(2)暗天に思いは澱む
火星赤道直下の都市レイモス――その日はあいにくの曇り空であった。
暗雲を貫いて建つバビロンは、無数の赤い煌めきを整然と放っている。その様子は、つい先日まで戦いの場になっていたとは思えないほどだ。
遠方にそびえ立つ威容から視線を移すと、空間投影型の大型スクリーンが飛び込んでくる。
企業の宣伝の他、ネットニュースなどを発信しているものだ。街の喧騒をかき消すように流れているのは先日のバビロン攻防戦に関する報道であり、数名の人間があれやこれやと議論を交わしている。
『結果としてバビロンは奪還されたわけですが、CKOの取った作戦には非難が集中していますね』
『反政府組織に占拠された際、捕まった大勢の民間人がいたわけですが、彼らは皆帰らぬ人となりました。奪還任務に当たったCKOの特務執行官によって殺されたという話もありますね』
そこで画面の端に表示されたのは、二人の男女が多くの人間たちと向かい合っている映像だ。
助けを求めるように手を伸ばす者たちに対し、彼らは臨戦態勢を取るように身構えている。
ただ、そこから先の映像は砂嵐となってしまい、結末を見届けることはできなかった。
『この映像だけで判断するのは、さすがに尚早と言えるのではありませんかな。反政府組織の流したデマという線もある』
『しかし、特務執行官の素性があまり知られていないのも事実です。CKOの隠蔽体質は今に始まったことではない。事実、彼らの存在が公になったのも最近のことですからね』
『いずれにせよ、犠牲になった人々の遺族には顔向けできないでしょう! いかに人類の叡智の結晶たる軌道エレベーターを取り戻すためとはいえ、人の生命を犠牲にして良いわけではないのです!!』
『その通りです。人類を守るという大義を掲げている者が民間人を救えないなど、本末転倒も良いところ……CKOやオリンポスという組織には、その責任を追及すべきでしょう』
徐々にエキサイトしていくその様子を、オープンテラスのカフェテリアで、アンジェラ=ハーケンは眺めている。
彼女の顔に浮かんでいるのは、侮蔑にも似た表情だ。
(言いたいことばっか言って仕事になる人は、楽なもんですねぇ……)
この店特製のバビロンタワーパフェを頬張りつつ、内心でつぶやく。
あの連中は、なにを言っているのかと思う。
理想論や綺麗事は、彼女の最も嫌いなものだ。二十年そこそこの人生ではあるが、見てきた世界や経験は一般的な同世代の人間よりも遥かに重い。
犠牲のない戦いなど、ありはしない。
犠牲のない勝利も、ありはしない。
頭だけで物を考える連中には、それがわからない。
圧倒的な力で相手をねじ伏せ、簡単に勝利をもぎ取るチートなご都合展開など、存在しないのだ。
そういった甘さは、デザートだけにあれば良い。
「すまん。待たせたか?」
そんな思いに耽るアンジェラの背後から、男が声を掛けてくる。
振り向く素振りも見せず、少女のようなエージェントは返事をする。
「遅いですよ。あまりレディを待たせるものじゃありません。軽く先に始めちゃってました」
「軽く……ね」
その場に現れた男――特務執行官のシュメイスは、サングラスをずらしつつテーブルの上を見つめる。
クリームのついた空のグラス容器が、十を超える数で並んでいた。
「なんですか? なにか言いたそうですね?」
「いや……お前、少なくとも糖尿には気を付けろよ」
真向かいに座った彼の忠告に、アンジェラは小さく鼻を鳴らした。
「別に気にしませんね。美味しいものは我慢しても仕方ないですし。それに、そんな症状が出る歳まで生きてるつもりもありません」
「ずいぶん刹那的なことを言うんだな。もう少し、自分を大事にしたほうがいいぜ」
「ほっといて下さい」
いつも通りと言える反応に、シュメイスは苦笑するしかない。
SSSでの一件以来、顔を合わせることの多くなったアンジェラだが、相変わらず真意の掴めない女だと思う。
しかし、妙な気遣いをしなくても良い空気感を併せ持ってもいるゆえに、一緒にいて苦ではなかった。
「……で、今回呼び出したのはどういう了見だ? 単にこないだの約束を果たしてもらうためでもないんだろ?」
やや間を置き、注文したコーヒーが来たところで、シュメイスは本題を切り出した。
こうして今日、顔を合わせたのは、デートをするためではない。スイーツを奢る約束の件は別にしてもである。
「まぁ、それだけでも良かったんですけどね。ついでに忠告しておこうと思いまして」
「忠告?」
「そうです。ここ最近、いろいろ騒がれてますからね」
スプーンを置いたアンジェラは大型スクリーンを一瞥したのち、わずかに身を乗り出した。
「実は、CKOのデータバンクに不正なアクセスが頻発してるんですよ」
「不正なアクセスだと?」
「はい。足取りを掴ませないやり口は、明らかにプロの犯行ですね」
手にしたタブレット型端末を空間投影せずに、シュメイスに見せる。
リスト化された文字列を差しつつ、彼女は更に顔を寄せた。
「で、そのアクセスですけど、不審な連続殺人事件に関連するものに集中してるんです」
「不審な連続殺人事件……?」
「今までオリンポスが調べてきた事件と同じ……と言えば、わかりやすいですか?」
鳶色の瞳を間近に見ながら、問い返すのみだったシュメイスは表情を曇らせた。
アンジェラの言わんとしたところを理解し、やや声音を低くする。
「……何者かが、オリンポスのことを嗅ぎ回ってると言いたいのか?」
「断定はできませんけどね」
「だとしても、いったい誰が?」
「可能性として高いのは【宵の明星】かなと。バビロンの件でも、だいぶ煮え湯を飲まされたでしょうから」
「……確かに、無傷で明け渡すつもりはなかったみたいだからな」
そびえ立つバビロンに目をやりながら、彼は思う。
【夜明けの奇跡】が起きなければ、今頃はこの辺りも無事で済んではいなかった。
こちらとしても予想外の出来事だったが、敵としてはなおのことであり、オリンポスへの警戒心を強めてしまったことは間違いない。
姿勢を正したアンジェラは、改めて食べかけのパフェを口に運ぶ。
「ま、わたしとしては、どうでも良かったんですけどね。一緒に仕事をしたよしみとして、知らん顔ってのもどうかと思ったので」
「そうか。悪いな。アンジェラ……ありがとう」
「へぇ? シュメイスさんが礼を言うだなんて……明日は槍でも降りますかねぇ?」
「えらい言われようだな。まったく……」
からかい気味のエージェントの言葉に苦笑しつつ、シュメイスもコーヒーをすする。
しかし、その目は数秒も経たぬ内に鋭い輝きを帯びるのだった。
特務機関オリンポスの拠点パンドラ――宇宙を望む外縁の通路で、サーナは一人たたずんでいた。
その表情は、普段の彼女を知る者が見たら驚くほどに険しいものだ。どこか仄暗い感情を秘めているようにも見える。
「どうした? こんなところで……?」
靴音と共に、一人の男が声を掛けてくる。
スキンヘッドが特徴的な特務執行官のランベルだ。
特に振り向くこともなく、サーナは返答する。
「……ラン君には、関係ないわ」
「……例の映像の件なら、気にしても仕方あるまい。今後の行動は取りにくくなるがな」
彼女の思うところを察したのか、ランベルは言葉を継いだ。
ネットニュースに流れた映像――多くの人質と向かい合っていた男女は、二人のものである。
特務執行官の存在こそ公になっていたが、個人の正体はこれまで秘匿されていた。それが暴露されてしまったのだから、やりづらくなることは間違いない。
ただ、サーナの意識は、そこにあったわけでないようだ。特に返事をすることもなく、その場を立ち去ろうとする。
「どこへ行く?」
「任務に決まってるでしょ。そんなこと、いちいち説明する必要あるの?」
必要以上に刺々しい態度を見せる彼女に、ランベルは眉をひそめた。
普段も自分に対して愛想が良いとは言えないが、ここまで拒絶の意思が感じられたことはない。
「人のこと気にしてる暇があったら、訓練でもしてなさいよ。こないだみたいなことにならないようにね……」
閉口している彼に対し、サーナは捨て台詞のように言い残す。
これ以上の干渉は許さないと言わんばかりに。
(やはり、あいつらしくない。いったい、なにがあった……?)
遠ざかっていく背中を見送りながら、ランベルはどこか不安めいたものを感じていた。




