こっそり抜け出すのだって一苦労でしょう?」
「お恥ずかしい限りです。おっしゃる通り、こういう時ほど自分の体格を恨めしく思ったことはありません」
恐縮したようなその言葉に、フィアネスはクスクスと笑う。
その大きな瞳が、悪戯っぽい輝きを放った。
「でも、頼りがいはありそうですわよ? その律儀な性格といい、あなたの彼女さんになる人は幸せですわね」
「からかわないで下さい。フィアネス様……」
ゴードンは苦笑を浮かべるしかない。
そもそも実際の人生経験では上を行くフィアネスに、口で勝てる気はしなかった。その差がなかったとしても敵うかどうかは怪しいものだったが。
ひとしきり笑い終えたフィアネスは、改めてゴードンに向き直り神妙な表情を作る。
その場に流れる空気が、わずかに変わった。
「さて、冗談はここまでにしておきましょう。あまり時間もありませんものね」
「はい。それで先の件、司令はなんと……?」
フィアネスの瞳を見つめ、ゴードンは訊き返す。
腕組みをした状態から指を立て、特務執行官たる少女はわずかに嘆息した。
「とりあえず、作戦の阻止は必須。あとは確証を得るための調査を続けて欲しいとのことですわ。社会的な影響も考えれば、仕方ありませんわね」
「やはり、そうですか……厳しい任務になりますね」
ゴードンが視線を落とすと、その先で土埃が舞う。
フィアネスが、更に言葉を続けた。
「【宵の明星】は、やはり襲撃を実行するつもりですの?」
「それは間違いありません。四日後のバウアー上院議員の到着と同時に仕掛けるようです。すでにベータ第一宇宙港の中にも構成員が潜んでおり、根回しは進んでいると……」
「面倒なことですわね。それにしても、ずいぶん強引に事を進めますこと……彼らとしては、よほどバウアー議員が目障りということなのでしょうか?」
「組織内部でも意見は割れているようですが、エンリケスが無理矢理押し通したようです。ベータに戻ってくるこのタイミングを逃せば、次の襲撃の機会は無いと」
【宵の明星】は、新太陽系全域に勢力を持つ大規模な反政府組織の名である。
その活動は街頭デモやネットメディアでの呼び掛けなどに始まり多岐に渡っているものの、中には過激なテロ行為を行うことで世論を操る者たちも存在した。
人類圏の秩序維持を目的とするCKOにとっては最も警戒すべき組織であり、その動きは常にマークされている。
今回、二人が関わっているのは一部勢力の動きに過ぎなかったが、それでも容易くその行動を阻止することは難しいと言えよう。
ただ、CKOの最上位機関だからとはいえ、オリンポスが動くということの意味は別にあった。
「エンリケス=ラウド……かつてバウアー議員と議席を争った上院議員候補。彼の気持ちを考えれば、無理のない話ですわね」
「はい。ですが政敵であったというだけなら、ここまでこだわりはしないでしょう。彼の心にはもっと根深いバウアー議員への憎しみがあるようです」
「その憎しみがなにかはさておき……カオスレイダーにとっては、またとない餌。いまだ疑惑の段階とはいえ、覚醒の引き金になりかねない今回の襲撃を成功させるわけにはいきませんわ」
カオスレイダーの疑惑を持つ男の名をつぶやきながら、フィアネスは改めて表情を引き締める。
それを見つめるゴードンも同様の思いであったが、そこにわずかな懸念が顔を覗かせていた。
「ただ、フィアネス様……エンリケスの側近の話で、ひとつ気になることが……」
「なんですの?」
「明後日にエンリケスが、アマンド・バイオテックの役員と会うことになったそうです」
その言葉に、フィアネスは眉をひそめる。
「アマンド・バイオテック……【宵の明星】との裏の繋がりは聞いてますけど、このタイミングでですの?」
「はい。なんでも、先方より取引を持ち掛けられたと。詳しい内容までは掴めませんでしたが……」
陰のパトロンとされる企業のひとつとはいえ、犯罪となる襲撃計画を前に、首謀者と接触を図るのはリスクが高いはずだ。
まして取引ともなると、なおのことである。そこまでして得る利益とはなんなのだろうか。
しばし無言で考え込む彼女だったが、やがて目を上げてゴードンに告げた。
「確かに気になりますわね。ですが、ここで無理に探りを入れないほうがいいでしょう。今はバウアー議員の襲撃計画に備えましょう」
「了解しました」
自らの内に湧き上がっていた懸念を押し殺し、ゴードンは軽く頭を下げる。
調査任務で【宵の明星】に潜入した彼だが、まだ組織内での日も浅く信頼も低いため、目に付く動きはできない。
フィアネスもそれをわかっているからこそ、先の指示を下したのだろう。
しかし、そんな彼女の顔にもまた懸念が浮かんでいたことに、ゴードンは気付いていなかった。
(ルナルたちの任務でも影を覗かせた企業の強引な接触……嫌な予感がしますわね)
フィアネスは心中でつぶやきつつ、薄暗い空を見上げる。
その時また、甲高い音を立てて一陣の乾いた風が吹き抜けていった。
舞台は再びイプシロンに戻る。
ガバメントエリアに存在するビル群の一角――その中でも一際高い威容を誇る建物の前に、黒塗りの車が一台停まった。
眩い反射光の中、数名の男たちが車を降りる。気温としては暑い中であったが、全員が同じ黒のスーツに身を包んでいた。
誰もが無表情で、整然とした足取りで建物の入口に並ぶ。明らかに訓練された者の動きである。
その内の一人――袖から覗く右手を白の包帯に包んだ男は、入口前の守衛たちと言葉を交わす。
ややあって話がついたのか、男たちは揃って建物の中へと入っていった。
内部は、室内と思えぬほどの明るい光に満ちていた。
外壁全面がガラス張りのようになっており、差し込む光があまねく内部を照らしているのだ。
もちろん壁は本当のガラスではなく、最先端の超硬化クリスタル製であり、戦車砲弾でも貫通できない強度を誇る代物だ。
中にはあちこちに警備員や警備ロボットが立っており、新たにやってくる者たちを監視している。
黒塗りのような男たちはその視線を気にすることもなく、ただ無言で歩いてゆく。表情さえ変えぬその様は、まるで機械のようにも感じられた。
やがてエレベーターを乗り継いで彼らがやってきた先は、極めて豪奢な造りをした大扉の前だった。
包帯の男の合図で、彼らは立ち止まる。
男が扉脇に輝くパネルに触れると、天井に設置されたスピーカーから声が響いた。
『どなたかね?』
丁寧な口調ながらも、そこにはどこか威圧的な雰囲気があった。
その声に、包帯の男はうやうやしくも低い声で告げる。
「CKO特別保安局エクレールの者です。この度の護衛任務に際し、ご挨拶に参りました」
『そうか。話は聞いている。入りたまえ』
天井の声がそう答えると、パネルの色が赤から青に変わる。
同時に重い音をたてて、扉のロックが外れた。
包帯の男はドアノブを回し、一人室内へと足を踏み入れた。
室内は、扉同様に豪奢な造りであった。
鮮やかな柄の絨毯が、床全体に敷き詰められている。部屋の中央には大きな木製のソファがあり、両壁際にはいくつかの観葉植物と巨大な水槽が置かれている。
水槽の内部には見たこともない虹色の魚が泳いでおり、それが新たに入ってきた客を品定めするかのように見つめていた。
そして部屋の奥――外壁に面した部分には大きな執務机が置かれており、そこに二人の女性を脇に従えた男が座っている。
老年に達しようかという白髪オールバックの男である。その瞳から放たれる光は、剣呑なまでに鋭かった。
この男こそ、新太陽系連邦議会上院議員のジェラルド=バウアーその人であった。
包帯の男は彼を臆することなく見つめ、入口の前で敬礼する。
「エクレールのベータ第一支部に所属するボリス=ベッカーです。ベータでの護衛指揮を担当させて頂きます」
その声にジェラルドは頷くと、口元にわずかばかりの笑みを浮かべた。
その視線が、敬礼を解いた男――ボリスの右腕に注がれる。
「よく来てくれた。君の噂は聞いている……なかなかのやり手だそうだな。しかし、その腕はどうしたのかね?」
「恥ずかしながら、事故で痛めまして……ただ、警護に支障はありませんので、ご安心下さい」
「そうか。君たちの仕事もいろいろ大変だな。とりあえず、よろしく頼む」
その言葉は、内容と裏腹にまったく感情を感じさせない声だった。
ボリスは改めて一礼をすると、そのまま踵を返し退出する。
大扉の閉じる重い音を背に、彼は控えていた部下たちに合図をすると、再び整然とした動きで通路を戻っていった。
(退院した途端に任務たぁ、相変わらず人遣いの荒い職場だぜ……生きてくためには仕方ないがな)
火星での雰囲気を微塵も感じさせない外面のボリスだったが、内心ではいつもながらの悪態をついていた。
実際、ジョニーの事件から半月も経っていないのだから無理もない。
(ただ、あのジェラルドって奴は気に入らねぇ。政治家ってのは隠し事の多い人種だが、それだけじゃねぇ。あの殺し屋のような目つき……真っ当な人間と思えねぇ)
しかし同時に強い疑念を、彼は抱いていた。
対峙した時に感じたひりついた感覚は、かつてアルティナに抱いたものとほぼ同じである。
ジェラルド=バウアーという男は、予想以上に闇を抱えた人物のようだ。
(今回の護衛任務、簡単には終わらなさそうだな……ま、大枚叩いて得たこの力が役に立つかもしれん)
内心でつぶやくと、ボリスはかつて失ったはずの右腕を持ち上げ、強く握り締めた。
微かに響く駆動音を聞きながら、彼は改めてあの時感じた無力感を思い出す。
(なにもできねぇのは……もうご免だからな)
その瞳には、殺気にも似た強い決意が宿っていた。




