(10)迫る闇の予感
空気そのものが禍々しさを帯びたようだった。
肌を刺すような威圧感が、ひしひしと伝わってくる。
目の前に現れた異形を見つめながら、シュメイスは表情を険しくしていた。
(まさか、新種の種とはな……)
SPS強化兵ディンブラが用いたのは、人間を短時間でカオスレイダーに変える混沌の種子だった。
なぜ、彼女がそれを所有していたのか――驚愕の事実ではあったものの、理由自体は説明がつく。
同時になぜ、彼女がバビロン天頂部の守備に回されていたのかの理由も――。
(俺たちが宇宙から攻め入ることも想定していたなら、間違いない。あの男はまだ……!)
かつてアンジェラの言った言葉が蘇る。
現在のSSS代表イーゲルが、ダイゴ=オザキかも知れないという疑惑――それが彼の中で確信に変わりつつあった。
しかし、今はそのことを悠長に考えている場合ではない。
「排除……シマス……」
片言めいた声でぽつりとつぶやいたディンブラが、唐突に消える。
正確には消えたように見えた――それほどのスピードであった。
超速の拳撃をすんでで回避したシュメイスだが、突き抜けるようにすれ違ったディンブラは、水泳のターンめいた動きを見せて壁を蹴った。
そして、すかさず返しの一撃を放つ。
「ぐあっ!!」
凄まじい衝撃と共に、シュメイスは吹き飛ばされた。
壁に叩き付けられ、苦痛の声を漏らした彼の前に、すかさずディンブラが迫る。
倒れ込むように追撃を回避し床を蹴って逃れた刹那、耳に鋼鉄の歪む轟音が響いた。
(なんだ!? こいつ……カオスレイダーの割に、動きが的確過ぎる!)
振り向いた異形の女を見つめ、彼は戦慄していた。
新種カオスレイダーと化したディンブラが自分に匹敵するスピードを見せたことは納得できるが、その動きはどこか機械的だった。
カオスレイダー特有の咆哮もなく、無機質とも言える光が女の双眸には宿っている。
(自意識を失っていないのか!? そんなバカなこと……いや……!)
シュメイスは、以前ソルドから聞いた話を思い出した。
SSS本社での戦い――そこで遭遇したガイモンは、カオスレイダーとなりつつも自らの意思を残していたと。
そこにはダイゴ=オザキの細胞が大きく関与していたのだと――。
(混沌の力を宿しながらも自我を失わなかった者の因子で、種子の支配力を軽減できる、か! それに……)
再度向かってきたディンブラの一撃を回避しつつ、彼は更なる推論を導く。
(……考えてみれば、この女は人間じゃなかった。感情めいたものも感じられなかった。もし、それでカオスレイダーの侵食を完全に遮ることができたなら……!)
それは恐ろしい推論だった。
支配力軽減の因子に加え、純粋な生命体とすら呼べないSPS強化兵の素体、更には感情を抑制された自我――それらすべての条件が満たされた時、制御可能な兵器としてのカオスレイダーが生まれるのではないかと。
流れ落ちる冷や汗を明確に感じながら、シュメイスは拳を握り締める。
(冗談じゃないぜ。そんなものが出てきたら、もう人の手に負えなくなる。こいつは絶対に倒さなきゃならない。今、この場で跡形もなく!!)
それまでとは異なる雰囲気を、彼は纏った。
常に飄々とした態度を取っていた男の姿はそこになく、あるのは殺意とも言える覚悟を宿した戦士の姿だ。
そして、それを示すかのように禁断の力が発動する。
《FINAL-MODE AWAKENING……INFINITY-DRIVE OVER POWER……MORPHOLOGICAL CHANGE……》
金の髪が揺れ、肉体が鋼鉄の騎士へと変化した。
震えるほどに迸る力を抑えつつ、シュメイスは双眸を輝かせる。
《FINAL-MODE……ABSOLUTE COSMOS ENFORCER……START-UP》
(……宇宙に叩き出して、一気にケリをつける!)
最終形態を発動した彼は、体当たりするかのようにディンブラへと跳んだ。
閉じた大扉の向こうから、室内を震わすほどの轟音が響いてくるのを聞いて、【アトロポス】は動揺した表情を浮かべた。
(なんだか凄いことになってるみたいですけど、シュメイスさん、だいじょうぶでしょうか……)
特務執行官であり歴戦の猛者であるシュメイスが、人造の強化兵に遅れを取るとは思わないが、どことない不安が彼女の心を支配していた。
マテリアルボディを得て、ソルドたちと暮らし始めて以降は、これまでにない刺激の連続だった。こういった得体の知れない予感も違和感なく受け入れられるようにはなったが、慣れたいとは思わない。
とはいえ戻ったところで、なにができるわけでもない。今、彼女のすべき戦いは別にあるのだ。
(バビロンの制御中枢は……ほとんど乗っ取られてますか。とても動力コントロールは取り戻せないですね……)
大型のコントロールパネルに向かい合い、【アトロポス】は手早く指を走らせる。
肉体を介する分、【モイライ】を直接動かしていた頃よりは遅いが、それでも人の操作よりは遥かに速い。
様々なデータを表示し、ほぼ一瞬でチェックしながら、彼女はわずか首を傾げる。
(人質は、地上側の第十六階層に集められてますね。でも、どうして纏められているんでしょう?)
五十名以上の民間人を示す生命体反応は、バビロンの一角に集中していた。
これが狭い施設なら納得はできるが、軌道エレベーターほどの大建造物なら、わざわざ纏める必要はないはずだ。むしろある程度分けておいたほうが、政府側の救出作戦に対するリスク分散になるはずである。
監視カメラで現場の状況を確認しようと試みたが、あいにくそちらの機能には割り込めないようだ。それもまた【アトロポス】の気に掛かった。
(とにかく、これはランベルさんたちにお願いするしかないですね……)
疑念を抱えつつも、彼女は自身の通信回線で、地上の二人へと呼び掛けた。
「なるほど。了解した」
【アトロポス】からの通信内容を確認したランベルは、神妙な面持ちで頷いた。
光の渦を消し、わずかに暗くなった空間で、彼はサーナと顔を見合わせる。
「なんか向こうも、問題だらけみたいね」
「そうだな。元からすんなりいく作戦とも思ってなかったが、想像以上に様々な思惑が絡んでいるようだ」
衛星軌道側の状況は、地上以上に荒れていた。
ディンブラの待ち伏せはさておき、【エリス】の襲来は想定外であり、【レア】の陣営も奪還阻止に本腰を入れていることがわかる。
元々の布陣である特務執行官三名のみだったら、作戦遂行に支障が出ていただろう。
「どのみち、俺たちのやることは変わらんがな。軌道エレベーターの第十六階層へ向かおう。人質の救出が最優先だ」
「ソルド君は、どうするの?」
「あいつもこの状況で単独行動するほど、無謀ではあるまい。連絡が付き次第、合流してもらうしかない」
「わかったわ」
特に異論を挟むこともせず、サーナは彼の言葉に従った。
仲間の安否は気になるものの、それ以上に救うべき人間たちがいる以上、逡巡する必要はないということだろう。
ただ、そんな彼女のあとを追うように走り出したランベルの心中は穏やかでなかった。
(だが、アトロの言っていたことは気になる。人質が一ヵ所に集められ、現状が確認できないということ……これは、罠の可能性を考えておかねばなるまい)
抱いた予感が現実にならないことを願う彼だったが、そんな思いを嘲笑う出来事が、このあと起こることになる。
円柱状に造られた空間で、十数名の人間たちが顔を合わせている。
円卓越しに向かい合う彼らの間には静かな緊張感が満ちており、全員の視線は中空に浮かぶスクリーンに向けられていた。
そこには地上に上がった火柱や、動揺する兵士たちの様子、更には怪物たちと戦いを繰り広げる二人の男女の様子などが映し出されている。
「特務執行官による奪還作戦が開始されたようですな」
時間ごとに切り取られた映像を眺め、一人の男が口を開く。
極めて短時間で起こったそれらは確かに驚くべき出来事と言えたが、列席者の間に動揺は見られない。
「商業区に放ってあった試作生物兵器は、全滅したようです。やはり侮れない力を持っておりますな」
「ですが、あれは時間稼ぎに過ぎません。その役割は十分果たしたと言えましょう」
「ほう……では、我らが主の示した準備は完了したのだな?」
次々と言葉を継いだ者たちに、背の高い椅子に座ったアルビノの青年が問い掛ける。
その問いに、真向かいに座った男が返答した。
「……滞りなく。特務執行官どもは、度肝を抜かれることになりましょう。そして彼らは社会的に抹殺されるのです。バビロン奪還がなろうとなるまいとね……」
不気味とも言える言葉ののち、列席者たちの間に笑みが漏れた。
それはやがて、空間すべてを支配するような高笑いの渦へと変わっていく。
つい先日まで怖れ警戒していた特務執行官と呼ばれる者たちは今、彼らの仕掛けた邪悪な罠にはまろうとしていた。




