(15)絡み合う女神たち
ソルドがサーナたちを救出する少し前に、時間は遡る。
戦いの中、もつれ合いながら大気圏に突入したアーシェリーと【エリス】は、レイモスから数十キロほど離れた荒野に落着していた。
「う……」
吹き荒ぶ風と砂の中に、焦げた臭いが入り混じる。
地に穿たれたクレーターのような穴の底で、アーシェリーは身動きもできずにいた。
すでにA.C.Eモードは解除されており、衣服すらも失った裸身は土砂まみれで、あちらこちらに火傷のような跡と血が滲んでいる。
「アー、シェリィ……アァ、シェリィ……」
そんな彼女から十メートルほど離れたところに倒れていた【エリス】は、幽鬼のように立ち上がる。
黒き女の身もアーシェリーとほぼ同様の姿であり、満身創痍に近い状態だ。
しかし、その双眸が放つ歪な輝きは失われていなかった。
「言え……言え……お前は、なにを奪っ、た……!」
夢遊病者のように、【エリス】はふらふらと宿敵に歩み寄る。
そのままつまづいたように倒れ込み、二人の女は重なり合う形となった。
身を襲った衝撃に意識を取り戻したアーシェリーは、わずかにその視線を動かす。
緋色に輝く瞳が、間近で彼女の顔を見つめていた。
「言わないなら……私が、奪う……お前の……すべて、を……!」
虚ろでいて、しかし強い狂気を伴った声であった。
身を捩ろうとするアーシェリーを抱き締めるように捕まえ、【エリス】はその身体をまさぐる。
「……あぁっ!」
熱い吐息が、首元に吹きかけられる。
豊満な胸を揉みしだかれ、敏感な部分に滑り込んだ指の動きに、アーシェリーは思わず嬌声を上げる。
黒き女がこのような行為を仕掛けてくるのは初ではないが、これが駆け引きなのか性癖なのかすらも判断が付かない。
それでも、はっきりしていることがある。
全身を甘美な感覚に晒される中、アーシェリーは懇願するような声で、それを告げた。
「【エリス】……いえ、アレクシア。も、もう止めて下さい……このままでは、あなたは消えてしまう……」
「なに、を……うぅっ!!」
突然【エリス】は頭を押さえ、苦痛の叫びを上げる。
同時にその身から、霧のような闇が噴き出したかに見えた。
意図せずに拘束から解き放たれたアーシェリーは、倒れ転がるように身を離す。
「【虚無の深闇】は、あなたを……あなたの存在を呑み込んでいくのです。あなたは【レア】に利用されている……!」
「うるさい……それが、どうしたと、いう……!」
しかしながら、【エリス】は首を振る。
彼女自身、己になにが起きているのかは薄々わかっていた。いや、すでにそれすらもわからなくなりつつあるのか――。
憎悪と狂気の増大に反し、記憶と思い出は消えていく。どれだけ望んでも、もはや戻ることはない。
「私にとっては……お前が、すべて……今の、私を満たすのは……もはや、お前のみ……!」
「アレク、シア……」
「さぁ、来い……アーシェリー!!」
雄叫びと共に【エリス】は黒き槍を生み出し、再び立ち上がる。
そして、彼女の言葉にアーシェリーも悟った。
消え失せようとする今の黒き女を支えているのは、自分への執着のみなのだということを――。
「……わかりました」
言葉で語る必要は、もはやない。
そもそも、それをする資格すら自分にはないのだと、アーシェリーは思い返していた。
力を振り絞って立ち上がりながら、彼女も銀の槍を握り締める。
「行くぞ! うっ!?」
「くっ!?」
しかし、身構えた瞬間、両者は再び膝をついた。
唐突に降り注いだ不可視の力が、二人を地に圧し付けたのである。
ほぼ同時に、その場に現れた黒い影があった。
「……その話、もう少し詳しく聞かせて欲しいわ」
「あなたは……!?」
「……その滅びの力に、興味がある」
紫色に輝く不気味な双眸が、アーシェリーたちを捉える。
先日、バビロンで遭遇した【統括者】――【ムネモシュネ】は、感情を感じさせない声で言った。
「邪魔をするなっ!【統括者】っ!!」
因縁の対決に割り込んできた黒い影に対し、即座に重圧を撥ね退けた【エリス】は槍を投げ放つ。
風を巻いて飛んだそれは敵を貫くかに見えたが、寸前で【ムネモシュネ】は後ろに倒れて回避した。
次いで映像の逆回しのように、その身は起き上がる。
(また……! あの奇妙な動きはいったい……?)
その光景を見て、アーシェリーは眉をひそめる。
【ムネモシュネ】の見せる予測不能の挙動――【統括者】が人体と同じ構造をしていないとはいえ、あまりに奇抜過ぎる動きだ。
「おのれっ!」
【エリス】は憤りもあらわに、【ムネモシュネ】に飛び掛かる。
深闇の力を宿した突きや蹴りが空を裂く。それはかつて【ハイペリオン】を退けたものと同じだ。
しかし、その攻撃はやはり縦横無尽に回避される。
いかに威力のある攻撃でも、当たらなければ意味がない。
(あの動きの謎を解かない限り、すべての攻撃は徒労に終わる……ですが……!?)
「あなたは、なにか知っているのでしょう?」
戦慄に立ち竦むアーシェリーの傍らで、いきなり声が聞こえた。
いつの間にか【ムネモシュネ】は、彼女のすぐ横まで移動していたのだ。
気が付いて飛び退こうとしたのも束の間、すぐにアーシェリーは地面に叩き付けられる。
「あぐっ!?」
「聞かせて欲しいわ……特務執行官……」
両手足が地面に縫い付けられたように、不可視の力で拘束されていた。
力を振り絞っても、まったく動くことができない。
それどころか拘束は更に強まり、手首足首に押し潰されるような激痛が走る。
「うああああぁあぁぁっっ!!」
「言えば、苦しまずに殺す……言わなければ、苦しめて殺すわ」
「貴様っっ!!」
再度【エリス】は追随して攻撃を繰り出すが、【ムネモシュネ】は意に介した様子も見せない。
風に舞う木の葉のように攻撃を回避しながらも、アーシェリーへの負荷を切らすことはない。
「ちょろちょろと変な動きをっ……うっ! ぐふっ!」
息を切らした【エリス】は再び頭を押さえると、次いで吹き出すように吐血した。
同時に身に纏っていたエネルギーも、急激に弱まる。
その隙を見逃さないとばかりに、不可視の重圧が黒き女を再び地に押し倒した。
「……どうやら限界みたいね。もう少し観察したかったけど……」
「ア、アレクシアッ……!」
這いつくばりながら、アーシェリーは必死に手を伸ばすが、それが【エリス】に届くことはない。
【エリス】自身も意識が朦朧としているのか、わずかに身を震わすだけだ。もはや【統括者】に抗う力は、彼女に残されていなかった。
「じゃあ、改めてあなたに訊くわ……この女の力がなんなのか」
「く……それを、知って……どうしようというのです?」
「あなたが気にする必要はない。ただ、言えば良いだけ……どうするのかしら?」
【ムネモシュネ】はあくまで淡々と言いながら、重圧を強める。
それまで手首足首のみだった痛みが全身に広がった。
巨大な鉄球を落とされたかのように、アーシェリーを中心として円形状の窪みが生まれていく。
「うあああぁあぁあぁぁっっ!!」
「さぁ……言いなさい」
恐るべき力に苦しみつつも、アーシェリーは【エリス】に目を向けていた。
黒き女は今、身動きもできぬままに果てようとしている。
アーシェリー自身の犯した罪によって運命を狂わされた女――闇に堕ち、混沌の力を取り込み、死の淵からも、虚無の力にて舞い戻ってきた。
そんな彼女を、このような形で失ってはいけないと思った。
独善と呼ばれようと、因縁の決着は自分との間で為されなければならないのだと――。
「言いは……しない! そして、アレクシアも死なせない! ここで、あなたを……倒す!!」
「無駄なことを……っ!?」
重圧を強めようとした【ムネモシュネ】だが、すぐにその目が見開かれる。
アーシェリーの全身が緑の光に包まれ、凄まじいエネルギーを帯び始めていた。
それに呼応するように、圧力を撥ね退けた彼女は徐々に身を起こしていく。
(【秩序の光】……! この特務執行官、真の力を開放して……!?)
初めて感情らしきものの片鱗を見せた【統括者】の前で、緑髪の女神は完全に立ち上がった。
その闘志の激しさを示すように、旋風のような風が周囲に吹き荒れた。




