(15)手繰られる記憶
それは、悲劇のあとから始まる記憶――。
(あたしは……ここで、死にたくない……!)
かつて死に瀕した時、サーナは思った。
それは、人であれば誰もが抱く思いだった。特にサーナの場合、虚無だった人生をやり直そうとしていた矢先の話だ。
しかし、本人の意思と無関係に、噴き出す血と共に生命は消えていく。
生きようとする思いも空しいものに変わり果てようとする。
闇がすべてを包もうかと思われた時、突如目の前に広がったのは淡い光だった。
そして、中から伸びてきた光の手が、女の意識を掬い上げた。
『……生きようとする意思、生かそうとする意思、繋がる意思が力となる……』
わずかに響いてきた声と共に、サーナは光の中に溶け込んでいく。
その言葉の意味もわからないままに――。
「特務執行官?」
「そうだ。君は【秩序の光】……コスモスティアに選ばれた者。この世界を滅ぼそうとする混沌と戦う力を与えられた者だ」
目覚めて間もないサーナに対し、黒い口ヒゲを湛えた男はそう言った。
普通に考えれば荒唐無稽――正気を疑われても仕方のない言動だ。
しかし、女はそれが事実だということを知っている。自身もまた被害者であったがゆえに。
「この世を滅ぼそうとする混沌ね……」
それでも彼女の内には、わだかまりがある。
見も知らぬ人間のために戦えなどと言われても、納得できない自分がいる。
目の前の男は、そんなサーナの考えを見抜いたようだった。
「不服……かな?」
「別に世界がどうなろうと、あたしは知らない。でも……」
わずかに目を閉じて、女は思う。
己が死の直前に見た光景――人であった男が異形へと変わっていく様を。
人の思いを呑み込み嘲笑った化け物の姿を――。
「人を化け物に変えるのは……気に入らないわ」
「あなたが、サーナ=アーデントフォース?」
混沌との戦いに身を投じることとなったサーナに、一人の女が突然声を掛けてきた。
銀の長髪と紫の瞳を持つ、神秘的な印象の少女だ。
「そういうあんたは?」
「私はフィアネス……フィアネス=シーズフォース。あなたと同じ特務執行官ですわ」
問い掛けに対し、少女はそう名乗った。
特務執行官――それは死の淵より蘇り、混沌との戦いを決意した者のこと。
少なくとも、現段階でのサーナの認識はそれだった。
「そう……あんたも化け物に人生を狂わされたの」
「狂わされた……というよりは、進むべき道を見つけたというところでしょうか」
しかし、少女は首を振った。
彼女が言うには自分は死の淵から戻ってきたわけでなく、自ら戦いの運命に身を投じたのだと――。
「カオスレイダーを許せないのはもちろんですが……私は、私を救ってくれた方のために戦うのですわ」
「そう……くだらない……」
「……なんですって?」
どこか冷めた目でつぶやくサーナに、フィアネスが眉をひそめる。
二人の間に、わずかな緊張が張り詰めた瞬間だった。
ややあって、その空気を破るように女は言う。
「どれだけ偉そうなこと言ったって……化け物に取り憑かれたら、おしまいじゃない」
「!?……あなたは……」
「あたしは化け物をぶっ倒すだけよ。あたしの未来を変えてしまった化け物を全部ね……!」
その顔は、怒りとも悲しみとも取れる表情に包まれていた。
目を見開き、言葉を失った少女に背を向けて速やかに歩き出す。
フィアネスがどのような思いを抱いていたか、その時の彼女に知る術はなかった――。
初めて混沌との戦いを経験したのは、それからわずかに二日後のことであった。
「ぐっ!」
固いアスファルトの路上を滑るように、サーナは転がる。
目の前に立つのは、獣の叫びを上げる異形の生命体――角を持った二足歩行の狼のような化け物だ。
能力的には下級クラスのカオスレイダーだが、彼女は苦戦を強いられていた。
(なんで……こんなに身体が重いの!?)
息切れしながら身を起こし、内心でつぶやく。
身体が思うように動かなかった。まるで鉛になってしまったかのようだ。
蘇って以降、特にこのようなことはなかったので、原因はまったく不明である。
(あたしは……やられるわけにはいかないのに……)
闘志を奮い立たせるも、身体はそれに従わない。
戦いの最中、隙を見せた者に訪れるのは死の運命――カオスレイダーはサーナの不調を見逃さない。
一足飛びに距離を詰めた狼が、美神の肩口に食らいつく。
「うあああぁぁぁあぁぁっっ!!」
ぞぶりと肉に食い込む闇の牙。超金属細胞も食い破り、鮮血が噴き上がる。
敵を押し留めようとするサーナだが、健闘も空しく彼女は地に押し倒される。
『……希望ヲ失ッタ瞬間ニ生マレル絶望ハ、実ニ力強クふれっしゅナモノダカラネ……』
怒涛のごとく押し寄せる激痛に、忌まわしき記憶が呼び起こされる。
二度と思い出したくもなかった絶望の記憶を――。
(嫌だ……あたしは……まだ……!!)
浮かび上がる涙と共に彼女の心が叫んだ時、頭の奥で光のように閃くものがある。
それはか細くありながらも、確かにサーナへと語り掛けられた声だった。
『終わらない……まだ、終わりじゃない……』
同時に、彼女の身体に力が戻ってくる。
すかさず足で蹴り出しつつ、力任せに敵を押し返した。
牙が肉を抉り鮮血が激しく飛び散るも、拘束からの脱出には成功する。
(今の感覚は、なに……? あれは、いったい……?)
跳ぶように後退し、サーナは態勢を立て直す。
身体の不調は嘘のように消え、負った傷も徐々に塞がり始めていた。
ただ、その顔にはいまだ戸惑いの色がある。
「ウオアアアァアァァァァァ……ッッ!?」
カオスレイダーはすかさず再度の攻撃を仕掛けようとするが、そんな化け物の周囲に無数の光が舞った。
花びらのような光の欠片は獣の体表を悉く切り裂き、どす黒い血を舞わせる。
同時にその場に現れたひとつの影があった。
「無事ですの!? サーナ!」
「あんた……フィアネス!?」
銀色の髪をなびかせた少女は、驚くサーナの前に立つ。
しかし、その顔には緊張がみなぎっていた。
怒りの炎を目に灯したカオスレイダーは、新たに現れた敵に対し咆哮を上げる。
フィアネスの足が、わずかに後退する。
一拍の間を置いて、狼の姿を模した化け物は荒ぶる感情のままに少女へ飛び掛かった。
「させ、ないわよ!」
ほぼ同時に、サーナは反応していた。
苦痛をこらえ、地を蹴る。
その勢いのまま彼女はフィアネスを抜いて、カオスレイダーと激突した。
「グガッッ!!」
衝撃音と共に、異形の口から漏れる声。
合わせて、どす黒い血が舞う。
突き出されたサーナの拳が、敵の胸板を貫いていた。
身を震わせたカオスレイダーは再びサーナの肩口に食らいつこうとするが、次の瞬間、その顔の上半分が光の刃で切断された。
降り注ぐ血飛沫の中、振り返ったサーナは、そこに強い意思をみなぎらせたフィアネスの瞳を見たのだった。
「とりあえず、礼を言っておくわ……ありがとう」
地に座り込んで息をついたサーナは、同じようにしているフィアネスに言った。
ただ、礼を言っている割に、その声音は厳しい。
「けど、あんな風に怖じ気付くんじゃ、まだまだよね。あんたの覚悟も知れてるわ」
「……確かに私は未熟ですわ。今まで戦いなんてしたこともありませんでしたから……」
わずかに顔を伏せつつ、銀髪の少女は答える。
特務執行官になったとはいえ、彼女はつい先日まで一介の学生だったのだ。無理のない反応である。
ただ、沈んだ表情を見せたのも一時だけのことだ。
「ですが、今のあなたにそれを言われたくありませんわね。やられそうになったのは、お互い様ですもの」
「言うじゃない。さっきはたまたま調子が悪かっただけよ……」
「……本当にそうでしょうか?」
「……え?」
唐突に突き付けられた言葉に、サーナの眉が跳ねる。
フィアネスの瞳は再び、先ほど見た強い輝きを宿していた。
「あなたは……なにか、わだかまりを抱えている。それゆえにコスモスティアの力を引き出せていないのではありませんの?」
「はぁ……? なによ。それ……」
「ウェルザー様がおっしゃっていたのです。無限稼働炉の制御は、心理状態に大きく左右されるもの。不慣れな頃は拒否反応が出やすいと……特に不安や悲しみといった負の感情が強いとなおさら」
淡々としていつつも、彼女の声には有無を言わせぬ響きがある。
それがサーナの癇に障った。
「……だったらなんだってのよ。あたしに説教しようっての!」
「そんなつもりはありませんわ。あなたの不調は偶然ではないというだけの話です。それともうひとつ……」
「なによ!!」
「あなたのコスモスティアから……温かな力を感じますわ。詳しいことはわかりませんが、あなたを守るような力が……」
「あたしを守る……力?」
怒りのボルテージが高まる中、ふと先ほどの出来事が蘇る。
頭の奥に聞こえてきた声――それと同時に湧き上がった力を。
そのサーナの反応を見て、フィアネスは言葉を継いだ。
「個々のコスモスティアには、様々な特性があるとも聞いています。その力がなにかは、わかりかねますけど……」
「わかんないんだったら、余計な口挟まないでよ! 苛立つ女ね!」
ただ、その言葉は怒声に遮られた。
激情が鳴りを潜めたのは一瞬であり、美神は少女の言葉に耳を貸さなかった。
荒々しく音を立てて地を蹴り、サーナは空へ舞う。振り返りもせず、強い拒絶の意思をみなぎらせて。
「サーナ!! 目を背けてはダメですわ!! その力はあなたにとって、きっと重要なもののはずですわ!!」
そんな彼女を呆然と見上げたあと、フィアネスはすかさず訴えかけるように叫ぶのだった。




