(3)確証なき任務
穏やかな風が吹く中、広く差し込む光が辺りを照らしている。
円筒状構造のコロニーは、居住圏となるエリアと採光窓となるエリアが交互に連なっている。
空を見上げれば、それほど遠くない距離に別の大地が見え、少し目を転じれば、星々の煌めく宇宙空間を垣間見ることができる。
その光景は極めて異質であり、慣れた者でなければ違和感を覚えることだろう。
しかしそれもまた、人類の手に入れた新たな情景のひとつと言えるのかも知れない。
地球の衛星軌道上を周回する【アートサテライト・レジデンス】は、人の手によって造られたスペースコロニーであり、火星同様に地球環境崩壊後の人類の新たな生存圏となった。
全部で五基存在するそれらのコロニーは異なった形状と役割を与えられており、そのひとつであるイプシロンは人類を統治する新太陽系政府の中枢として機能していた。
「相変わらず、物々しい場所だな」
そのイプシロンのガバメントエリアに存在する公園に、ソルド=レイフォースの姿はあった。
周囲には大企業や政府機関が主に入ったビルが立ち並んでいる。
空には周回型の監視ドローンが飛んでおり、地上には各所にいかつい警備ロボットの姿が見える。
今は特に動いていないが、不審な人物がいたり事件が発生したりすると、即起動して制圧行動を開始する代物だ。
政府中枢ということで厳重な警備体制が敷かれているわけだが、正直、憩いの場であるはずの公園にはそぐわない。
昼時とはいえ訪れる人の姿も、かなりまばらなものだ。
もっともそれは、ソルドたちオリンポスの者にとっては、都合の良いことでもあった。
「そういえば……ミュスカと初めて会ったのも公園だったか」
ふと、彼は先日の任務のことを思い出す。
コードナンバーS121の事件――その被害者となったミュスカ=キルトの拉致未遂があったのも、公園の一角だった。
もちろん場所も雰囲気も違うが、当時の記憶を呼び起こすには充分なシチュエーションであったろう。
ただ、その記憶はあまり思い出したいものではない。ソルドにとって、苦い感情しか生み出さないものだからだ。
あの事件のあと、パンドラに帰還したソルドとルナルは待機状態にあった。
ライザスへの報告を終え、レストスペースで普段と変わらぬ休息の時を過ごしていたのだが、その中に流れる雰囲気は明らかに違っていた。
二人を良く知る者がいたら、違和感を覚えるほどに重苦しい空気だったろう。
幸いにもその時は、彼ら以外の特務執行官はいなかった。
「兄様、お茶です」
「ああ、すまんな。ルナル」
ルナルがいつものように、緑茶を淹れた湯呑みを持ってくる。
それを受け取ったソルドはそのまま口にしたあと、わずかに眉をひそめた。
「……まだ、気にしているのか?」
「え……」
「いつもより茶の苦味が深いからな……お前の淹れる茶は繊細なだけに、味に違和感が出やすい」
特に責めるようでもなく、彼は淡々と告げた。
その言葉を聞いて、ルナルの表情が翳りを見せる。
「……ごめんなさい。気を付けていたつもりだったのに……」
「別に茶の件はどうでもいい。お前には、本当にすまないことをしたと思っている。私を責めてくれて構わん」
「そんな! 私は別に兄様を責めたりなどしません!」
どこか悲しげな表情をした兄を見て、ルナルは大きく首を振った。
ミュスカ=キルトへの罪悪感を、ソルドはいまだに抱えている。それはもはや消えるものではないだろう。
そして罪悪感を抱えるという意味では、彼女もまた同様だった。
「兄様……兄様は、今回の件をどう考えているんですか?」
聞いていいものかどうか逡巡しつつも、ルナルは問いかけた。
ソルドは、苦い茶を飲み干して卓上に置く。
「守るべき者を守れなかった……それ自体はよくあることだ。私とて、何度味わったことか」
「それはもちろんです。ですが、あれほど近くにいて死なせてしまうなど……」
「確かに、やり切れん気持ちになるのは事実だ。だが、ルナル……それは所詮、私たちの傲慢なのかもしれん」
「傲慢?」
意外な言葉に、ルナルは改めて兄の顔を見た。
そこにはすでに仮面のような無表情しか浮かんでいない。
いや、想いを押し殺した表情と言うべきか。
「私たちのやっていることは、所詮人殺しだ。人類を守るために、カオスレイダーに寄生された人間を抹殺する。今日は守った人間を、いつかは殺すことだってあり得る」
自らの手を開き、続いて強く握り締めながら、赤髪の青年は淡々と続ける。
「もし仮にミュスカを守れていたとしても……あの場でアイダスを殺すことは避けられなかった。そうなれば私たちは彼女の平和な生活を奪った上で、恨みを買うことになっただろう。下手をすれば、彼女の人生すら狂わせてしまう可能性もあった」
「それは……」
「気にするなとは言わん……反省は必要だからな。だが、気にし過ぎてもダメだ。私たちは他人の心に深く関わってはならない存在。この力とて万能ではない」
他人の心に深く関わってはならないという部分に、強い思いが垣間見えた。
それはソルド自身が、ミュスカに関わり過ぎてしまったことへの自戒の念なのか。
彼はゆっくり立ち上がると、そっとルナルを抱き寄せ、その頭を撫でた。
「だから……苦しいかもしれんが、割り切れ。そうしなければ、守れるものすら守れなくなる」
「兄様……はい」
一瞬、驚いた表情をしたものの、すぐに兄の首元に顔をうずめながら、ルナルは静かに頷いた。
「割り切れ……か。自分で言っておきながら、私自身が割り切れていないのかもしれんな」
誰に言うともなく、ソルドはつぶやいた。
他者に対しては毅然とした言葉を言えるものの、こうして一人になると迷いや苦悩が出てしまうのは悪い癖だ。
いっそ機械のように、淡々と任務をこなせれば楽なのだろう。
しかし、カオスレイダーと渡り合うための力であるコスモスティアは、人の意思によってのみ、力を引き出すことが可能となる。
人間でないとはいえ、特務執行官がロボットでない理由もそこにあった。
ならば、これもまた戦い続けていくために必要な苦しみのひとつなのかとも思える。
「……ソ・ル・ド! ソルドってば!」
どれだけ長い間、呆けていたのだろうか。
突然、後ろから声をかけられたソルドは、はっとして意識を現実に引き戻した。
目をやると、一人の女性が腰に手を当ててたたずんでいる。
「なによ。ぼーっとして……特務執行官の割に隙だらけよ。それになに? 辛気臭い顔をして……アンタただでさえ無愛想なんだから意識して笑顔作りなさいって、前に言わなかったっけ?」
歯に衣着せぬ物言いで、女性はソルドの眼前に指を突き付ける。
言葉だけ聞けば、子供を叱る母親のようだ。
ソルドは一瞬の驚きのあと、口元にわずか苦笑を滲ませた。
「ああ……すまんな。レイカ」
「まったく……久しぶりに会ったというのにこれだもの。ま、ある意味変わってなくて、安心したけどね」
女性は、ため息をつきながら頭を掻く。
態度を改めて欲しいのか、そのままでいいのか――矛盾した内容を言っていることに、本人も気が付いていない様子だ。
ソルドはあえて指摘もせず、彼女のほうに向き直った。
この女性の名はレイカ=ハーベストと言う。
オリンポスに所属する支援捜査官の一人であり、【タレイア】のコードネームを持つ才媛だ。
見目麗しいことは事実だが、金髪を短くまとめてデニムメインのファッションに身を包む彼女は、割とボーイッシュな印象を受ける。
実際、年齢よりも若く見られることが多いというのは、本人の弁だ。
「なんかこないだは、アルティナと仕事したんだって? 彼女、大怪我したって聞いたんだけど、だいじょうぶだったの?」
「ああ。もう今は、現場に復帰したはずだ。再生治療が間に合ったのが、不幸中の幸いだった」
「そう……なら、良かった。最近はお互い忙しいから、一緒にランチもできないのよね」
レイカは、心底安心したような表情を見せる。
同じ支援捜査官であるアルティナ=サンブライトとは、プライベートでも友人の間柄だった。
ただ、彼女が入院した時も、見舞いには行けていなかったらしい。
星をまたいで行き交うことの多い仕事だけに、スケジュール調整するのも大変だとソルドは思う。
まして、特務執行官のようにお手軽に移動できるわけではないのだから、なおのことだ。
「それで、私を呼んだ理由はなんだ? 特に急ぎの案件ではないと聞いたが……」
「まぁ……急ぎではないんだけど、厄介なことには違いないのよね。だから、特務執行官の助けを借りたいと思ったの」
「厄介……そもそもレイカは、なにを探っているんだ?」
「うん。まずはこれを見て」
改めて任務の話を切り出したソルドに、レイカは神妙な面持ちになる。
今回、ソルドがイプシロンまでやってきたのは、彼女からの要請あってのことだった。
腕時計型の携帯端末を起動させ、レイカは中空に画像を投影する。
そこには、老年の域に達しようかという男性の姿が映っていた。
その眼光は獲物を狙う鷹のように、鋭い輝きを放っている。
「この男は……新太陽系連邦議会のジェラルド=バウアー上院議員じゃないか?」
メモリーバンクを検索することもなく、ソルドは即答する。
一般にも広く名の知られた人物で、知らないという人間のほうがむしろ珍しいだろう。
「そう。やり手議員と評判の高い人物ね。まぁ、政治家でやり手ってことはその分、敵も多いんだけど……で、実は最近、彼の周りで失踪事件が多発しているの」
「失踪事件だと?」
「特に彼に近しい人物とかね。秘書なんかここ数ヵ月で、三人は入れ替わってる」
画像を消したレイカは、ソルドの周りを回りつつ語る。
芝生を踏みしめる乾いた音が、その言葉に重なった。
「それだけだったら要因は他にもあると考えられるんだけど……元秘書の一人は死体で見つかっていてね。人間では考えられない力で首をねじ切られていたそうよ」
「待て……つまりレイカは、彼がカオスレイダーに寄生されているんじゃないかと言いたいわけか?」
「そういうこと。でも、確証がないのよね……さっきも言ったようにジェラルドはやり手の政治家。敵も多い分、警護も厳しいわ。迂闊に接触できない上、事件についても巧妙に隠蔽されている。今言った内容だって探るのに苦労したんだから」
そこまで言って、彼女は嘆息する。
ソルドも腕組みをして、考え込んだ。
一般人だったら迷いなくカオスレイダーの関与を疑う案件だが、ジェラルドほどの有名政治家となると話が変わってくる。
彼らは常にテロリストや反政府勢力などの脅威に晒されている。近しい人物の失踪は充分起こり得るし、そこに殺人が絡んでくることもあるだろう。
首をねじ切るような殺害方法もアンドロイドなどを使えば不可能な話ではないので、決め手としては弱い。
「話はわかったが……それで私にどうしろと?」
ソルドは難しい顔で問いかける。
いくら特務執行官が超法規的権限を持つと言っても、確証もなしには動けない。
まして相手は上院議員だ。下手に手を出せば、それだけで世間は大騒ぎになるだろう。そうなるとオリンポスの情報操作能力をもってしても、もみ消すのは難しい。
もちろんレイカとて、その辺の事情がわからないわけではなかった。
「実は四日後に、ジェラルドが故郷のベータに行くらしいの。彼はあんな見た目だけど、割と家族思いらしくてね。ここ半年近く家を空けていたから、向こうに着いたら公務の合間を縫って会いに行くみたい」
「家族思い……」
「できればその前に、確証を掴んで動きたい。でも最悪の場合、家族の犠牲によって彼がカオスレイダー化する危険がある。そのための保険として、あなたの力が必要ということなの」
本当はもっと隠密能力に長けた人のほうが良かったんだけどね、と彼女は付け加える。
その言葉に、ソルドは苦笑せざるを得なかった。
確かにルナルだったら、レイカが手こずっている確証も掴みやすくなっただろう。
しかし、こればかりはどうにかなるものではない。
「君も相変わらず、遠慮がないな……わかった。私でできることなら、力になろう」
正直、後手に回る可能性のほうが高かったが、放っておける話でもないようだ。
それにレイカがそこまで調査を進めている以上、ほぼ証拠は固まっているのだろう。支援捜査官としてはアルティナと同じくらい敏腕で知られる彼女のことだ。
ソルドの返答に満足したのか、レイカはしな垂れかかるように身体を寄せた。
存外に大きい胸が、青年の胸板に押し付けられる。
「ありがと。さすがはソルドね。今度、お礼も兼ねて一緒に寝る?」
「いや、それは……」
「冗談よ、じょ・う・だ・ん! そんなことしたら多方面からツッコミ殺到だわ。わたし、まだ死にたくないもの」
思わず顔を赤らめたソルドの肩を叩き、レイカはあっけらかんと笑った。




