(4)名もなき性闘奴
降り注ぐ無数のスポットライト。
周囲を包んでいるのは異常な熱気と、鼓膜が割れんばかりの喧騒だ。
円形の階段状に造られたホールには、多数の観衆が詰めている。誰もが皆、爛々と目を輝かせて狂気に似た笑みを浮かべている様は、どこか異質だ。
彼らの見下ろすホールの中心に存在するのは、やはり円形の壁によって閉ざされた舞台である。
無機質な硬質の床には、そこかしこに赤黒い染みが残っている。
濃く漂う鉄の臭い――それが塗料の跡などでないことは、その場の誰もが知っていた。
『さて、今宵の宴もクライマックス!! 最後のバトルは新進気鋭の百七番が、不動のチャンプ三十九番に挑む!!』
響き渡ったアナウンスに呼応するように、歓声と拍手とが巻き起こる。
ほぼ同時に舞台袖の壁が開き、相対するように二人の人間が姿を見せた。
一人は、はち切れんばかりの筋肉を搭載した傷だらけの巨漢――その目には殺意の光が宿り、敵となる相手を見つめている。
対するもう一人は、くせ毛の金髪を持った見目麗しき女である。下着のような衣装を身に着けた彼女は、その豊満な肉体を惜しげもなく晒し、観衆の興奮を煽っていた。
しかし、その顔には表情がない。人形を思わせる冷たい雰囲気だけが、周りには漂っている。
『これまでの試合では、ほとんど一撃で相手を屠ってきた挑戦者!! 圧倒的な力を持つ彼を、麗しきチャンプはどう迎え撃つのか!? これは注目です!!』
アナウンスが、場の熱狂を煽るように言う。
両者が距離を詰め、歓声が一際大きくなったタイミングを見計らって、鐘の音が響いた。
巨漢が跳躍して、女に迫る。
大柄ではあるが、そのスピードは異常に速い。振り下ろされた拳が風を巻き起こし、轟音と共に床を打ち砕いた。
粉塵が舞い、観衆がどよめく中、しかしながら女の姿はそこにない。いつの間にか宙に舞っていた彼女は、降下ざまに回し蹴りを放った。
相手の首元を狙った一撃だ。鈍い音が響くものの、それで男は怯んだ様子はない。すぐさま引き上げた拳で、返しの一撃を放つ。
空中で動きの取れない女に、鉄拳を回避する余裕はないように思われた。
それでも女の顔に、変化は生まれない。
冷めた瞳が拳の軌道を捉え、同時に女は身を逸らすと、その腕に組み付いた。伸び切った腕を支えとし、つま先が刺突のごとく相手の目を狙って繰り出される。
鮮血が散った。
苦痛の声と、驚嘆の声が辺りを包む。
その中で女は地に降り立つと、すかさず男の膝裏に蹴りを叩き込む。
がくんと崩れるように体勢を崩した彼に対し、女は倒立から足を首に絡めると、そのまま四の字に絞め上げつつ倒れるように脳天を床に叩き付けた。
リバース・フランケンシュタイナーの変形じみた技だが、威力は常人のそれを遥かに凌駕している。
固い床に落ちた男の頭部がスイカのように割れ、飛び散った血が女の身や辺り一面を派手に濡らした。
『決まった! なんと開始から一分にも満たず、チャンプが戦いを制しました!!』
あまりにも呆気ない決着だった。
アナウンスの声が響くと同時に、湧き起こる歓声。
落胆の声や怒声も、そこに混じる。
『さすがはマスター・ラーズの秘蔵っ子! 無敵の三十九番っ!!』
「サーティナイン!」
「サーティ・ナインッ!!」
闘いの舞台を包み込んでいく、熱狂的なコール。
しかし、勝利者である女はなんの感慨も見せずに死者に背を向けると、元来た袖口へと退場していった。
「素晴らしい……!!」
その闘いを見ていた観衆の中に、一際驚きを隠し切れていない男がいた。
金の短髪に、全身を紺のスーツに包んだ壮年近い男である。その目は子供のように輝き、身を大きく震わせていた。
興奮した彼は、傍らに座って酒瓶を煽っていた中年の男に話し掛ける。
「あれほどの大男を容易く倒し、傷ひとつ負わない……なにより、すべてにおいて美しい!! 彼女はいったい何者なんだ!?」
「なんだ? あんた……ここは初めてか?」
訝しげな表情を見せつつも、中年男はその問いに答えた。
「あれが、この闘技場のチャンピオンさ。登録番号三十九番……あの美しさから、熱狂的なファンも多くいるぜ」
「へぇ。サーティナイン……か……!」
壮年の男は、噛み締めるようにその単語をつぶやく。
感動に酔いしれていた様子の彼だが、やがて口から放たれたのは、意外過ぎる一言だった。
「気に入った!! 彼女を私の妻にする!!」
「ぶっ!? 正気か!?」
中年男が、思わず飲みかけの酒を噴き出した。
彼でなくとも、恐らく今の言葉を聞いた誰もが似た反応をしただろう。それほどに驚愕的な言葉だった。
「ここがどんな場所か、あんたわかってねぇのか!? 非合法の賭け闘技場だぞ? 闘ってるのはみんな金持ちの所有する闘奴と呼ばれる奴隷なんだ!」
夢見がちとも言える表情の金髪男に、中年男は言い返す。
血の臭いと狂気漂うこの場所は、人の欲望が生み出した裏社会の娯楽場だ。
そこには夢も希望もなく、暗く澱んだ人の業だけがある。
「奴らには名前すらなく番号しかない……人としての扱いなんて、されてねぇ連中なんだ。なによりあのサーティナインは、統治者ラーズ=ドルガンお気に入りの所有物なんだぜ?」
「ならば、そのラーズ=ドルガンに会って、交渉するとしよう!!」
しかし、そんな中年男の言葉にも、金髪の男は退く素振りも見せなかった。
鼻歌を歌いながら、自らの望む未来を想像して、声も高らかに言い放つ。
「これほど、心浮かれる日が来ようとは思ってもみなかった! 今日は実に素晴らしい日だぞ!!」
その様子に、他の観衆たちも奇異の視線を向けてきていた。
ここでは至極当然のことを言ったはずの中年男のほうが、むしろバツの悪そうな顔をしている。
やがて一言礼の言葉を言った金髪の男は、軽やかな足取りでその場を立ち去っていった。
(なんなんだ? あの変人は……いや、あの顔はどこかで見たような……!?)
やがて周囲の関心が薄れたところで、中年男は座り直して酒瓶を煽った。
ぼーっと記憶を辿っていた彼だが、やがて金髪男の正体を思い出して目を見開く。
(そうか! あいつは、ダニエル=ウインドホーク……ここ数年で、ベータの長者番付トップテンに名を連ねた実業家じゃねぇか……!)
ぞろぞろと場を立ち去っていく人波の中、中年男は呆然と天井を見上げているのだった。
闘いを終えた女は、薄闇の通路を歩いている。
光と熱狂に彩られた闘技舞台とは真逆で、ここは肌寒ささえ感じられる。
しかし、女の表情はまったくと言って良いほど変わらない。ただ、整然とした足音を立てて歩くだけだ。
やがてその行く手に、幾人かの人影が現れる。
黒服に身を包んだ二人の男に守られるように立っていたのは、やや小太りの中年男である。
狭所であるにも関わらず葉巻を咥えた彼は、紫煙を吐き出しつつ、やってきた女を迎えた。
「良くやった。見事な闘いだったぞ」
ねぎらうように言うも、それに対して女はわずかに頷くだけだった。
ただ、それは男にとっても当然の反応であったらしく、気にした様子もない。
彼は女の浴びた返り血を見て、言葉を続ける。
「だが、薄汚い血はとっとと洗い流したほうが良い。せっかくの美貌が台無しだ」
女の髪を梳いた男は、そのまま魅惑的な肢体に手を這わせる。
胸や尻、そして股間へと伸びる節くれだった手――それは蛇のような執拗さをもって、血濡れの肌の上を這い回る。
女は抵抗するでもなく、ただ受け入れるだけである。
男の荒い息遣いだけが、しばし通路にこだました。
「……さて、続きは帰ってからにしよう。今宵も、お前の妙技を見せてもらうぞ。サーティナインよ……」
やがて行為を終えた男は女の肩を叩きつつ、歪んだ笑みと共に言うのだった。




