(3)動く混沌
青い星を臨む星の闇の中に、異質な漆黒は浮かんでいた。
双眸に似たふたつの輝きを持つ闇――それがまたふたつ。金と銀の輝きは数多の瞬きに紛れて歪に光る。
『奴の力の一端が、この星に降りたというのかい?』
『ええ。確かなことよ』
音の響かぬ真空で、二人の【統括者】は念で会話する。
『ふ~ん……けど、あの裏切り者がそう簡単に足が付くような真似をするかな?』
『誘いか、それとも他に目的があるのか……わからないことは多いけどね』
『つまりは、それを調べるってことか……ま、いいんじゃないかな』
同胞の言葉に、【ハイペリオン】はいつもながらの飄々とした調子で答える。
青き星から視線を移した【テイアー】は、わずかばかり銀の目を歪めた。
『そういうあなたは、なにをしにここへ来たのかしら?』
『前も言っただろう? 僕はあの光の正体を突き止めるって』
『忌まわしき光……人間たちが奇跡と呼んだ力の手掛かりが、この星にあると?』
『ある……と正確には言えないけど』
少し思い返すように、【ハイペリオン】は口調を変えた。
『ただ、あの時の光の力に実は覚えがあってね……』
『覚え……? 初耳ね』
『そうだね。僕も最近、気が付いたばかりなのさ……』
彼は語る。
かつて一度だけ相まみえた敵の記憶を。
人間たちが月と呼ぶ星で出会った、一人の女の記憶を――。
「お、お前が……そう……お前が兄様を傷つけた……【ハイペリオン】!」
苦しげな吐息の中で、その女は憎悪の視線を向けてきた。
金属質の輝きを放つ銀の瞳は、相反した強い熱を帯びているようにも見える。
「兄様? ふむ……特務執行官【アポロン】のことかい? ふ~ん、君は彼の妹だというのかな?」
「そうよ。私は、特務執行官【アルテミス】……兄様の仇、討たせてもらうわ!!」
女は名乗った。
力ない立ち姿に、燃えるような意思をみなぎらせて。
それは確かに【ハイペリオン】が知る因縁の敵と、同じ雰囲気を感じさせるものだった――。
『特務執行官【アポロン】の妹ですって?』
『そう。実際は大した相手でもなく、直後に【エリス】が現れたこともあって印象が薄かったんだけど、あの光は間違いなく【アルテミス】と名乗った女のものさ』
『でも、確かその女は【エリス】に連れ去られたあと、【ヘカテイア】になったんじゃなかったかしら?』
『恐らくはね。けど、あの塔での戦い以降、【ヘカテイア】も姿を見せなくなっている……』
【テイアー】の訝しげな疑問に答えながら、【ハイペリオン】はわずかに顔を上げる。
『もし仮に【アルテミス】が蘇って奇跡とやらを起こしたのだとしたら、その行方は【アポロン】が知っていると思ったのさ……』
『【アポロン】が?』
『【ムネモシュネ】の話では、【アポロン】はあの塔での戦いに関与していた。けど、奴も含めて組織の元を離れた特務執行官の行方は不明のままだ……』
改めて青き星を見下ろしながら、不遜なる【統括者】はその輝ける目を歪に歪めた。
『もし奴らが人目を避けて行動しているとするなら、ここに潜んでいる可能性が高い。人間たちに打ち捨てられたこの星にね……』
無音の虚空に放たれる殺意。
推論でありつつも、【ハイペリオン】はそれが確信に近いものであると考えていた。
轟音に紛れて、サイレンが響く。
吹き荒れる風が粉塵を巻き上げ、空を濁らせていく。
悲鳴を上げて逃げ惑う人々――その背後に浮かび上がるは異形の影。獅子の顔を持つ人型の獣だった。
「グアアァァァッッ!!」
咆哮と共に放たれる衝撃波が、建築物や路面を破壊してゆく。
警官隊が民間人と入れ替わるように立ちはだかるが、彼らの放つ銃撃も獣に対してはまったく効果がなかった。
逆に獣の反撃が放たれ、飛び散った肉片と鮮血が地獄絵図を作り出す。
もう何度も繰り返された混沌の獣による侵略の光景――無力とわかっていても立ち向かわざるを得ない人間たち。そんな絶望を希望に変えることができるのは、人を超えた戦士たちだけである。
「あ、ああぁ……」
逃げ遅れた少女が、涙目で獣を見つめていた。
すでに声を上げることもできないほどに脅え、威圧されている。
獣にとっては取るに足らない存在――しかし、その少女が放つ恐怖の感情は、大事な糧となる。
肥大化した手に伸びる爪を煌めかせ、獣は少女に向けて剛腕を振るおうとした。
「させませんっっ!!」
刹那、地面から屹立した物体が、獣の腕を打ち砕いた。
おぼろげな光を帯びた槍のような石柱だ。それは獣への一撃を食らわせたあと、役目を終えたとばかりに地に沈む。
絶叫を上げてたじろぐ獣と少女の間に、代わって姿を現したのは栗色の髪をなびかせた女であった。
「だいじょうぶですか? ここは危険だから、すぐに逃げて……」
彼女は振り向きざまに、微笑を浮かべて声をかける。
どこか安堵感をもたらすその声に、少女は正気を取り戻したのかこくりと頷くと、よたよたながらも駆け出して行った。
「カオスレイダー……横暴もここまでです。あなたは私が掃討します!」
獣へと向き直った女は、憎悪の目を向ける敵に対して毅然と言い放つ。
「我は大地……豊穣の守護者。豊かな未来消えゆく時、正義の激震がこだません! 我が名は、特務執行官【デメテル】!!」
特務執行官【デメテル】ことメルトメイアは、そのまま相手に向けて疾駆した。
「ほう……あの女は……」
特務執行官と獅子の獣の戦いを見下ろしながら、その黒い影はつぶやいた。
双眸は血の輝きを持って、地上を見つめている。
「なるほどな……以前と比べると、力が上がったか? いや……力の使い方が変わったというべきか」
顔がないゆえに表情こそわからなかったが、その声はどこか楽しそうであった。
「我らに対抗するために技を磨くか……そうでなくては面白くない。久々の戦い……じっくり楽しませてもらうとしようか」
しばし戦況を見つめていた影――【統括者】の一人である【イアペトス】は、頃合いを見計らって地上へと降下した。
そこは極めて危険な場所であった。
天空を支配する黒雲――その間には、絶えず稲光が走る。
吹き荒れる風が嵐を起こし、逆巻く波が獣の顎のように荒れ狂う。
あらゆる生命の存在を許さない自然の猛威は、地球という星の怒りを表しているようであった。
しかし、その猛威の中を突き進むものがある。
おぼろげな光に包まれた鋼鉄の船だ。ティアドロップの形状をしたその船は大きな翼も持っていなかったが、滑空するように暗天の中を進んでゆく。
破壊的なまでの暴風も、なぜかその船を揺るがすことはなかった。
「断層境界フィールド、正常稼働中……航行に支障はありません」
オペレーター席に座る男が、淡々と報告する。
目の前のモニターに映し出される荒ぶった光景も、まるで別世界の出来事のようだ。
「……この嵐の中で、なんの影響もないなんて……大したものね」
「我らが主の偉大なる叡智によるものよ」
ぽつりとつぶやいた黒髪の女――SPS強化兵のダージリンに対し、端的に返答したのは艦長を務める初老の男である。
その声は落ち着いているようでいて、どこか妄信的な響きがある。
「目的のポイントまで、あとどのくらいだ?」
「約五十キロです」
「引き続き、周辺の警戒を怠るな」
「了解」
ブリッジにいる人間たちは必要以上の会話をせず、感情の変化を見せることもない。
ただ、誰もが恐れも迷いもない歪な光を瞳に宿していた。それは雑多な人間の入り混じる【宵の明星】の構成員たちにしては珍しいことであったろう。
わずかに苛立ちを覗かせつつも、ダージリンは油断のない視線を走らせる。
(これまでと違う……訓練されてるって感じじゃないわね。どちらかと言うと、いかがわしい宗教の集まりかしら。我らが主ってのは、いったい何者なのかしらね……?)
彼女はここに来て改めて、今回の任務に秘められた不気味さを感じ取っていた。
ただ、それは警戒心を抱かせる以上に、彼女本来の好奇心を疼かせるものでもあった。
(いずれにせよ、面白いことにはなりそうね……)
内心でつぶやくダージリンの口元には、いつしか妖艶とも言える微笑が浮かんでいた。




