(18)最後の罠
閉じられた空間で向かい合う二人の男女。
鋭い目で見下ろしてくる女を見上げ、老齢の男は笑い声を上げた。
「なにがおかしいの!?」
「いや……さすがは特務執行官だと思ってな」
その男――ラーズ=ドルガンはひとしきり笑ったあと、自虐的につぶやく。
「やはりお前たちは、あってはならない存在……懐柔させようなどと考えるべきではなかったか」
「……つまらない御託はいいわ。あたしの質問に答えなさい!」
サーナは、苛立ちを隠せなかった。
優位に立っているはずの相手に、なぜか見下されているように感じられた。同時にそれが、あまりに不気味であったのだ。
そんな彼女の心情を知ってか知らずか、ラーズは不遜な態度を見せて言う。
「先刻、言った通りよ。ワシらは宵闇の星を新たな世界に輝かせるもの……古き秩序を破壊してな」
「宵闇の星……反政府組織ってこと?」
「フン。反政府組織などと……お前たちのくだらぬ観念で物を言って欲しくないものだな」
反政府組織【宵の明星】――宵闇の星から連想されるものはそれであり、ラーズが彼らとの繋がりを持つことは知っていた。
ただ、それが本人の口からほのめかされることは、今の今までなかったのではないか。
眉を吊り上げ、サーナは更に問う。
「やってることは、そういうことだわ。それで? オリンポスを滅ぼすって、意味がわかって言ってる? そもそもそんなことができると本気で思ってるの?」
「人を襲う化け物に対抗できるのは、特務執行官の力だけ……か。果たして、本当にそうなのかな?」
女の憤りに対し、因縁の男は意味深な言葉を放つ。
「お前たちは、重要なことを隠している。自分たちにとって不都合となる真実をな。だから、そのように言い張っているとも思えるが……」
空気が凍り付いたような気がした。
どこまで知っているのか、それともブラフか――混沌とした思いの渦巻くサーナに、ラーズは歪んだ笑みを向ける。
「フフフ……顔色が変わったな。つまりは図星ということか」
「……別に嘘をついちゃいないわ。カオスレイダーを倒せるのは、あたしたちだけ。これまでそうして、世界は守られてきたのよ」
それは確かな事実だった。
人を超えた化け物を倒せるのは、人を超えた特務執行官だけである。もし、自分たちがいなければ、この二十数年の間に人類は絶滅していただろう。
しかし、そこには同時に数え切れない犠牲があったことも意味していた。決してわかってもらうことは出来ない特務執行官の背負う罪――人を殺し、人を守るという矛盾した現実を。
一時の沈黙が流れたあと、再び口を開いたのはラーズだった。
「まぁいい。お前たちがシラを切ろうと同じこと。世間は……人々は知ってしまった。人の姿をした人ならざる者が確かに存在し、自分たちを見下しているという事実をな」
「見下してるなんて……そんなことないわ!!」
「甘いな……お前は人間がそんなに物分かりの良い生き物だと思っているのか?」
いつの間にか、ラーズの目線はサーナと同じ位置にあった。
狡猾に歳を重ねてきた男にとっては、圧倒的な力関係すらもその立場を覆す要因とはならなかった。
「怖れや脅え……それらから逃れるために人類は進歩してきた。智慧を駆使し、病気、外敵、果ては天災まで克服しようと……」
まるで回顧するかのように、ラーズは続ける。
その口調は、極めてゆっくりしていた。
「摂理を歪めてまで生き残り、繁栄しようとする。自然界にそのような生物は他におらん。人間だけが異質なのだ。そして、そんな人間が最も怖れるのが、自分たちの理解の範疇を超えたもの……」
視線が鋭さを増して、サーナに向けられる。
傲慢さは鳴りを潜め、自身が人間という種の代弁者であるかのように毅然と言い放つ。
「あの化け物もそうだが、同時にお前たちもまた人間の怖れとなる存在なのだ。そうでなくば、世論がこれほど荒れることはあるまい? お前たちの主張や事の真偽は置いても、それが現実なのだ」
「だ、だからって!」
「特務執行官は消えなければならない。人の世を乱す悪魔は新世界に必要ない。それがワシら【エアレンデル】の結論……そして協力を拒んだお前も然り……」
最後の言葉が出たと同時に、室内がにわかに震動を始める。
地震とは異なり、低く唸るような音が響く。
「これは!?」
ハッとした様子のサーナに、ラーズは今一度歪んだ笑みを浮かべた。
「フフフ……やはりお前は愚かよ。ワシが憎いのなら、早く殺せば良かったものを……」
「どういうこと!?」
「賭けはワシの勝ちということよ。ワシがなぜお前の話に付き合ったのか……良く考えるべきだったな」
室内の温度が急上昇し、壁面に亀裂が走った。
震動は大きくなり、まともに立つのも難しいほどだ。明らかな危険が迫りつつある。
そしてサーナは、相手の意図を察した。ラーズの狙いは時間稼ぎであり、自分はまんまと思惑に乗せられてしまったのだと。
「さらばだ。サーナよ……もはや二度と会うこともあるまい」
「くっ! ラーズッッ! あんたはどうして……っっ!!」
美神の問いが叫びとなり室内に響こうとした瞬間、周囲が眩い光に包まれた。
圧倒的な轟音が響き渡る中、二人の姿は噴き上がった炎に呑まれる。
刹那、サーナの目に映ったのは、侮蔑と憐みの入り混じったような老人の複雑な笑みであった。
再び地上に出たアルティナは、驚愕の光景を見ていた。
街の外で、火柱が上がっていた。距離として見れば数キロは離れているはずだ。それがここまで鮮明に見えるということは、かなり大規模な爆発があったことになる。
街の人間にかけられていた洗脳は解けていたようで、衣服の乱れた彼女を訝しむ目はあっても、狂気と共に襲い掛かってくる者はいなかった。
(なにがあったの? いったい……)
抱いた疑問に答えを返す者はいない。
しかし、アルティナは直感的に、あの爆発を無視してはいけないものと感じていた。
その時、彼女の持つコンパクト型の通信機が振動する。
『こちら、オリンポス・セントラル……聞こえますか?【アグライア】』
「聞こえるわ。通信、回復したみたいね」
すかさず人目に付かない物陰に駆け込んで、コンパクトを開く。
光のスクリーンが広がり、そこに黒髪の女の姿が映し出された。
『唐突に障害がなくなりました。理由は定かではありませんが……』
「……定かではない、か……」
【クロト】の言葉に、アルティナは独りごちるようにつぶやく。
珍しく歯切れの悪い態度を見せたメッシュの女に、訝しむ視線が向けられた。
『……どうかしたのですか?』
「いえ……なんでもないわ。それで、どうしたの?」
『はい。特務執行官【アフロディーテ】の現在位置が掴めました。あなたのいる地点より、西方へおよそ十キロ……』
「つまりは、あの爆発の中心地ってことね」
疑念はあっただろうが、その理由を【クロト】は追及しなかった。
今はそれ以上に重要なことがあり、その伝達こそが彼女の仕事だったからだ。
『生体反応はありますが、通信は繋がりません。状況を知るためには現地へ行く必要があります』
「了解。なんとか行ってみるわよ」
ため息混じりに、アルティナは頷く。
乗ってきた車が襲撃で使い物にならなくなった今、代わりの足を探すのは難儀なことだ。調達の手段を探すよりは自らの足で行ったほうが早いかも知れない。
(なんだか振り回されっぱなしね。今回の件……いったいなにが真相なんだか……)
通信を切った彼女は、ここまでに起きた出来事を整理しながら、目的地に向けて駆け出した。




