(7)予期せぬ変動
大地に向けて放たれた拳が、巨大な炎を立ち上げる。
それは明けの空を焦がす柱となって、激しく燃え上がる。同時に巻き起こる爆音が、雄叫びのごとく放たれた。
破壊と共に天を目指す灼熱の龍――しかし、その激しい姿に反して、付近の物体は何事もなかったように存在し続けている。
「こんなところか……」
何度目かの作業を終えて立ち上がりながら、ソルドはつぶやく。
あちこちで爆発的に燃え上がった炎は、コスモスティアのエネルギーを変換して炸裂させたものだ。
その大半は殺傷力のない幻影に過ぎず、実際の炎は焚き火程度でしかない。意図的に飛び込んだりしない限り危険はなく、持続力もせいぜい数分程度のものだ。
それでも騒ぎを起こすには、充分過ぎるものと言えた。
早朝にもかかわらず、人々の声が喧騒となって聞こえてきており、消防のサイレンもけたたましい。
少し派手にやり過ぎたかも知れないと思いつつ、ソルドは速やかにその場を離れる。
(サーナたちは、うまく侵入できただろうか? 急がねば……)
騒ぎの中心地を避けるように、バビロンへ向かう。
この工作によって一時的に反政府組織の目は逸れただろうが、同時に守りを固める要因ともなる。態勢を整えられる前に、彼自身も侵入を図らねばならなかった。
人目につきにくい路地裏などを経由し疾駆するソルドの目に、巨大な威容が迫ってくる。
(!? あれは!?)
しかし、あと少しで正門ゲートが見えるかというところで、彼は立ち止まらざるを得なくなった。
行く手に染みのように現れた闇――その中から見知ったひとつの影が現れたのである。
「ずいぶんと派手なパフォーマンスね。ソルド=レイフォース」
「!?【ヘカテイア】……!」
「さしずめ、陽動といったところかしら? でも、お前の考えではなさそうね」
そこに現れた女――【ヘカテイア】は、鋭く輝く銀色の瞳でソルドを見つめる。この騒動を起こした者が誰なのかはすぐわかったと付け加えながら――。
対するソルドは、緊張を滲ませた。
奪還阻止を【レア】に命じられた以上、彼女はバビロンの内部にいるものと思い込んでいたのだ。
しかも仲間と分断された今の状況では、ルナルの意識に接触することは不可能に近い。
「……だとしたら、お前はどうするつもりだ?」
「別に……お前がここにいる以上、やるべきことはひとつよ」
動揺を悟られないよう問い掛けた彼に、【ヘカテイア】は口元を歪めて笑ってみせる。
顕現した漆黒の大鎌の切っ先が、ソルドに突き付けられた。
「殺してあげる……! 私を騙した報いを、その身をもって知ってもらうわ!!」
噴き出した殺意と共に、黒き女は地を蹴って跳躍する。
予期せぬ遭遇を呪いつつ、ソルドは臨戦態勢を取った。
『うおああああああああぁああぁぁぁぁっっ!!!』
同じ頃、宇宙空間では二人の女による戦いが幕を開けていた。
声にならない気迫の雄叫びが宙を震わせ、緑の光と黒い炎がぶつかりながら虚空を駆ける。
弾ける閃光と共に離れ、吸い寄せられるようにまた接触する。
星闇に描かれる遺伝子螺旋が、永遠に争う両者の運命を表しているようだった。
(凄まじい力……! でも……)
すでに数十回ほど槍を交えながら、アーシェリーは【エリス】の様子を観察していた。
以前ならそんな余裕はなかっただろうが、今は違う。それは彼女自身の力が上がったというより、相手側の変化が大きな理由だった。
(振り回されている……! いえ、力をコントロールできていない……?)
爆発的に放たれる闇の力は、むしろ今まででも一番だったろう。宇宙空間でなければ、周囲に大規模な被害が発生していたことは間違いない。
しかし、その力を振るう【エリス】の動きはあまりに雑だった。ただ無作為に力を放出しているに過ぎず、受けや回避に徹していれば捌き切れなくはない。
セレストで相まみえた時はアーシェリーが力を出せない状況だったが、今回は立場が逆だった。
(アレクシア……やはり、あなたは……)
『チョロチョロとっっ!! 逃げるな! アァシェリィィィッッ!!!』
抱いていた予感が確信に変わりつつある中、【エリス】の怒声が響き渡る。
もう何度目かになる突きを弾き、距離を取ったアーシェリーは覚悟を決めたように頷いた。
『逃げるつもりは、ありません……!!』
《FINAL-MODE AWAKENING……INFINITY-DRIVE OVER POWER……MORPHOLOGICAL CHANGE……》
意識の集中と共に、A.C.Eモードが起動する。
鋼の外殻に身を包み、姿を変えたアーシェリーは緑の髪を振り乱した。
《FINAL-MODE……ABSOLUTE COSMOS ENFORCER……START-UP》
『そうだ! 来い!! アァシェリイィィィィィッッ!!!』
歓喜、怒り、焦燥――混沌とした思いを覗かせて、【エリス】は咆哮する。
そんな彼女に向かい、アーシェリーは閃光となって飛んだ。
アーシェリーと別れたシュメイスたちは、すぐに円盤状構造体に向けて距離を詰めていた。
【エリス】の攻撃で破壊された部分は、今やぽっかりと大穴が空いている。そこから凄まじい勢いで、内部の物体が宇宙に放出されていた。
『シュメイスさん……!』
『……今は、余計なことを考えるな』
【アトロポス】の訴えるような眼差しに対し、シュメイスは目を合わせることもしなかった。
彼女の言いたいことは理解できた。バビロン内部から吐き出されてくる物の中には、数名の人間の姿も混じっていたからである。
恐らくは内部を巡回していた反政府組織の兵士たちだろう。驚愕に目を見開いたまま、その顔は凍り付いていた。
スペーススーツを着ていない状態では、宇宙に放り出された時点で死は免れない。どのみち救出は間に合わないし、意味のないことだ。
もっとも、あのまま侵入を図っていても、結果に違いはなかっただろう。要は彼らの死の原因を作ったのが、自分たちか【エリス】であったかの違いだけなのである。
『一気に突っ込むぞ。しっかり掴まっていろ!!』
湧き上がる罪悪感を振り払うかのように、シュメイスは【アトロポス】を抱き締めて加速する。
そのまま勢いを殺すことなく、風の吹き出す大穴へと飛び込んだ。
(想定通りか! あとは……)
落着するように内部へ降り立った彼は、すぐに視線を巡らす。
左右に伸びる通路の先で、巨大な隔壁が閉じようとしている。
外への引力に逆らうように飛んだ二人は、落ちてくる壁を掠めるように潜り抜けた。
「……ふう。ギリギリセーフってところだな。アトロ、だいじょうぶか?」
「……は、はい。なんとか……」
音を立てて閉じた隔壁を横たわった状態で見つめながら、シュメイスは息をつく。
そんな彼に上から被さる形となっていた【アトロポス】は、わずかに顔を赤らめながらつぶやいた。
「とりあえず侵入には成功したが、更に時間はなくなったな。この異変は間違いなく察知されたはずだ」
【アトロポス】を抱えつつ起き上がったシュメイスは、厳しい表情を崩さぬままに隔壁の反対側を見やる。
数十メートルほど先が袋小路となっており、突き当たりに巨大な扉が見えていた。
「……あそこがサブコントロールルームですか?」
「そうだ。急ぐぞ……っ!?」
駆け出そうとする二人だが、次の瞬間、その行動は阻害されていた。
天井際の壁に配置されていた複数の警備用レーザーユニットが、一斉に光を放ったからだ。
とっさに飛び退いた二人の元いた場所に、白煙が立ち昇った。
(!? この出力は……! ということは、まさか……?)
鋼鉄製の床が容易く溶けたことで、その威力を察したシュメイスは緊張を高めた。
対人攻撃用に調整されているはずの警備ユニットに、施設本体を傷付けるほどの力はないはずだ。
ややあって、彼の抱いた予感を裏付けるようにサブコントロールルームの扉がスライドし、ひとつの影が姿を見せる。
「……攻撃対象、特務執行官の存在を確認。ただちに排除行動に移ります」
青い光を放つバイザーを輝かせ、仮面の女強化兵――ディンブラは淡々と言い放った。




