(13)意地と絆の突破口
その光景を見た者は、文字通りリンチだと思ったろう。
奇声を上げる亡者たちによって、男の身に攻撃が加えられていく。
風を巻いて繰り出された拳や蹴りが当たるたび、重苦しい音が響く。
一撃ごとに、男の顔が歪む。しかし、人の身など軽く肉塊に変わる打撃を何度浴びつつも、彼は不動を保ち続ける。
(なにやってんの……? なにやってんのよ!)
そんな仲間――ランベルの姿を、呆然とサーナは見つめる。
巨漢の体躯によって入口の窪みが塞がれているため、敵の攻撃が彼女に届くことはない。少なくとも男が倒れない限りは――。
『……君を守る……それが……』
サーナは、それと似た光景を知っていた。
それは遥か昔、まだ彼女が人間だった頃の記憶だ。
彼女自身にとって苦く、いまいましい記憶――。
「やめてよ……!! なにやってんのよ!!」
苛立たしげに、声を張り上げる。
それは普段の彼女からは想像もできないほどに震えてもいた。
「そんな自己犠牲、まっぴらなのよ!! なにも考えてない、ただの自己満足なんてっ!!」
「……なにを、言っている。俺は……自分の役割を、果たすに、過ぎん……」
悲痛な仲間の訴えに、しかしながらランベルは感情を動かさない。
その身に血を滲ませつつ、彼は淡々と言葉を紡ぐ。
「無謀、愚か……結構だ。どんな無様な真似をしようとも、任務を果たす……それが、【影の猟犬】の誇り……」
ただ、その言葉は答えになっておらず、独り言のようにも聞こえた。
考えて放たれたものではない。記憶の奥底に刻まれた言葉が、ふと漏れ出てきたように――。
刹那、二人の時は止まり、やがて共に我に返った。
「サーナ……ここは、俺が抑える。早く、扉をブチ破れ……!」
立ち上がる女の気配を感じ取りながら、ランベルは言う。
特務執行官で最も頑強な彼だからこそ可能な肉の防壁だが、それでも限界はある。
目元をこすったサーナは、背中越しに返答する。
「……あたしにまた感電しろって言いたいわけ?」
「サンド、バッグになるほうが、好みなら……代わるが……?」
「……あいにく、マゾの気はないのよ」
お互い軽口めいたやり取りだったが、その顔は笑っていなかった。
改めて拳を握り締めたサーナは、それを目の前の扉に叩き付ける。
再び強烈なスパークが彼女の身を襲った。
「ぐううううぅぅっっ!!」
苦痛に呻くも、今度は倒れない。
二度の拳撃で歪んだ扉を睨み付け、サーナは三度拳を振りかぶる。
「つまんない真似、して……! 特務執行官、なめてんじゃないわよおおおぉぉっっ!!!」
怒声にも似た叫びと共に、彼女の手が光に包まれた。
コスモスティア・エネルギーの集約された拳が炸裂すると同時に空間を眩く照らす閃光が放たれ、次いで壁のようだった鋼鉄の扉は轟音と共に外側へ吹き飛ばされていた。
(なぜ……なぜ、姉さんの声が?)
光り輝く防壁に目を戻しつつも、【アトロポス】はいまだにわけがわからずにいた。
【ヘカテイア】によって消滅させられた姉が、ここにいるはずがない。しかし、先ほど彼女を救った声の主は、間違いなく【ラケシス】だった。
『アトロ!!』
刹那、呆然としたままの彼女の頭に声が響く。
それは幻聴と違う明確な通信の音声だ。
『シュメイスさん? だいじょうぶなんですか?』
『まぁな。めんどくさい奴だったが、なんとか片付いた。で、お前はなにをしてるんだ?』
声の主は、シュメイスだった。
どうやらディンブラとの決着はついたらしく、今はサブコントロールルームに置いてあるマテリアルボディを経由して話し掛けてきているらしい。
【アトロポス】は、システムにダイブした理由を簡潔に伝えた。
『そうか。ランベルがそんなことを……』
『はい。ですが、今のわたしの力ではこの防壁を突破することはできません。無効化するにしても、迂闊に手を出せば攻撃されてしまいますし……』
シュメイスは唸るような声を漏らすと、しばし黙した。
姿が見えないためはっきりと言えないが、なにか考え込んでいるのかも知れない。
自らも打開策を考えつつデータの海を漂う【アトロポス】だったが、再び語り掛けてくる声を聞いた。
『あたしが手を貸そうか?』
『そ、その声……!? やっぱり【ラケシス】姉さん!?』
『残念ながら、違うかな。まったく外れでもないんだけど……』
その言葉と共に、突如彼女の前に現れたペルソナがある。
黒髪短髪の少女――それは紛れもなく、かつての姉であった電脳人格【ラケシス】と同じものだ。
唯一の違いは、今の【アトロポス】の十分の一くらいのサイズという点だろうか。
『あたしは、バビロンの映像管理システムに入り込んでるターミナル・プログラム……わかりやすく言っちゃうと、【ラケシス】の端末ね』
『姉さんの端末!? ど、どうしてそんなものが……あ……!』
まるで物語に出てくる妖精のような相手を見つめていた【アトロポス】は、そこでなにかに気付いたようだった。
人で言うところの記憶――過去のデータの中に、その答えがあったのである。
『え? 姉さん、なんでそんなことをしたんですか?』
それは数年ほど前、【モイライ】の管理を引き継いだ時の話だ。
【ラケシス】が人類圏の主要な施設のコンピューターに、分身となるプログラムを忍ばせたというのである。
『ん? まぁ、保険かな。確かに【モイライ】の能力だったら、どんなコンピューターにも入れちゃうんだけど、いつなにが起こるかわからないしさ……』
その時の【ラケシス】は、明確な理由を言わなかった。
もっとも、電脳人格の割に彼女が論理的な話をしたことは少なく、ゆえにその行動の真意を理解できた例もほぼない。
『それに、このほうがリアルタイムで情報も掴みやすいしさ。ほら、あたしって仕事熱心だから!』
『そ、そういうものですか……?』
いたずらっぽく笑った姉に若干気圧されつつ、【アトロポス】はただ困惑した表情を浮かべるのみだった。
あとで知ったことだが、【ラケシス】は良く人間観察を行っていたらしい。
定期的なメンテナンスチェックの中で、かなり余計なデータを溜め込んでいたとエルシオーネは漏らしていたが、電脳人格の成長を見守る母がそれを咎めることはなく、むしろ推奨すらしていたようだ。
結果として【ラケシス】は三姉妹の中で最も情緒豊かな性格になったのだが、それが原因で憎しみに囚われ消滅してしまったのは皮肉な話である。
『でも、なぜその姉さんの端末が機能してるんです?』
『ん~……なんでだろ? あたしもわかんないのよね。なんかいきなり再起動したというか……』
ただ、【アトロポス】の疑問は、完全に消えない。
【ラケシス】の端末なら本体が消えてしまった今、その機能を失っているはずなのだ。
それは分身自体も不思議に思ったようだが、それに対する回答は別のところから飛んできた。
『恐らく、アトロが直接システムに接触したからだな』
『わたしが?』
『そうだ。思考ルーチンは違うが、そもそも【モイライ】の電脳人格は基本的に同じものだと、エルシオーネが言っていた……』
二人の間に割り込んだシュメイスは、そこで自身の推論を続けた。
『アトロが接触したことで端末である分身とのリンクが成立し、その機能を復活させたということじゃないか?』
『あ~、そういうことになるのか。納得した』
大仰なジェスチャーで頷く分身の姿は、かつての【ラケシス】を彷彿とさせるものだ。
【アトロポス】は、ふと懐かしさを覚える。
『で、どうすんの? アトロ……いや、この場合はもう本体と呼ぶべきかな?』
『……アトロでいいです。アトロの、ままで……』
彼女がマテリアルボディにいたら、涙を流していたかも知れない。もう二度と会えないと思っていた姉と、形は違えど再会できたのだから――。
ただ、感傷に浸っていられるほどの余裕がないことも事実だ。
『映像管理システム内にいるということは、直接干渉が可能なはずだな。その防壁を解除できないか?』
『あたしは元々、データ転送を目的としたプログラムに過ぎないからね。そこまでの干渉はできないよ。でも、防壁の性能を一時的に低下させることはできる』
『じゃあ、さっきはやっぱり姉さんが助けてくれたんですね?』
『あ、当たり前じゃん。ほっとけるわけないでしょ!』
照れたように視線を外した分身を見て、【アトロポス】は苦笑する。
そんな両者の様子を知ることもないシュメイスは、続けて指示を飛ばした。
『そうなら話は早い。アトロ、すぐに攻撃プログラムを組むんだ。俺も手を貸す』
『攻撃プログラムを?』
『そうだ。【ラケシス】が防壁性能を低下させた瞬間を狙えば、穴を開けることが可能なはずだ。その隙に内部に入って、システムを奪うんだ』
『わ、わかりました。やってみます……!』
その言葉に【アトロポス】は再び両手を前に突き出すと、念じるように目を閉じる。
数字の羅列が光のように収束し、巨大なエネルギーの塊を形成し始める。
海の彼方からも集まってきた輝きにより、その塊は楔のような形の槍に変化する。
『アトロ! 防壁の再生速度を考えたら、突入のチャンスは〇.〇〇五秒しかないからね! タイミング間違えないで!』
『はい!!』
姉の姿の分身と意識をリンクさせ、【アトロポス】は更に念じる。
次いで目を見開いた瞬間、自身のペルソナの十倍以上に膨らんだ槍が、わずかに光を弱めた防壁へと放たれた。
閃光。
そして、音にならない激震が電子の海に広がる。
『今っ……行きます!!』
台風の目のように穿たれた穴を確認した【アトロポス】はその瞬間、光芒となって飛んだ。




