(25)怖れが呼ぶもの
バビロンでの戦いから、一日が過ぎた。
軌道エレベーターを巡る攻防の過程で発生した大規模な破壊――各所で起きた爆発は多くの人間の目に留まり、底知れぬ恐怖を生み出した。
誰もが崩壊すると思って避難を始め、混乱が大地を支配しようとしていたその時、突如として天を貫き伸びた光がバビロンを救った。
壊れかけた天柱は光の中で元の姿へと修復され、その機能を完全に取り戻したのである。
人々の反応は、様々だった。
多くの人間はそれを【夜明けの奇跡】と称し、胸を撫で下ろして神に感謝した。
対して、恐怖と驚愕とを心に刻み付けた者たちも存在していたのである――。
円柱状に造られた空間に、喧騒が起こっていた。
眼前に浮かぶスクリーンには、バビロン再生の映像が映し出されている。それを目の当たりにした者たちは、誰もが等しく驚愕の表情を浮かべていた。
【宵の明星】の意思決定機関である幹部会は、軌道エレベーターを巡る攻防で企てた目論見が水泡に帰したことで、今後の軌道修正を余儀なくされていた。
「……まさか、このようなことが起ころうとは」
「いったい、あの光はなんだったのだ? 本当に奇跡などということはあり得んだろう」
「まさか、あれまでもが特務執行官の力だと……!?」
「バカな!! そんなことがあってたまるか!!」
「……落ち着くのだ。貴兄らが取り乱してどうする?」
列席者たちの動揺の声を遮り、アルビノの青年は低く告げる。
その顔に浮かぶのは落ち着いた表情だったが、苦々しさを押し殺しているようにも見える。
「確かに、今回の件は想像もしていなかった事態だ。結果としてバビロンは崩壊することもなく、政府の手に戻ってしまった……」
崩壊を免れたことで、内部に取り残された同胞たちも大半が生き延びはした。
しかし、彼らは恐るべき力を持つ特務執行官への怖れや、自分たちの生命を犠牲に事を為そうとした組織のやり方に反発し、逃走や投降という道を選んでいた。
バビロンは数時間も経たぬ内に奪還され、再稼働もすでに始まっている。失墜しつつあった政府やCKOの威信も、少しは回復するだろう。
「だが、すべてが失敗に終わったわけではない。それは、貴兄らもわかっているはずだ」
それでも、今回の騒動がもたらした傷跡は消えない。
決定的とはいかぬまでも、世論を操る手段はいまだ残されており、状況としてはイーブンだ。
次の企ても、すでに進行している。
「確かにおっしゃる通りです。そして我らの理想を実現する上で、邪魔となる存在は排除せねばなりません……」
一人の男が答え、それに対して全員が頷く。
それぞれが異なる思いを抱く中、ひとつの決意だけが共通の認識としてあった。
(特務執行官は……葬らねばならない)
人の世にあってはならない力――彼らにとってはカオスレイダー以上に、特務執行官こそが世を乱す存在そのものだった。
全体が黒で統一された室内で、三人の男たちは顔を合わせていた。
壮年の外見を持つ彼らは皆、思い思いの格好で場にたたずんでいる。
そこに浮かぶ表情は、神妙なものだ。
「無事で、なによりじゃったな」
「……想像以上に、力の差は思い知らされたがな」
老人口調で話し掛けたガイモンに対し、緑の肌を持つアールグレイは憮然と言う。
それに対し、もう一人の男であるニーザーは嘆息を漏らした。
「それは仕方のないところでしょう。特務執行官を甘く見てはいけない」
ダイゴ=オザキの記憶を持つ彼にしてみれば、今回の敗北は意外な話でもなかった。
むしろ複数の特務執行官を相手に、良くぞ逃げ延びたと思う。
ガイモンはコンソールを操作しながら、浮かび上がったスクリーンを満足げに見上げた。
「しかし、貴重なデータは入手できた。量産型を犠牲にした甲斐はあったというものじゃ」
「事もなげに言ってくれますが、こちらとしても損失は大きかったですよ。それで、奴らに対抗する手段はできそうですか?」
「フン。そう簡単にいけば、苦労はないわ。じゃが、可能性がないわけでもない……」
ニーザーの問いに対し、彼は右手を器用に走らせる。
次いで映像として浮かび上がったのは、人型の骨格を持つ機械のような設計図だ。
「これは?」
「SPS強化兵の発展型……その素案よ。うまくいけば、特務執行官に匹敵する兵器が生まれるやも知れん」
「それは興味深いですね」
「ただ、いろいろ条件は厳しいがな。そのために必要なのが……」
ガイモンはそのまま、条件となる内容を語った。
しばし考えを巡らせていたニーザーが、やがてなにかに気付いたように口を開く。
「それなら、彼を使えば達成できそうな気がしますね」
「彼……? あいつを利用するということか?」
その言葉の意味を察したアールグレイが、更に憮然とした表情を浮かべる。
乗り気でないのが明白とも言える態度だ。
「お主としては不服かも知れんな。リンゲル……じゃが、これも目的のための手段と割り切れば良いぞ」
彼の心情を知るガイモンが、一言切って捨てたあとに説明を付け加えた。
それは利用しようとしている人物の先行きを示したものだった。
沈黙の中でその意味を理解したアールグレイは、やがて口元を歪める。
「……いいだろう。それは奴にとって、死よりも悲惨な罰となるかも知れん……」
空気の重苦しさは変わらずとも、苦々しさの消えた室内に不気味な笑いがこだました。
光と闇が交互に渦巻く異相次元の浮き島で、【統括者】たちは再び顔を合わせていた。
【ハイペリオン】は紫の目を持った同胞に、静かにその視線を向ける。
「手ひどくやられたものだね。【ムネモシュネ】」
「……油断した。あのような形で、私の動きを封じてくるとは……」
【ムネモシュネ】の姿は、いまだにブレた様相を見せている。
回避技術に優れるがゆえ、防御力と回復力は他の【統括者】たちに劣っているのが彼女の欠点であった。
「けど、君のおかげで、あの【エリス】たちのことも少しわかった。それに組織から離れた特務執行官がいることもね……」
いまいましさを残したような同胞に、【ハイペリオン】は珍しくねぎらいの言葉を掛けた。
今回の介入は情報収集が主体であったが、その目的は概ね達成できたと見て良い。
自らの力によって崩壊しつつある【エリス】や、特務執行官の名を捨て行動している者――敵側には、それぞれ複雑な事情が存在しているようだ。
もっとも、楽観視はしていられない。
「でも、特務執行官どもは確実に力を増しているわね」
「そうだね。そして、あの巨大な塔を再生させた光も気になるところだ……」
人の世を震撼させた【夜明けの奇跡】は、【統括者】たちにとっても強い懸念となるものだった。
あの時に発生した強大なエネルギーは、彼らが最も忌む【秩序の光】と同じ性質を持っていたからである。
そして、その事実が導く推論はひとつ――あの奇跡が、特務執行官の手によるものということだった。
「それで、どうするのだ? まだ様子見などと、つまらぬことを言うのではあるまいな?」
どこか苛立たしげな様子で、赤い目の影が口を開く。
【イアペトス】の声には、今すぐにでも行動を起こしたいという意思が感じられた。
そして【ハイペリオン】は、その意思を否定しなかった。
「確かに出番が来たようだよ。【イアペトス】……君には、特務執行官を個別に狩っていってもらいたい」
「ほう……! 望むところだ!! 我が力、存分に見せてくれよう!!」
嬉々として身を震わせた大柄な影から、強い混沌のエネルギーが迸る。
ここが異相空間でなければ、大気が嵐のように震えていたことだろう。
ただ、その指示に対して、他の仲間たちは訝しげだった。
「どういうことかしら?【ハイペリオン】?」
「これ以上、奴らが力をつけるのは望ましくないからね。もちろん油断は禁物だ……」
「では、私たちも特務執行官を……?」
「いや……同胞の復活を急がねばならないのは変わらない。戦いは【イアペトス】に任せて、君たちは今まで以上に眷属の覚醒を促して欲しい」
「?……あなたは、どうするの?」
君たちという言葉を使ったことに、【テイアー】が引っ掛かりを覚えたようだ。
【ハイペリオン】は改めて、銀眼の同胞を見た。
「僕は……あの光の正体を突き止めようと思う」
一言そう答える彼だったが、その内心には別の懸念も潜んでいた。
その懸念はあまり根拠がなく、口にするのが憚られたのかも知れない。
(……恐らくはあの光こそが、奴の待ち望んでいたものかも知れない……)
自分たちと同じ姿を持つ敵を思い、【ハイペリオン】は中空に視線を投げた。
特務執行官たちの奮戦により、失われつつあった光は呼び戻された。
しかし、それはより複雑かつ激しさを増す戦いへの道標だったのか。
悪意は増し、様々な思惑が絡み合う中で、未来は更なる混沌へと様相を変えていく――。
FILE 12 ― MISSION COMPLETE ―




