(24)崩壊を阻止する力
それは明らかに油断だった。
ルナルの帰還、そしてバビロンの爆破――立て続けに続いた衝撃的な出来事の中で、特務執行官たちは失念していたのである。
SPS強化兵――反政府組織の手駒である者たちが、この場に存在していた事実に。
「なにしてくれんのよ! こんのクソ野郎がああぁぁぁぁっっ!!」
いつになく荒っぽい言葉を吐きながら接敵したサーナが、キームンを殴り飛ばした。
この中では最も戦闘能力のなかった【アトロポス】をあえて狙ったことに、彼女は怒りを抑え切れなかったのだろう。
容赦のない一撃を食らったキームンは数十メートルも吹き飛んで床を転がり、その仮面は粉々に砕け散った。
「!!……な、なによ!? あいつ!?」
しかし、そこで全員の目が見開かれる。
アールグレイやダージリンは仮面の下に人の顔を持っていたが、キームンは機械剥き出しの骸骨のような頭部をしていた。
その姿はどちらかといえば、サイボーグやロボットのように見える。
「奴を止めろ!!」
ややあって、特務執行官たちは焦燥に満ちた声を聞く。
全員の視線が向く中、そこにはうな垂れた【アトロポス】を抱えた男の姿があった。
別行動を取っていた特務執行官のシュメイスである。
「シュメイス!? 爆弾はどうなった!? アトロはだいじょうぶなのか!?」
夥しい汗を流して立つ彼に、ソルドは立て続けに問い掛けた。
呼吸を整え頷きつつも、シュメイスは厳しい表情のまま答える。
「処理は済んだし、アトロもそこまでダメージを負ったわけじゃない! それよりも奴だ!! このままだと自爆するぞ!!」
「なに!?」
ただならぬ言葉に、ソルドはすぐスキャニングモードを起動した。
キームンのSPS細胞に覆われた身体の内部に、複数の物質の凝縮された反応がある。
その解析を瞬時に終えた青年の顔に、戦慄が走った。
「……この物質構成要素は、サーモバリックか!? ということは、奴自身が……!!」
「そうだ! 奴はSPS強化兵であると同時に、高性能爆弾そのものだ!!」
誰もがその瞬間、飛ぶように動いていた。
キームンが有する最後の攻撃手段にして、最悪の罠――それこそが自身を爆弾と化すものだった。
TNT爆薬の数十倍に当たる威力の爆発が起これば、この場所は更なる大破壊に見舞われる。それは結果としてバビロンの耐久バランスを崩し、崩壊を招く要因となってしまうのだ。
「……特ム執行カン……抹サツ、スル……」
しかし、ソルドたちの行動は一手遅れた。
彼らがキームンを止めようとした瞬間、無機質な声と共に強化兵の肉体が膨張するように弾けたのだ。
そして、爆発的な閃光が辺りを包んでいったのである――。
明けの太陽が昇る空の下で、轟音が響いている。
遥か天を貫いて建つ塔が、そこかしこで炎を上げていた。
そして、その基幹部となっている建築物の一角に今、巨大な火柱が立ち昇った。
「やったか……キームン」
バビロンのゲートを出たところで、アールグレイはつぶやいた。
仮面を外したその目には、冷徹な光だけが浮かぶ。
「博士も良く考えるものね……」
「量産型とはいえ、彼らには実験要素も含まれていたようだ。これで特務執行官を倒せるとも思わんが、手痛い一矢にはなっただろう」
ダージリンの呆れたようにも聞こえる言葉に、彼は嘆息した。
実際、キームンの自爆指令権限を与えられ実行はしたものの、あまりスマートなやり方とは言えない。兵士としてはさておき、戦士としては矜持の許さぬ手段だったのだ。
「時間がない。まもなくバビロンの地上部分は崩れる。速やかに離れるぞ」
「ええ……」
爆発に続いて、バビロン全体に亀裂が走っていく様子が見えた。
どのような形で崩壊するかはわからなかったが、少なくともこの場は安全圏ではない。いずれレイモスを含む近郊のすべてが、大惨事に見舞われるだろう。
SPS強化兵である彼らの能力を持ってすら、逃げ切れるかどうかは賭けであった。
(ソルド……あなたは……)
二人はためらうことなく疾風となって、その場から走り出す。
しかし、ダージリンの心には、先刻の光景が焼き付いたままだった――。
壊れた天井から、陽の光が降り注ぐ。
その光に照らされる中で、灼熱の業火が辺りを包んでいた。
気化した爆薬が炎の魔物となって、すべてを嬲り尽くしていく。この場に生物がいたならば、焼けただれて窒息して死を招くことは間違いない。
しかし、そんな炎の中でも変わらずに存在し続ける者たちがいる。
自身を光の防御壁に包み込んでいた彼らは、火勢が収まったのを見計らって崩落した瓦礫を押し退け、立ち上がった。
「……みんな、無事か!?」
「なんとかってとこね。まったく、とんでもないことしてくれるわ……」
ソルドの問いに、サーナが煤を払いつつ答える。
他の者たちも、特に今の爆発で負ったダメージはないようだ。
もっとも、防壁の展開が間一髪だったことは事実であり、特務執行官全員の顔には冷や汗めいたものが浮かんでいる。
「ですけど……これは……まずいです……!」
やがて、苦悶の表情を浮かべながら【アトロポス】がつぶやいた。
キームンに殴られた肩口辺りを押さえつつ、傍らのシュメイスに力なく寄りかかる。
彼女の言葉を裏付けるかのように、周囲の壁や床が亀裂を拡大させて伸びていた。
それに伴い、振動もより激しさを増していく。
「くそ! 明らかにバビロンが壊れ始めている……!」
「ちょっと! まさか倒れるんじゃないでしょうね!?」
「本体が倒れることはないだろうが、地上の外殻部は砕けて倒壊するだろう。このままでは周辺の被害も、とんでもないものになるぞ……!」
ランベルが、状況を正確に読み取る。
衛星軌道から吊り下げられてバランスを保つ軌道エレベーターは、通常の建築物のような倒壊をすることはない。しかし、地上から一キロ程度に渡って伸びる外殻部は別であり、バランスを失えば重力に従って崩れるのは自明の理である。
「みんな、私に力を貸して!!」
「どうする気だ? ルナル!?」
「原子変換システムで、バビロンを修復するの!!」
緊張が高まる中、突然声を張り上げたルナルは荒唐無稽な提案をした。
その言葉に誰もが呆気にとられ、固まってしまう。
「バカ言うな!! こんな巨大なものをすぐ直せるわけないだろ!!」
シュメイスが、全員の気持ちを代弁して叫んだ。
確かに特務執行官の原子変換システムは、あらゆる物体の組成を書き換えることができる。生命を蘇らせることはできないが、無機物なら修復することは可能なはずだ。
それでもバビロンほどの超巨大建造物を元の姿に戻すなど、どう考えても短時間でできることではない。
「できる!! みんなが力を貸してくれれば!!」
しかし、その反論に対してもルナルは退かなかった。
意地になっているわけではない様子を見たソルドは、冷静さを取り戻して問い掛ける。
「ルナル……なにか根拠があるのか?」
「それしか方法はないって……コスモスティアの意思が、そう言ってるの! だから兄様、私を信じて……!!」
ルナルは目を逸らすこともなく、兄に告げた。
強く輝く白銀の瞳が、真っ直ぐに黄金の瞳を射ていた。
ややあって、ソルドは深く頷く。
「……よし。やろう」
「ソルド!?」
「どのみちこのままでは、崩壊を待つばかりだ。人々を……多くの生命を守るために、私たちが止めるしかない!」
「うむ……迷っている暇はなさそうだな」
その言葉を受け、場の誰もが意思を固める。
たとえ荒唐無稽であろうと、行動しなければ状況は変わらない――それはこれまでの戦いの中でも証明されてきたことだ。
特務執行官たちはすぐにルナルの指示に従い、円陣を描くように集った。
そして差し出した手を重ね合わせ、原子変換システムを起動する。
壊れつつある威容を元に戻すため、全員は目を閉じて記憶・記録の中のバビロンをイメージした。
「想いを繋ぐ【絆の光】よ……私たちに力を!!」
それを確認したルナルは、意識を集中して叫ぶ。
同時に円陣から凄まじい光の柱が立ち昇り、それが縦横に拡大するように広がった。
「……これは……なんて……温かな光……!」
破壊の音を打ち消していく白銀の光――その中に一人立っていた【アトロポス】は、生まれて初めて奇跡という光景を目の当たりにしたのであった。




