(14)沈みゆく絆
時が一瞬、凍り付いた。
ルナルの、そしてミュスカの表情が驚愕に変わる。
アイダスの口から槍のように大きくなった舌が伸び、ルナルの肩口をかすめてミュスカの胸を貫いていた。
「あ……お兄、ちゃ、ん……なん、で……?」
なにが起こったのか、ミュスカにも理解できなかったのだろう。
ゆっくりと舌が引き抜かれた瞬間、彼女の身体は床板に崩れ落ちていく。
愛しさや嬉しさ、悲しみや戸惑いといったごちゃ混ぜの感情が、ミュスカの心に渦を巻く。
その瞳が涙に濡れ、宙に透明な輝きを残した。
「お、兄……ちゃん……」
「みゅすか……みゅす、か……ウ、ウワハハハアアアアアァァァァァァアァァァ!!!」
その瞬間、狂ったような声をあげてアイダスは哄笑する。
そんな彼を突き放し、ルナルはミュスカの傍に跪いた。
「しっかり! しっかりして……!」
少女を抱き起こして呼び掛けようとするも、すぐにその表情は悲痛なものに変わった。
ミュスカは、すでに絶命していたのだ。アイダスの舌は無慈悲にも、彼女の心臓を一撃で貫いていたのである。
特務執行官の持つ再生治療能力をもってしても、すでに蘇生は不可能だった。
(こんな……守れ……なかった……! こんな近くにいて……私は……わたし、は……っ!)
ミュスカの亡骸を抱きしめ、ルナルは身を震わせる。
ソルドから頼まれ、自分もまた守り抜こうと思い始めていた少女を、あっけなく死なせてしまった。
特務執行官として、痛恨の失態であった。
溢れる涙を拭うこともなく、彼女は笑っているアイダスを強く睨みつける。
アイダスの身体はすでに変態しており、暗緑色のトカゲのような姿に変わっていた。
その姿は、衛星軌道で戦ったあのトカゲと瓜二つであった。
「カオスレイダアァァァァッッ!!」
空気を裂くような怒声と共に、ルナルは強烈な光の一撃を放つ。
彗星のように飛んだ閃光が、トカゲを外へと弾き飛ばした。
「グ……ウハハハ、ハハハハハハ……! ミナギルゾ! ぱわーガ溢レル!!」
玄関を突き破り、地面を転がりながらも、トカゲは何事もなかったかのように立ち上がる。
暗緑色の身体が膨れ上がり、元の姿から一回り以上に巨大化した。
(通じない!? それどころか更に大きくなって……!)
飛び出したルナルは、敵の変化に驚愕する。
少なくとも先の攻撃は、ゾンビでも一撃で粉砕するだけのパワーがあった。
しかし、目の前のトカゲはダメージすら受けた形跡がないのである。
(力を吸収されたというの!? そんな……まさか、SPSの作用!?)
対峙したまま、ルナルは次の一手を探しあぐねる。
渾身とはいかぬまでも手加減していない一撃を受け止められた以上、迂闊な攻撃はできない。
だが、次の瞬間、横から高速で突っ込んできた赤い影がトカゲを突き飛ばしていた。
「ルナル!! 無事か!!」
「兄様!?」
そこに現れたのは、ソルドであった。
彼はルナルの無事な姿にほっとした表情を浮かべるも、すぐに大穴の開いた玄関奥を見て、色を失う。
「っ!? バカ、な……ミュス、カ?」
「ごめん……なさい……兄様……」
血溜まりの中に横たわる少女と、妹の悲痛な顔を交互に見つめ、ソルドは状況を察した。
その手を音がするほどに強く握り締め、彼は立ち上がってきたトカゲを見据える。
「マタ、邪魔者カ……ナニヤツダ?」
「く……我は太陽……炎の守護者! 絶望導く悪の輩を、正義の炎が焼き尽くす!」
怒りの声と共に、ソルドは吠える。
そのまま、トカゲに向かって一直線に飛んだ。
「我が名は……特務執行官【アポロン】!!」
「フン! シャラクサイ!!」
だが、トカゲはソルドの突撃を、今度は受け止めた。
アスファルトが音をたてて抉れるものの、やがて両者の力は拮抗して動きを止める。
(バカな!? これが覚醒直後のカオスレイダーだと!?)
さすがのソルドも、驚きを隠せなかった。
目の前の敵が、元のアイダス=キルトであることは想像できた。だとすれば、覚醒直後のはずである。
今までのカオスレイダーと同様なら、そもそも彼の突進を止めることすらできないはずだ。
一度、後方に飛び退って体勢を整えるソルドに、トカゲは赤い瞳を輝かせる。
その口からいくつもの火球が吐き出され、ソルドの周囲で炸裂した。
「く……」
巻き起こった轟音と爆風の中から、彼は宙に逃れる。
しかし、トカゲはそれを予期していたかのように、追撃の手を加えてきた。
いつの間にかソルドの眼前まで跳躍してきたトカゲは、その剛腕を思い切り振るう。
すかさず腕でガードするも、そのままソルドは地上に叩き落とされる。
アスファルトが陥没する衝撃に、彼の表情が歪んだ。
更にトカゲは己の舌を槍のように伸ばし、ソルドの胸板を貫こうとする。
「させる……かっ!」
その舌を直前で掴み止めたソルドは、渾身の力で真横に振るう。
彼を支えとして中空に留まる形となっていたトカゲは、そのまま遠心力で地面に叩き付けられた。
(なんというパワーだ。これは中級……いや、上級のカオスレイダーにすら匹敵するかもしれん!)
立ち上がったソルドはやや息を弾ませつつ、いまだ沈んだ表情をしているルナルに声をかけた。
「ルナル! 今は戦え!! これ以上の犠牲を出さないためにも!!」
「我は、月光……静寂の、守護者……安らぎ乱す、悪の輩を……正義の光で、貫かん……」
その兄の言葉に、ルナルは低くつぶやくように名乗りの言葉を紡いでいく。
己の心を静め、新たな闘志を奮い立たせるために。
そして次の瞬間、彼女は強い決意と共にトカゲに飛びかかった。
「我が名は……特務執行官【アルテミス】!!」
「フン! コザカシイ!!」
全身に強い光を宿したルナルは、トカゲと両手をがっちり組み合った。
図らずも、先ほどアイダスを止め損なった時と同じ体勢だ。
しかし、今度は力負けしていない。
逆にトカゲを押し込むようにじりじりと後退させながら、彼女は声を張り上げた。
「兄様! こいつに私の力は通じない! むしろ逆にパワーを与えてしまう……だから私が抑えている内に、全力で焼き尽くして!!」
「ルナル……わかった!」
ソルドはやや逡巡したが、妹の覚悟を感じ取ったのか、すぐに頷いた。
そもそも先刻の攻防から判断しても、手加減などできない相手だ。
体内の無限稼働炉が唸りをあげ、全身から凄まじい大きさの炎が迸る。
眩いばかりの七色の炎――それを溜めるようにゆっくりと両手に集め、彼は力強く前へ突き出した。
「燃え尽きろ! カオスレイダー!!」
爆発的に膨れ上がった炎が、手元から撃ち放たれる。
ソルドの身体が反動で後ろに流れ、アスファルトが大きく抉れる。
炎は組み合うルナルたちを包み込み、一瞬で巨大な炎の竜巻となった。
暗天を染め上げるかのように、紅蓮の輝きが躍る。
「グワオオオォォォォオオォォォォ……!! コ、コレハアァァァァ……!!」
「これで……終わりよ!!」
猛火の中で絶叫するトカゲを見ながら、ルナルは更なる力を込める。
銀の瞳が紅い光に照らされ、彼女の怒りを映し出す。
トカゲの両手が砕け散り、その端から消し炭に変わって宙に舞っていく。
そのまま彼女は振り上げた手刀を、相手の脳天に叩き下ろした。
暗緑色の頭蓋が大きくひしゃげ、飛び出した瞳が中空を見つめる。
「ゴゲガガガアァァ……みゅす、かあァァァァ……」
その断末魔の声に重なったのは、自らが葬った妹の名前であった――。
「ルナル! だいじょうぶか!!」
炎の竜巻が消え失せたあと、ソルドは妹の傍へ駆け寄った。
すでにトカゲの姿は、どこにもない。
灼熱の業火は、敵の身体を欠片も残さず焼き尽くしたのだ。
そして同じ業火の中心にいたルナルは、両膝をついてがっくりとうなだれている。
「しっかりしろ! ルナル……!?」
全身煤だらけになったルナルの両肩を掴み、ソルドは心配そうな声をあげる。
あの火炎竜巻は、今までの任務でも数えるほどしか使ったことがないものだ。
普段なら選択対象のみを焼き尽くす炎でも、あれに関しては完全に例外である。
まして、敵と組み合った状態で炎を浴びたルナルにも相当のダメージがあったはずだ。
「にいさま……ごめん、なさい……」
しかし、ルナルの顔にあったのは、苦しみの表情ではなかった。
大粒の涙を溢れさせ、彼女は兄の顔を見上げると、その胸にがばっと顔をうずめた。
「にいさま……ごめんなさい。わたし……わたし……守れなかった……うわああぁぁぁぁぁああぁぁぁぁ……!!」
ルナルは、号泣する。
人目もはばからない大きな声で、泣きじゃくる。
その姿は昔、ソルドが何度も見てきた妹の姿とまったく同じであった。
「ルナル……違う! すべては、私の不甲斐なさが招いたことだ! お前が気に病む話ではない!」
愛妹をしっかりと抱き締め、ソルドは絞り出すように叫ぶ。
ミュスカの思いを知ろうともせず、無責任に対応を押し付けたのは自分だ。
責められこそすれ、彼がルナルを責める権利など、どこにあろう。
(ミュスカ……すまん。私は結局、なにもできなかった。こんなことで……なにが特務執行官だ)
ミュスカの家に目をやったソルドは、ただ詫びるように頭を下げ続けた。
虚ろな風の音が響き渡る。
それは悲しみの中に沈んだ兄妹たちの、嘆きの音色か。
混沌に侵された者も、混沌を払う者も、行き着く先は等しく同じ悲劇の深淵。
戦い続けたその先に、輝ける未来は見えてくるのだろうか。
二人の兄妹は、寄り添いながら自問自答し続ける。
守ることも救うこともできなかった兄妹に、謝罪の言葉さえ見つけることのできないまま――。
FILE 2 ― MISSION COMPLETE ―




