(5)人形の女と不遜な男
モルフェット自治領――二十年ほど前、そこはそう呼ばれていた。
アートサテライト・レジデンスは極めて雑多な人種が住んでおり、文化の違いなどもあって治安を維持しつつ均等に統治することは難しかった。
当時の政府はその問題を解決するため、各地域において多大な影響力を持つ人物を選出し、政府代理人としての統治権を与えていたのである。そして、モルフェットで権限を行使していた者こそ、カジノ王として名を馳せたラーズ=ドルガンという男だった。
しかし、ラーズはお世辞にも政府に対して従順な人間ではなかった。
統治権を獲得した彼は、表向きIR都市としてモルフェットを運営していたが、裏では非合法の賭博場を複数有し、私欲を満たしてもいたのである。
そんな彼が力を入れていたのが、闘奴と呼ばれる人間たちを闘わせる【血闘の宴】だった。
地球時代の遥か太古にもあったと言われる見せ物の殺し合いを、ラーズは現代に蘇らせたのである。
スポーツとしての格闘と違ったのは、武器の使用以外はなんでもありのルールに加え、生体強化や薬物強化といった行為も許されている点にある。
このため、普通の人間同士では起こり得ないような凄惨な闘いが繰り広げられ、それがまた人気を呼ぶ結果となった。
他生存圏からの客も少なからず押し寄せる【血闘の宴】は、裏社会でも最高の認知度を誇る娯楽となっていたのである――。
極めて異質と呼べる部屋だった。
十平方メートルほどもある広い室内にはベージュの壁紙が張られ、家具や調度類も高級感溢れるものとなっている。
中央に置かれたベッドは、人一人が眠るには大き過ぎるキングサイズのものだ。部屋の片隅には洗面台があり、浴室と手洗いが別に完備されている。
これだけ見れば、高級ホテルの一室と言っても過言ではなかったかも知れない。
違和感を覚えさせられるのは、光源の不足である。周囲はすべて壁であり、窓は数メートルほど上の天井にひとつあるだけだ。
照明も据え置き型のスタンドライトがふたつのみで、昼夜問わず明るい環境とは言えないだろう。
そして一番の違和感となるのは、唯一の出入口となる両開きの扉である。それは表向き部屋のイメージを損なわない見た目となっていたものの、鈍色の分厚い鋼で造られていたのだ。
豪勢な独房――この部屋を的確に表現するなら、その一言に尽きただろう。
その部屋に突き飛ばされるようにして、一人の女が入ってくる。
入口付近で黒服を着た男たちが鋭い視線を向けたあと、頷き合いながら扉を閉じた。
重苦しい音がわずか響いたあと、取り残された女は宙を見上げてたたずむ。
天窓から見えるのは星空であり、その中で青い輝きを放つ星が際立って見えた。
(今日も……終わった……)
薄闇の中で、その女――サーティナインは茫然と思う。
血生臭い闘いを終え、主たる中年男への奉仕を終えた彼女は、ふらふらと歩いてベッドに倒れ伏す。
毎日繰り返す日課の中で彼女が安らげる時は、夜も更けたこの一時だけだった。
女が唯一、人としての心を取り戻す時――。
(明日も、また変わらない)
しかし、その心は空虚だった。
物心ついた時から、彼女の人生はラーズの手の内にあった。
望まぬ生体強化を受け、闘う術を仕込まれ、やがて同じ境遇の者たちと闘い、殺した。
第二次性徴を終える頃には女として、男を悦ばせる術を仕込まれた。望まぬ知識を与えられ、望まぬ奉仕を強いられた。
そんな日々を繰り返す中で女の心が壊れたとしても、誰が不思議に思うだろうか。
生への渇望や己の意思、未来への希望など、なにひとつない。
人の肉体を持つだけの壊れた人形――それがサーティナインという女のすべてだったのである。
(なにも……変わらない……)
虚ろな女は、ただ静かに目を閉じる。
等身大のドールハウスで眠りについた人形は、夢を見ることすらもない――。
宴の翌日、ラーズ=ドルガンは一人の男と顔を合わせていた。
ダニエル=ウインドホークと名乗る男である。髪をしっかりと整え、高級感のあるスーツを着たその姿は、一見落ち着きのある壮年の男性に見えた。
しかしその挙動は、見た目に反して子供じみている。
好奇心を隠せぬようにせわしなく視線を彷徨わせている相手に対し、ラーズは憮然と告げた。
「それはできんな」
「おや? なぜでしょう?」
おどけた口振りで、ダニエルが問い返す。
ラーズの言葉がまるで理解できないといった様子だ。
大仰なため息が、室内に漏れる。
「なぜもあるまい。いきなりやってきて、あれを妻に欲しいだなどという戯言を聞かされれば、そうもなろう」
「いえ。戯言のつもりはないんですけどねぇ……」
しかし、首を傾げつつダニエルは唸るだけだ。
そのふざけた態度ゆえなのか、放った言葉は確かに本気のように感じられない。
「ですが、身請けの金を払うだけの準備はありますよ。私も商売人ですから……タダで譲れとは言いません」
「金の問題ではない。ワシがあれを手放すつもりはないと言っているのだ」
話にならんとばかりに、ラーズは言い放つ。
新進気鋭の実業家からの突然のアポイント――彼としても酔狂で面会したのだが、やはり受けねば良かったと思う。
モルフェットの支配者として君臨する自分の所有物を、ぽっと出の若造が所望するなど、不遜も良いところだ。事実、この街で自分に対等に交渉を持ち掛ける者はいないのだから。
常識に欠ける奴め。所詮は若造か――そんな思いがラーズの頭を駆け巡っている中、彼が続けて耳にしたのは意外な一言だった。
「そうですか。私は、今が売り時だと思ったんですけどねぇ?」
「なに?」
「いえ……どんな商品も旬が命。壊れたり耐用限界を迎えてから売りに出しては遅いと思いましてね」
ダニエルは変わらず飄々としたように言う。
つい先ほどまでと違い、それは身請けしようという女を完全に物として見た言葉だった。
非人道などと言うつもりも資格もないラーズだが、どこかバカにされた気になると同時に警戒心が湧く。
「……言葉遣いに気をつけることだな。若造……ワシを甘く見ないほうが良いぞ?」
「おっと……これは失礼。気分を害したのなら謝ります」
これ見よがしに口に手を当てながら、ダニエルは頭を下げる。
苛立ちを覗かせる相手に先んじるように彼は立ち上がると、進んで部屋の出入り口に向かう。
「今日はこれにて失礼しましょう。また正式にアポを取ってから伺います」
「何度来られても同じことだ。ワシの答えは変わらんぞ」
扉脇に立つ黒服たちの鋭い視線を受けながら、ダニエルは無言で肩を竦めると、再度一礼して部屋を出ていった。
改めて椅子に座り直したラーズは、足を組みながら考える。
(ダニエル=ウインドホークか。元より変わり者という噂は耳にしていたが……)
当初は奇行とも言えた行動を噂通りと捉えていた彼だが、それは隠れ蓑に過ぎないのではないかと思い直していた。
(……ただの成金の若造ではないようだ。なにか目的あってのことか……)
危機察知に人一倍優れていたがゆえに、ラーズは今の立場まで成り上がることができた。
その自慢の勘が、警鐘を鳴らしていたのである。
傍らに立つ黒服の男を一瞥し、彼は端的に命じる。
「……奴を探れ。些細なことでも報告するのだ」
「かしこまりました」
頷く黒服の姿を確認することもなく、ラーズは愛用の葉巻を取り出す。
(なんのつもりか知らんが、容易くワシを陥れられると思うなよ……)
先端を切り、火を点す。
流れ始めた紫煙を見やり、彼は不敵な笑みを浮かべるのだった。
(いや~、失敗したねぇ。余計なことを口走るのは、我ながら悪い癖だ……)
ラーズの屋敷を出たダニエルは、頭を掻きつつ内心でぼやいていた。
その表情は、やはりどこか抜けた感じのある印象だ。
(ま、やっちゃったことは仕方ないけど。どのみち正攻法では行けなさそうだしね)
しかし、目の奥に宿る光は、剣呑なものだった。
それは新進気鋭の実業家というだけでは説明できない陰を感じさせる。もっと言えば、真っ当な世界に住む人間のものではない。
(ちょっと手間だけど、これは直接当たってみるべきかな……?)
わずかに屋敷に目をやったあと、彼は髪を掻き上げつつ、ニヤリと口元を歪めた。




