(12)思わぬ危機
人の姿を残した魔物たちは、荒ぶる叫びと共に襲い掛かってきた。
緑の肌の中にぎらつく目は、本能のままに行動する者の証だ。鉤爪のように開いた手が風切り音と共に獲物へと振り抜かれ、振り下ろされる。
『ねぇ、どうして攻撃しちゃダメなのよ!?』
次から次へと繰り出されるそれらを縦横無尽に回避しながら、サーナは簡易通信で問い掛ける。
同じように敵の攻撃を捌きつつ、ランベルは苦い表情を向けた。
『彼らは自我を失ったとはいえ、人質には変わらんからだ……』
『けど、もうこの人たちは!』
サーナは理解しつつ、同時に理解できなくもあった。
今、襲い掛かってきている者たちは、確かに救出すべき人間であったかも知れない。しかし、彼らはSPS細胞を投与されたことで、カオスレイダーや先刻交戦した生物兵器と同様の怪物に変わってしまった。非情なようだが、もう倒す以外に道は残されていないのだ。
ランベルはそんな彼女の声にわかっていると返答した上で、理由を続けた。
『サーナ。お前もオリンポスの一員なら理解しているはずだ。情報操作の恐ろしさをな……』
『……【モイライ】のこと? それが今、どうして……!』
『わからんか? 同じなのだ。バビロンは現在、【宵の明星】の管理下にある。つまり、この中で起こった出来事は彼らの都合の良い形で世に拡散される。かつてオリンポスが行ったのと同じようにな……』
その言葉には、忌むような響きがあった。
数多くのカオスレイダーや寄生者を死に追いやり、それをなかったことにしていた事実は、わかっていても認められるものではなかったのだろう。
『もしここで攻撃すれば、俺たちは作戦のために人質を皆殺しにした虐殺者というレッテルを張られるだろう。そうなればバビロンを取り戻せたとしても、政府やCKOへの非難は一層ひどくなる。下手をすれば、オリンポスも解体ということになりかねん』
『そんな……じゃあ、どうすればいいのよ!』
『アトロには連絡を取った……ここの監視カメラと映像データ管理のシステムを乗っ取れないかとな。それができれば、なんとかなる……』
自分たちは罰を受けているのかも知れないと、ランベルは思った。人を守るために、人を殺し続けてきたという咎の罰を――。
それでも今ここで怪物化した者たちの手に掛かって倒れるわけにいかなかった。特務執行官としての使命は、いまだ果たされていないのだ。
『だが、このままでは消耗するだけだ。一度、態勢を立て直さねば……!』
『だったら、あたしが!』
彼の言葉を受け、サーナが即時行動に移る。
いかに特務執行官と言えど反撃もできず、これだけの人数から集中砲火を受け続ければ、いずれ力尽きる時がやってくる。それがわからないほど、愚かではなかった。
大きく跳躍した彼女は、その勢いのままに閉ざされた扉に向けて拳を繰り出す。
しかし、直撃の瞬間、扉の表面に青白いスパークが走った。
「うあああああああああああっっ!!」
「サーナ!!」
美神の身体が硬直し、光に包まれる。
次の瞬間、力尽きたように彼女は、その場に崩れ落ちた。
(く……! これ、まず……)
サーナは、苦悶の表情を浮かべる。
全身が痺れ、すぐに立ち上がることができなかった。
どうやら扉には、高圧電流を流すトラップが仕掛けられていたらしい。普通の人間なら、即死は間違いなかったろう。
身動きが取れない彼女に向けて、意思なき獣が襲いくる。
その爪が美神に振り下ろされようとした刹那、鋼を叩くような轟音が響いた。
「!? ラン君っ!?」
顔を上げたサーナは、思わず目を見開く。
そこには、彼女を庇うようにして仁王立ちするランベルの姿があった。
深く、広く、無限に海は広がっている。
と言っても、それは現実の海ではない。
水の代わりに存在するものは光り輝く数字の羅列であり、時には整然と、時には乱雑に周囲を流れゆく。
そんな電子の海の中を、【アトロポス】は泳いでゆく。
(……こんな感覚も久しぶりですね)
どことなく懐かしさを覚えつつ、彼女は進む。
元々が電脳人格である【アトロポス】にとって現実の世界は馴染みが薄いものであり、情報のみで構築されたこの世界のほうがしっくりくる。人間的に言えば、古巣もしくは田舎に戻ってきたような感覚というところか。
もっとも、慣れ親しんだ世界だからと言って油断できるものではない。今の彼女は【モイライ】というバックアップをなくしたちっぽけなデータの塊であり、いつ膨大なデータの海に呑み込まれてもおかしくないのである。
そんな危険を冒してまでなぜ、【アトロポス】がこの空間にいるのか――それはつい先刻、ランベルから受けた依頼によるものだった。
『バビロンの監視カメラと映像データ管理のシステムを乗っ取れないか、ですか?』
『そうだ。このままでは俺たちは敵の思う壺にはまる。下手をすれば、オリンポスの消滅にも繋がりかねない……それだけは、なんとしても避けねばならんのだ』
『わ、わかりました……とにかく、やってみます』
詳しい理由は聞けなかったが、状況が逼迫していることは確かだった。
手動操作によるハッキングでは間に合わないと感じた彼女は、危険を承知でバビロンの管理システムにダイブすることを選択したのである。この方法なら現実世界で数秒の時間であっても、数千を超えるタスクを実行可能だ。
(アドレスは見つかりましたが……あとはどれだけのプロテクトがかけられているか……)
ペルソナとしての自身――ポニーテールの少女の姿を強く保ちつつ進む【アトロポス】の前に、一際輝く光が見えてくる。
正確にはそれもまた数あるデータの一部に過ぎないのだが、彼女があらかじめマーキングしたことで明確化されたものだ。地図上の目的地と言い換えればわかりやすいだろう。
それこそがバビロンの映像管理を司るシステムのアドレスだった。
(これ、は……!)
光の中に飛び込んだ【アトロポス】は、そこで思わず息を呑んだ。
彼女の目の前に具現化されているビジュアルは、明滅を繰り返す無数の電子スクリーン群の塊であった。そして、周囲を囲むように光の防壁が展開されている。
(予想はしてましたけど、この防壁は思った以上に固そうです……)
当惑は一瞬のこと、彼女はすぐに光でできた槍を自分の前にイメージ化した。
突き出すような両手の動きで、それを発射する。
閃光のようなスピードで飛んだ槍は、しかしながら防壁に当たった瞬間、霧散するように砕け散った。
(やっぱりこの程度じゃ、どうにもならないですね……え?)
あくまで試しに放った電子的攻撃であったが、次の瞬間、防壁から雷のような光が無数に走る。
それらは意思を持ったように【アトロポス】を襲い、その身に絡み付いた。
『きゃあああああああぁぁぁぁあぁぁっっ!!!』
声にならない絶叫を上げて、彼女はのけぞり苦しむ。
なけなしのプロテクトデータである衣服が一瞬で弾け飛び、裸身となった少女の身体がスパークの中で激しく震えた。
(こ、攻性防壁……!! このままじゃ、あ……わ、わたしっっ……!!)
電撃の蛇に絡み付かれて悶えながら、【アトロポス】は己の迂闊さを呪った。
敵がシステムに張った防壁は外部からのアクセスを防ぐだけでなく、積極的に反撃を行うようになっていたのだ。
元々のエネルギー総量が段違いなこともあり、このままでは数秒と持たずに消滅させられるだろう。現に肉体データはぶれて、崩壊を始めている。
(こんな、ことで、終わるわけにいかないのに……! 皆さんが……頑張ってるのにっ……!)
その崩壊を止めるべく、【アトロポス】は必死に抵抗する。
特務執行官のように戦えないがゆえ、彼女の中には常に負い目があった。今回の作戦に同行しても自分が役に立つのか不安だったが、シュメイスはそんな思いを知った上で能力を生かせるような役割を与えてくれたのだ。
ここで容易く消えてしまうことは、その期待を裏切ることになる。なにより今、危機に陥っているランベルたちを救うためにも、引き受けた仕事は果たさなければならないのだ。
(終われない……終われないんです! わたし、わた、しはっ……!)
『しっかりしなよ……アトロ!』
(え……!?)
そんな思いと裏腹になす術がないまま身体を嬲られ続けていた少女の頭に、聞き覚えのある声が響いた。
同時に絡み付いていた蛇の拘束が一時的に弱まる。
その隙を突いて、【アトロポス】は脱出に成功した。
(い、今の声は……まさか、【ラケシス】姉さん!? そんなはずは……!?)
今はもう消えてしまったはずの姉――その声が聞こえた事実に戸惑いを覚えつつ、彼女はデータの海に視線を彷徨わせた。




