(12)陰謀が潜む街
澱んだ空の下、ゲートをくぐったアルティナはモルフェットの街に降り立った。
(思ったよりも普通の街ね……)
車のドアを閉め、辺りを見回す。
任務で各地を転々としてはきたが、この街に来たのは今回が初めてだ。
事前の情報もあって少し警戒していたものの、特に不穏な空気は感じられない。
しかし、違和感がないかと言えば嘘になる。
(でも、あの変な通信制限がかかっている割に、みんな気にした様子もないわ。一般人には関係ないってこと?)
アルティナは、内心で独り言ちた。
行き交う人々は携帯端末を手にし、街の各所に浮かぶスクリーンからはニュースやプロモーション映像が流れている。それは他の街で見られる光景と、まったく変化がない。
つまりは、何事も起こっていないという様子なのである。
(サーナとの通信は……やっぱ繋がらないか。特務執行官だから、そうそうなんかあるとは思えないけど……)
人目を避けるように物陰に隠れた彼女はコンパクトによる通信を試みるが、浮かび上がる光の中にはノイズしか生まれない。
先ほどまでと異なり、街に入った今は通信そのものが遮断されてしまっているようだ。
嘆息しつつ再び通りに戻ったアルティナだが、そこでわずかに眉をひそめる。
(これは……見張られてる……?)
彼女は、自身に向けて放たれる異様な視線を感じ取っていた。
それは一種の勘ではあったが、支援捜査官として修羅場をくぐってきた経験から来る確信に近いものだ。
車に乗り込みエンジンを始動しようとするが、その瞬間甲高い音と共にタイヤが爆ぜた。
「銃撃!? こんな衆目のある中で、やってくれるわね!」
アルティナは舌打ちしつつ、その場を離れる。
爆音に騒めく人々の間をすり抜けるように走り、近くにあったショッピングモールに逃げ込んだ。敵が何者かわからなかったが、人混みに紛れれば迂闊に手を出せないと踏んでのことだ。
想定通り追撃はなく、当初は驚きの渦中にあった人々も、落ち着きを取り戻していく。
モールの支柱の陰に身を潜めた彼女は、やがて日常的な話が聞こえ出した人々を横目にわずか息をついた。
(いきなり攻撃してくるなんて、こっちの素性を見抜かれたの? だとしても、いったいなぜ……!?)
突然の出来事に内心、動揺を隠せない。
支援捜査官という存在自体は特務執行官同様、世間に知られていたが、具体的な個人の特定は不可能なはずである。
ただの偶然としても、物騒過ぎる話だ。
なにより監視の目があった時点で、アルティナ狙いなのは間違いなかった。
(……なにか陰謀めいたものを感じるわ……もしかして、サーナも……?)
周囲への警戒を強めつつ、アルティナは人混みの中を歩き始める。
見えぬ殺意に対する緊張感もあり、その表情はいつにも増して硬かった。
そんな彼女を含め賑わう人々を俯瞰できるカフェの窓際で、一人の女が息をつく。
「……早くもアルティナを差し向けるとは、対応が素早いですわね……」
輝く銀の長髪の向こうに覗いたその横顔は、どこか愁いに満ちたものに見えた。
そこは殺風景な空間だった。
調度から窓に至るまでなにひとつ余計なものはない立方体の部屋である。唯一、出入り口となるドアだけが目立つ構造だ。
照明はないが、壁面全体がおぼろげに光っており、最低限の視界は保たれている。
その部屋の中央に、サーナは拘束されていた。
天井と床との間に張られた鎖が両手首足首の枷に接続され、彼女をバツの字に中空に固定している。
(まさか、こんなことになるなんて……)
想定外の現実に歯噛みしつつ、サーナは脱出を試みようと足掻く。
しかし、腕や足を必死に動かそうとしても、鎖はまったく変化を見せない。
(なんで……どういうことなの……? 力が……入らない……)
単に鎖の強度が高いという話ではなく、そこには別の理由があった。
無限稼働炉の出力が上がらないのである。それはかつてソルドが陥った症状と似ていたが、原因は不明だ。
細胞活性能力もほとんど機能せず、膂力の強化もままならない。
つまり、今のサーナは人間並みの力しか出せないということなのだ。
「ご機嫌いかがかな? サーティナイン……いや、サーナ」
奮闘する彼女を嘲笑いつつ、護衛を付き従えた男が入口に姿を現した。
それは先のドローンの映像で見た姿と、まったく同じである。
ラーズ=ドルガン――忌まわしき記憶の彼方から蘇った男を、サーナは憎々しげに見つめた。
「……あんたにその名前を呼ばれると、最悪の気分になるってことはわかったわ」
「辛辣だな。二十年ぶりの再会だというものを……」
「好き好んで会ったわけじゃないわ。むしろ顔も見たくなかったわね」
内心、動揺はしていたが、その態度はいつもと変わらない。
相手のペースに呑まれてしまったら終わりであることを、彼女は経験で知っている。
「で、これはどういう趣向? 昔みたいに、あたしを慰み物にしようってわけ?」
「……それも悪くはないが、そんなつまらんことで拘束したりはせんよ。あくまで、お前の力を怖れてのことだ」
かつては下卑た欲望を剥き出しにしていたラーズだが、今はそのような素振りも見せない。
冷たく向けられた視線には、どこか人間とは思えない不気味さが潜んでいた。
サーナの腕に力がこもるが、やはり鎖の拘束は緩まない。
「言っておくが、その鎖は切れんぞ。無駄な足掻きは止めることだな」
「く……なんで……!」
「そこから自由になりたいのなら、ワシらに協力することだ」
「協力……? いったい、なにを!?」
囚われる前にも、ラーズは自分たちの力になれと言っていた。
その真意を問うと、思わぬ返答が返ってくる。
「お前たちの組織……オリンポスを潰す」
「な……!?」
「オリンポスの存在は、新たな世界にとって害悪なのだ」
カオスレイダーや【統括者】を前にした時よりも強い戦慄が、サーナの背筋を駆け抜けた。
かつてモルフェットを統治していたとはいえ、一介の老人が口にするにはあまりにも不遜過ぎる目的だ。
しかし、現に特務執行官たる自分は不覚を取り、こうして動きを封じられている。
それゆえに不気味さが際立った。
「……いったい……いったい、あんたは何者なのよ!? ラーズッ!!」
余裕を崩さず立つ男に、サーナは叫ぶように再度問う。
どこか芝居じみた動きで両手を掲げたラーズは、陶酔にも似た視線を中空に向けた。
「ワシらは【エアレンデル】……偉大なる主の下、宵闇の星を新たな世界に輝かせるものよ……」
無機質な鋼鉄の通路を、二人の男が歩いている。
老人のような白髪を持つ青年に従うよう一歩下がった位置を、何事か語りながら壮年の男が歩く。
軍服のような服を纏った彼らは剣呑な雰囲気を漂わせつつ、固い足音をこだまさせていた。
「そうか。ラーズは首尾よく事を進めているようだな」
壮年の男の報告を黙って聞いていたアルビノの青年は、ややあって小さく頷いた。
血の赤みを帯びた瞳が、薄暗い通路にわずか煌めく。
「今のところは、というところですな。奴が特務執行官の一人と因縁があるとは思いませんでしたが……」
「それゆえに付け入る隙もあったということだろう。ある意味、僥倖と言うべきだな」
どこか憮然とした声音の男に対し、青年の声は淡々としている。
対話として成立しているが、両者の心に温度差があるのは明らかだ。
その理由は、次の言葉ではっきりする。
「……それはそうと、長よ。我らは、あの少女のような女を信じて良いのでしょうか?」
「問題ない。我らが主もおっしゃっていた。彼女は主の代理人であるとな……現にラーズはその恩恵を預かっていよう。そうでなくば、特務執行官を捕らえることなど出来まい?」
「は……ですが……」
壮年の男はあくまで納得がいかない様子で、次の言葉を濁す。
青年自身も、それは無理のないことだと納得はしていた。偉大なる主と唯一対面できる彼だからこそ払拭できる懸念もある。
「貴兄の気持ちはわからなくもないが、あまり疑心暗鬼にならぬことだ。疑念は信念を曇らせることになるぞ?」
「はっ……」
わずかに鋭い光を帯びた血の瞳に睨まれ、壮年の男は恐縮したように頭を下げたのだった。




