(2)決意
突然の映像に驚くアーシェリーと【アトロポス】に対し、ソルドの反応は異なっていた。
黄金の瞳から放たれる眼光は、鋭さをもってシュメイスを射抜いている。
「……盗み聞きとは、趣味が悪いぞ。シュメイス……」
『気付いていたのか……ま、悪く思うな。これも任務の一環なんでな……』
「どういう……ことです?」
アーシェリーの問いに、ソルドは答える。
自分たちの行動が、オリンポスに監視されていたことを――。
「……以前、フィアネスと会った時、サーナが隠れて様子を窺っていた。私は知らないふりをしてその場を離れたがな……」
「……そういえば、あの時に送られてきたメッセージはシュメイス経由でしたね」
「ああ……あの情報はつまり、オリンポスにも共有されていたわけだ」
フィアネスとの密会に関しては元々、特務執行官の誰かが来る可能性は考慮していた。
それが現実になっていたことで、シュメイスが私的にもたらした情報でなかったことが明らかになったのである。
「……だから、私たちが監視されている可能性も高いと思った。バビロンにお前が来たことも偶然じゃないんだろう?」
ソルドは、改めてモニターに目を向ける。
画面向こうの青年は、少しバツが悪そうな表情をした。
『随分と想像力豊かだな。けどまぁ、お前の言う通りさ……あのメッセージを展開した時点で、そっちのシステムに介入できるウイルスが発動するようになっていた。アトロにバレないものを作るには骨が折れたがな……』
「!? なんで、そんなことをしたんですか?」
『野に下ったとはいえ、お前たちは特務執行官だからな。信用するしないは別としても、まったくの放置というわけにはいかないさ』
少しムッとした様子の【アトロポス】の言葉に、シュメイスは淡々と答える。
ソルドたちの能力は以前と変わらぬどころか、オリンポスにいた頃を上回り始めてすらいるのだ。常識的に考えれば危険分子でしかなく、監視の目が付くのは当然と言えただろう。
『バビロン絡みの任務に志願したのも俺の意思さ。もっとも、司令は最初から俺を当てるつもりだったみたいだけどな……』
「私たちが、バビロンに行くことを知ったからか?」
『そうだ。ルナルのことが気になるのはお前たちだけじゃないって、前も言っただろ……』
フィアネスからもたらされた【ヘカテイア】の情報も、当然漏れていたことになる。
組織の思惑と利害が一致したことで、シュメイスが調査及び防衛の任務にやってきたのだ。
もっとも、その結果は言わずもがなである。
『……それはともかく、お前は誓ったんじゃなかったのか? ルナルを必ず救い出すって……』
互いにわだかまりを残す中、シュメイスは話の流れを戻す。
暗澹たる表情が、再びソルドの顔に浮かんだ。
『あいつの頑固なところは、確かにお前とそっくりだが……それをあきらめる理由にするのは、らしくないんじゃないか?』
「……シュメイスの言う通りです。ここであきらめては、なんのために私たちがオリンポスを離れたのか、わからなくなってしまいます」
当初こそ驚いたものの、元より合理的な面を持つアーシェリーは、監視の件もさほど気にしていない様子だった。
そして中空に視線を投げつつ、言葉を紡ぐ。
「確かに私もルナルの立場だったら、みんなに合わせる顔がないと考えるかも知れません」
己の心の闇――それが仲間や多くの人々を苦しめた現実は、耐え難いものだろう。
なす術もないままにそれを見せつけられたのなら、なおさらのことだ。
「ですが、【ヘカテイア】と共に滅ぶというのは、間違っていると思うんです。それは責任逃れではないでしょうか?」
「責任逃れ?」
「はい。自らの心が生み出した人格なら、どんなことをしてもそれを止めるべきです。ルナル一人の力でどうにもならないなら、私たちの力を使ってもいい……」
改めてソルドに向き直り、アーシェリーは力強く続ける。
「私たちはみんな、死を乗り越える強い思いをコスモスティアに認められて特務執行官となったはずです。自ら死を望む行為は、私たちの取るべき行動ではありません。違いますか? ソルド?」
「シェリー……」
ソルドは目を見開いた。
生前の悲劇を繰り返さないため、力なき者や無垢な生命を守るべく戦うと、彼は決めた。
もちろん、ミュスカやフューレたちを犠牲にしたことで心が揺らいだこともあるが、そのような苦しみを背負いつつ当初の思いを抱き続けていくことが、特務執行官の――秩序の戦士の資格であるはずなのだ。
「そうだな……君の言う通りだ。このまま【ヘカテイア】を野放しにすれば、更に多くの悲劇が生まれるだろう。いずれ滅びるからといって、放っておくわけにはいかない」
黄金の瞳に、力強い輝きが戻っていた。
その心の内に、炎となってひとつの思いが燃え上がる。
「罪を犯したというなら、それを償うためにも生きて戦い続けなければならない。私はルナルにその覚悟を問う……!」
決意を秘めたように、彼は言った。
その言葉は、これまでルナルに向けてきた気遣いを捨てたソルドの紛れもない本音であった。
オーロラが天にたなびく火星極冠の地で、【ヘカテイア】は身を震わせながらうずくまっていた。
「不愉快だわ……! イライラする……!」
その美顔に脂汗を滲ませ、彼女は苛立たしげにつぶやく。
吹き抜ける風が髪を舞い上げ、般若のような形相を際立たせた。
「ソルド=レイフォース……! それに、私にそっくりなあの女……!!」
彼女の脳裏に浮かんでいるのは、先日火星で相まみえた者たちのことだ。
かつて兄と呼んだ男に加え、鏡写しのような女の姿が頭から離れない。
泉のように湧き上がる憎悪が、その心を溢れんばかりに満たしていた。
「ずいぶんと機嫌が悪いようだな」
そこに姿を見せたのは、白い光を双眸に宿した黒い影である。
どこか冷たい輝きをもって、その目は女を見下ろしていた。
「……なんの用かしら?」
「お前に頼みたいことができたのでな」
鋭く返された視線を気にした様子もなく、【レア】は言う。
頼み事の内容を聞いた【ヘカテイア】は、やがて訝しげな表情をした。
「……もう一度、バビロンへ向かえですって?」
「そうだ。特務執行官がバビロンを取り戻すためにやってくるだろう。お前に、それを阻止してもらいたい」
「なぜ、そんなことを?」
「世の混乱を加速させる上で、今バビロンを奪い返されるのは都合が悪いのでな……」
それはどこかはぐらかすようにも聞こえたが、黒き女が強く反応したのは、そのあとの言葉だ。
「今回に関しては、その手段を問わん。特にお前の行動を制限するつもりもない」
一瞬、風が強く駆け抜ける。
これまで不本意な戦いを続けていた【ヘカテイア】にとって、それはまさに望むべきことだった。
「フフ……そう! それは殺してしまっても、構わないということね?」
「その通りだ」
「いいわ。ここ最近はつまらない仕事ばかりだったから、良い憂さ晴らしになりそうね」
先ほどまでの不機嫌さはどこへやらといった様子で答えた彼女は、歪んだ笑みを浮かべた。
それに同調するかのように放たれた嵐のような殺気が、周囲の空気すらも歪ませる。
彼女の様子を無言で見つめていた【レア】は、やがてわずかにその視線を動かした。
荒地に小山のように盛り上がった起伏の陰――そこで、一人の人物が息を呑んでいた。
(……【ヘカテイア】が、再びバビロンに!? しかもオリンポスの作戦行動を直接妨害しようと……!)
銀の髪を持つ少女――元特務執行官のフィアネスは、戦慄する。
【レア】の思惑に従ってか、これまで黒き女たちは本気で戦ったことはなかった。それはある意味、枷だったとも言える。
しかし今回は、その枷を外すというのだ。このままではかつての仲間たちが危ういばかりか、バビロン自体も多大な損害を被る可能性があった。
(これは、ソルドたちにも知らせなければなりませんわ……)
これまでにない死闘が起こることを予感しつつ、フィアネスは同時にこれがルナルを救う最後のチャンスになると感じていた。




