(4)奪還作戦前夜
天に向けてそびえる塔を眺め、一人の女が息をついている。
薄桃色の髪を持つ肉感的な美女だ。吹き荒ぶ寒風の中にも関わらず、着ている服は極めて薄着である。
愁い顔でたたずむその姿は星空の下ということもあり、どこか絵になった。
しかし、そんな女に声を掛ける人間はいない。なぜなら、彼女がいるのは赤い光の灯る超高層ビルの屋上であり、普通の人間は足を踏み入れられない場所だったからだ。
(まさか、こんなことになるなんてね……)
その女――特務執行官のサーナは思う。
突然に下されたバビロンの奪還指令――カオスレイダーの絡まぬ案件とはいえ、それだけなら特に気に病む話でもなかった。
問題なのはそれを阻止するために【ヘカテイア】が現れるかも知れないということだった。
(シュー君の話じゃ、ソルド君たちはルナルちゃんの救出に失敗したということだったけど……)
「また浮かぬ顔をしているな」
唐突に響いたのは、野太い男の声だった。
サーナの視線が移ると、そこにはスキンヘッドの巨漢の姿がある。
同じ特務執行官のランベルに対し、彼女は鼻を鳴らして答えた。
「あんたと同じ任務に就くのかと思うと、憂鬱だっただけよ」
「そうか……それはすまなかったな」
「……冗談に決まってるでしょ」
先日の出来事で、つい嫌味な態度になってしまったことを反省しつつも、サーナは憮然とした表情を崩さない。
彼女自身も、その理由は良くわからなかった。
眼下の夜景をぼんやりと眺めながら、続けてふと問い掛ける。
「ねぇ、ラン君はルナルちゃん……【ヘカテイア】のことを、どう考えてるの?」
「……唐突だな。どう、とは?」
「……敵と見做して、攻撃するのかってことよ」
その問い掛けは、ある意味サーナにとって重要と言えた。
ルナル――【ヘカテイア】に対する感情やスタンスは各特務執行官によって違うが、ランベルの場合はそれがわからなかったからである。
「任務であれば、そうするとしか言えん。元々、俺たちの仕事とはそういうものだろう。個人的な感情は抜きにしてな……」
「お決まりの台詞ね。あたしが訊きたいのは……」
ランベルの答えに少し苛立ち混じりな表情を見せた瞬間、その場に突風が吹き抜けた。
同時に彼らの背後に、一人の青年が姿を見せる。
「悪いな。二人共……待たせたか?」
金髪碧眼の特務執行官シュメイスは、すまなそうな様子もあまり見せずに言った。
その態度が勘に触ったのか、サーナの苛立ちの矛先が変わる。
「あまり女を待たせるもんじゃないわよ。シュー君……神速の特務執行官とか言う割には、時間にルーズよね」
「ちょいとデータの処理に手間取ってな……次からは気を付けるさ」
「確かにシュメイスは、現状の情報管理を一手に引き受けていることもある。いろいろ負担は大きかろうな」
「そういう理由を遅れの言い訳にするのは、ナンセンスよ」
男たちの言い分をバッサリと切り捨てながら、彼女は二人に向き直る。
シュメイスは無言で肩を竦めた。
「で、今回の作戦はどうなってるの?」
「ああ。とりあえずは、これを見てくれ」
言いながらシュメイスは、中空に光の渦を放つ。
その中に浮かび上がったのは複数のスクリーンであり、そこには画像や数値などのデータが所狭しと並んでいた。
「現在、バビロンは半停止状態にある。生命維持や各種電力供給などの基礎機能は稼働しているが、肝心の軌道エレベーターとしては機能していない」
「政府への交渉材料として考えるなら、通常通りに運行させることはないだろうな。それで人質の安否は?」
「陥落時の稼働データから見るに、エレベーター内にいた人間は五十七名だった。今の内部状況が完全に掴めない以上、あくまで想定だが……ここに示したどこかに監禁されている可能性は高いな」
スクリーンに映るバビロンの内部構造図をスクロールしながら、彼は嘆息する。
それもそのはずで、光点で示した監禁可能箇所の数は実に百近くにも及んでいた。
「これではとても絞り切れん。【モイライ】を破壊されたことが悔やまれるな……」
ランベルも苦い表情をする。
【モイライ】が健在なら、監視衛星等を通じた内部探査も可能であったが、それは言っても仕方のないことだ。
「今のバビロンは外部からのアクセスを受け付けない状態だ。正確な情報を掴むには内部に侵入して直接アクセスするしかないんだが、管理局エリアが【宵の明星】に制圧されている以上、正面から侵入するのは困難だ。そこで……」
シュメイスは図の上端を指し示し、ここを抑えると言った。
そこは衛星軌道上にある円盤状構造体の一区画だ。書かれている文字は一際大きく、一見して重要な場所だとわかる。
「衛星軌道上のサブコントロールルームを掌握するのか……しかし、それは敵も警戒しているのではないか?」
「確かにな。しかし、SPS強化兵は地上の警備を主としている可能性が高い。侵入経路も地上のほうが遥かに多いし、宇宙までは目が行き届かないはずだ」
「そっか。あたしたち特務執行官が宇宙でも活動できるってことは、向こうも知らないわよね」
サーナはシュメイスの意図するところを汲み取った。
オリンポスの情報は世間に開示されたが、特務執行官の能力については詳しく知られていない。
宇宙空間を亜光速で飛び、真空中や深海を物ともしない汎用性を備えていることなど、現人類の科学レベルからは想像も付かないことだ。
「そういうことだ。だから地上と衛星軌道からの同時進行で作戦を進める。まずは地上で陽動している隙に、衛星軌道から侵入して内部情報を把握……人質の解放を目指す。それが済み次第合流し、SPS強化兵を排除してメインコントロールを奪還する」
「なるほど……しかし、バビロンの規模を考えると特務執行官三名でも心許ないな。特に衛星軌道側は負担が大きくなるのではないか?」
ランベルも納得はしたものの、懸念はあるようだ。
いかに特務執行官といえど、全長数万キロにも及ぶ軌道エレベーター内の移動は時間もかかる。不測の事態が発生しても、お互いをフォローすることは難しい。
「なにも、俺たちだけでやるとは言ってないぜ?」
「なに?」
思わず訝しげな表情をした彼に対し、返答を返したのは別のところから響いた声だ。
「その作戦、私たちも協力させてもらう」
「ソルド君!? それにアーちゃんやアトロも……!」
全員の視線が向く中、その場に姿を見せたのはソルドたちであった。
驚きに目を見開く仲間を見やり、シュメイスは不敵に笑う。
「……ま、本来はオリンポスの任務を部外者に漏らしちゃいけないんだろうが、状況が状況だからな。それにこいつらの実力はお墨付きだろ?」
今回の作戦を遂行するに当たり、彼はソルドたちにコンタクトを取っていた。
部外者とは言っても元々の仲間であり、お互い気心も知れている。なによりオリンポス本体の戦力低下を招くことなく、万全を期する方策としては、最善の手段と言えただろう。
そしてソルドたちにとっても、この申し出は渡りに船であったのだ。
「なるほど……遅れの理由は、そこにもあったわけだな」
「特務執行官がこれだけ揃ってひとつの任務に当たるのも前代未聞ね」
場に一時、懐かしげな空気が流れた。
サーナも、そしてランベルも、この決断に異を唱えることはしなかった。
「それで配置はどうする?」
「俺とアーシェリー、アトロで衛星軌道側を担当する。サーナとランベルはソルドと一緒に地上で暴れてくれ」
「なんかその言い方、癇に障るんだけど……」
「まぁ、聞いてくれ」
軽口を叩きつつも、すぐにシュメイスは神妙な顔になって作戦の詳細を伝え始める。
オリンポスや自身の汚名返上を賭けた任務だけに、並々ならぬ気概があることを、その場の誰もが実感していた。
「俺たちに与えられた時間は限られている。作戦の開始は明朝六時きっかりだ」
最後にそう締め括ると、彼は一時解散を告げる。
すでに和やかな雰囲気は消え失せ、残ったのは凍て付くような緊張感だ。
各々がこのあとの作戦に思いを馳せる中、天柱を見上げるソルドにサーナが声を掛けた。
「ソルド君……あなたたちが来たってことは、やっぱり……?」
「……【ヘカテイア】が、バビロン奪還作戦の阻止に乗り出すと聞いてな。ルナルを救うのなら、この機を置いて他にないと思った」
どこか憂いのある表情を浮かべた彼女に、ソルドは頷いてみせる。
「それにバビロンの陥落は、私にも落ち度がある。このまま黙って見ているわけにはいかない」
「それは、ソルド君が責任を感じることじゃないと思うけどね。でも、この間は救出に失敗したって聞いたけど、なにか手はあるの?」
「いや……だが、あろうとなかろうと、やるしかない」
曖昧なようでいて、その言葉には強い覚悟が窺えた。
シュメイスとは違った意味で、ソルドもこの作戦にすべてを賭けて臨んでいるのだとサーナは悟る。
「背水の陣ってことね……いいわ。あたしも出来る限り協力するから」
「ああ……頼りにしている」
からかう素振りもなく、励ますような微笑みを浮かべた彼女に、ソルドもまた口元を緩めた。
やがて東の空がわずかに白み始めた頃、戦士たちは光となってそれぞれの方向に散っていった。




