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APOLLON -灼熱の特務執行官-  作者: 双首蒼竜
FILE EX4 因縁の鎖
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(3)美神の心の陰


 澱む空に、喧騒が放たれる。

 比較的新しめのビルや建物が並ぶ街並みに、老若男女問わず多くの人々が行き交う。

 絶えず道路を交錯する車の流れ。蜘蛛の巣のように張られた超電導ライナーのクリスタルチューブの下には、いくつもの店が立ち並ぶ。

 最先端と呼ぶには少し雑な雰囲気もあるが、活気溢れた街であることは誰の目から見ても明らかだった。

 この都市の名はモルフェットと言う。アートサテライト・レジデンスのベータに存在する再開発都市のひとつだ。


「……さすがに、ずいぶん変わったわね」


 その街並みを眺め、独り言ちる女がいる。

 革のジャケットとジーンズに身を包み、洒落たデザインのサングラスをかけた金髪の美女である。

 ふわふわのくせ毛をいじりつつ、彼女は視線を宙に投げた。


(今じゃあの頃の面影もなし、か……二十年も経てば、そんなもんよね)


 今度は心の中でつぶやいてみる。

 その言葉を聞く者がいたら、疑問を抱かずにはいられなかったろう。

 だからこそ、声に出すのは憚られた。


(あいつもあたしも……まともに生きてりゃ、おじさんとおばさんか)


 その女――姿を変えた特務執行官のサーナは、少し寂しげな光を瞳に宿す。

 深い雲間から覗いた光を、懐かしむような思いで見つめた。


「墓もなければ、参るつもりもなし……戻って来た理由が任務だってんだから、あたしも薄情な女よね」


 自虐的につぶやきながら、彼女は街路を歩き始めた。






 事の発端は、数時間前に遡る。

 バビロン奪還の任務は完了したが、それでカオスレイダーによる被害がなくなるわけではない。

 むしろ稼働できる特務執行官が減っていた分、掃討任務には遅れが生じていた。ゆえにひとつの任務が終われば、さしたる間も置かず次の指令が下されるという状況だったのである。


「モルフェット……ですって?」

「そうだ。次の任地はそこになる。ここ数日、不可解な殺人事件が起きていてな……」


 ライザスの指令を聞いたサーナは、その顔を強張らせた。

 口を半開きにしたまま力なく立つその姿は、普段の彼女からは想像もできない。

 そんな彼女の様子を察したライザスは、任務内容をひとしきり説明したあとで、わずかに嘆息した。


「……お前にとっては気乗りのしない任務だろうな」

「別に……つまんない心配しなくていいわ」


 我を取り戻したように、サーナはその言葉を遮った。

 どこか俯き加減ながらも、低い声音で噛み締めるようにつぶやく。


「この仕事やってりゃ、そういうこともあるでしょ。むしろ今までなかったのが不思議なくらいね……」


 そこにあったのは、絡み合った縄のような思いだ。

 そのすべてを知るのは本人だけだが、傍から見ても望ましくないものであることは一目瞭然だった。


「そうか……だが、現地での行動にはくれぐれも気を付けろ。お前の顔は、すでに割れているからな」

「言われなくても、わかってるわよ……じゃ、行ってくるわ」


 散歩にでも出掛けるような口ぶりだったが、その周りには仄暗い雰囲気が漂う。

 踵を返して立ち去るサーナをいつもの愁い顔で見送ったあと、オペレーター席の【クロト】が視線を落とした。


「どうかしたかね?【クロト】?」

「いえ……なんでもありません」


 ふと目をやったライザスは訝しげな表情を浮かべるも、【クロト】はいつも通りの返答をする。

 しかし、なんでもないと答える場合の彼女が、内になんらかの思いを抱いていることは長い付き合いの中で知っていた。

 肩を竦めたライザスは、少し厳しめに問い掛ける。


「それは、なんでもないという顔ではないな。気になることでもあるのかね?」

「……すみません。ただ、どうもモルフェットの案件は不自然な気がして……」

「不自然?」


 申し訳なさそうな表情を浮かべ、【クロト】は改めて自身の懸念を語った。

 しかし、なぜ彼女が初めから語ろうとしなかったのかの理由は、話の中ではっきりしていく。


「これまでの統計から考えると、この事件がカオスレイダー寄生者の仕業である可能性は高いです。確率的に見ても九十パーセント以上は……ですが、少し作為的な気もしたんです」

「作為的だと?」

「はい。どうしてそう感じたのか、私もうまく説明できないのですが……」


 ライザスは、ふむと頷く。

 元々が電脳人格である【クロト】は、データ化し切れていない物事を否定的に見る傾向がある。

 しかし、マテリアルボディを得ることによって、彼女は現実世界の空気感を知った。

【アトロポス】ほどではないものの、それは確実に彼女の意識に変化をもたらしていたのである。


「なるほどな。君もずいぶん人間らしいことを言うようになった……強いて言うなら女の勘、かな?」

「こんな時に、からかうような真似はやめて下さい」


 わずかに笑みを浮かべた司令官に、【クロト】は困ったような視線を向ける。

 ここ最近は重苦しい空気ばかりが漂っていたが、今この瞬間だけはそれが和らいだ気がした。


(だが、我々の行動に対して世間の関心が高まっているのは確かだ。ここで綻びが出なければ良いが……)


 しかし、それもすぐに消える。

【クロト】の懸念自体を否定できない空気が今のオリンポスを取り巻いているのも、また事実なのであった。






 モルフェットの市街地を、サーナは淡々と進む。

 いつもと違い、極めて個性の少ない格好をしている彼女に向けられる視線は少ない。

 それでも元の見た目が良いだけに、目立たないと言い切れないのも実情だ。

 任務を遂行する上で、余計な注目は避けなければならなかった。


(あの頃に比べれば、街は変わったけど……人の雰囲気は差がないわね。連続殺人が起きている割に警戒感がない……)


 心のざわめきを抑えて身を潜めながら、彼女は状況を分析する。

 きな臭い事件に対する人々の意識が薄いのは、雑多な人種の多い街に概ね共通することだ。

 しかし、パトロールカーや警官の姿がまるで見えないのも、不自然な気がした。


(それに、ここに来てから事件の報道を見ないのも不自然だわ……)


 中空に浮かぶ大型スクリーンでは、企業の宣伝や話題のコンテンツなどが流れるのみだ。

 それは、どこか情報統制されているような印象を受ける。


(とりあえずは、順番に現場を当たってみるしか……!?)


 一時的な捜査方針を固めた瞬間、サーナは目を見開いていた。

 人混みの中、遠くでこちらを一瞥した男の姿が瞳に焼き付く。


(ダニ、エル……!?)


 そんな彼女から逃げるように、男は走り出す。

 はっと我に返ったサーナは、あとを追って駆け出した。


「待ちなさいよ!」


 憚ることなく彼女は声を上げるも、男の足は止まらない。

 人混みを掻き分け、すり抜けて追う中で、先ほどまで避けていた奇異の視線が向けられてきた。

 しかし、今のサーナにそれを気にする余裕はない。

 犯人を追う警官のように必死に駆けるも、彼我の距離差はなかなか縮まらなかった。

 この時点でサーナが冷静だったなら、不自然であることに気付いたはずである。

 特務執行官である彼女が、どうして一人の人間を追い詰めることができないのか――。


(……見失った……!?)


 どれほどの時間、追いかけたのだろうか。

 いつの間にか彼女の姿は、倉庫の立ち並ぶ区画にいた。

 繁華街から大きく外れたためか、あれほどいた人の姿はなくなり、周囲には風の音だけが響いている。


(どうして……あれは間違いなくダニエルだった……)


 呆然としながら、彼女は地に両膝をついた。

 荒い息をついたその顔に浮かんでいるのは、驚きと切なさとが入り混じったような表情だ。

 やがてぽつりぽつりと雨が降り始めて、彼女の身を濡らし始める。


(でも、そんなことあるはずがない。だって、ダニエルは死んだはずだもの……!)


 顔を上げて、天を見つめる。

 降り注ぐ雨は、徐々に勢いを増していた。



「……なんで……どうしてなのよ。なんで……!」



 その頬を伝っていく液体は、雨水だけであったのか。

 狂おしい声を上げながら、サーナの意識は遥か過去へと飛んでいた――。


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