(26)光失う塔
ソルドたちの前に突如として現れた新たな敵――【ムネモシュネ】は、話もそこそこに攻撃を仕掛けてきた。
全員のいた地点に不可視の衝撃が落下し、床が轟音と共に陥没する。
「ちっ!」
その場を離れたソルドは舌打ちしつつ、相手に向かって跳ぶ。
そのまま黄金の炎に包まれた拳を叩き込もうとするも、刹那、相手の姿が揺らぐように消えた。
「速い!? いや……」
とっさにソルドは相手の姿を追う。
消えたと見えたのは実際のところ錯覚で、黒い影は宙を滑るように移動していた。
それは自らの意思で移動したというよりは、なにかに引っ張られたかのような感じだった。
「はああああぁぁぁっ!!」
彼のあとに続いて同じようにアーシェリーが攻撃を仕掛ける。
気迫の声と共に突き出された銀の槍が【ムネモシュネ】を狙うが、その切っ先はやはり敵を捉えない。
凄まじい加速で円を描くように移動した黒い影は、アーシェリーの背に向けて不可視の衝撃を放つ。
爆発するような音と共にアーシェリーの身体が吹き飛ばされ、床を滑るように転がった。
「シェリー! だいじょうぶか!」
「う……は、はい……平気です……」
助け寄ったソルドに対して彼女はそう答えるものの、ダメージは大きかったようである。その立ち姿は震え、すぐには動けぬほどに揺らいでいた。
敵の追撃を遮るべく、ソルドは炎の弾を無数に放つ。
しかし【ムネモシュネ】は、その攻撃を悉く回避する。揺らぐように動いたかと思えば、次の瞬間には反り返り、また次の瞬間には宙に浮かび上がっている。
狙いを外した炎弾が床や壁に着弾して、粉塵を巻き上げた。
(こいつ……動きが掴めない。なんだ? あれは?)
この一時の攻防を観察していたシュメイスだが、その顔には訝しげな表情が浮かんでいる。
敵の挙動が、あまりに不可解過ぎた。前に【ハイペリオン】と相まみえた時もそのスピードに驚愕したものだが、【ムネモシュネ】はまったく違う。
動き自体に意思が感じられないのだ。物理法則を完全に無視し、縦横無尽な動きをする。風に舞う木の葉のような動きと言うべきだろうか。
「ふ~ん……確かに力はあるけど、そんなものなのね……」
「なにっ!?」
どこかつまらなそうに言い放った【ムネモシュネ】に、ソルドが表情を強張らせた。
黄金光を宿した今の炎ならダメージを生み出せる可能性はあったものの、攻撃が当たらないのでは意味がない。
彼がどう攻めるべきか考えていると、突如としてその場に強烈な空気の対流が起こり始める。
それは竜巻のような力強さとなって周囲の物を震わせ始め、同時に無数の亀裂を刻み込んでいく。
「シュメイス!?」
「……だったら、これをどう受ける?」
いつになく闘志をみなぎらせたシュメイスは、その手を大きく振った。
その動きに呼応するように、真空の刃を含んだ旋風が【ムネモシュネ】を包み込んだ。
その頃、バビロンの外部では異変が起こっていた。
SSSの強化兵や反政府組織の奇襲部隊によって起こっていた騒動とは別の、これまでにない大規模な異変と言って良かったろう。
なぜならバビロンを照らし、闇の空に浮かび上がらせていた光の一切が消えてしまったからである。
「なにが起こったんだ!?」
その言葉を言ったのが誰かわからないほど、空を見上げる人々は動揺していた。
眠らぬ塔――火星最大の軌道エレベーターであるバビロンは建造以来、活動を止めたことがない。その事実はレイモスの人々だけでなく、火星に住む誰もが知っていることだった。
「隊長……これはいったい?」
「わからん……が……」
内部に侵入した襲撃部隊を追撃し、無事制圧に成功したガーディナル・アーミーの間にも動揺が広がっていた。
すべての照明が落ちた空間で強面の指揮官は部下の問いに首を振りつつも、薄々とこれが最悪の事態になった証ではないかという直感を抱いていた。
「隊長! 外部の警備に当たっていた部隊から通信が! 新たな襲撃者が現れたとのことです!!」
「新たな襲撃者だと!?」
「今しがた交戦した連中と同じ出で立ちのようです。恐らくは反政府組織の手勢……ただ、規模は先ほどの数倍だと……!」
次いで別の部下からもたらされた情報に、場の動揺は加速した。
指揮官は、思わず声を荒げる。
「数倍だと!? そんな数がどこに潜んでいた!?」
「わかりません! ですが、レイモス側のゲートから現れたとのことです。考えられる可能性は、やはり……!」
「【アマランサス】の情報通りか! 反政府組織と癒着した企業が、奴らの作戦行動を本格的に支援し始めたというのか……!」
壁に拳を打ち付ける音が、存外に大きく響く。
複数の企業による人や物資の移動――諜報部のもたらした情報が示した可能性は、バビロン攻略の戦力拠点として企業の施設が利用されているのではないかということだった。
「すぐに救援に向かうぞ! これ以上、奴らの好きなようにやらせるわけにはいかん……!」
「残念だけど、そういうわけにはいかないね……」
突然その場に響いた声は、背筋を凍らせるような不気味さに満ちていた。
場の人間たちの目が向いた先の闇には、金に輝く双眸が浮かんでいる。
「き、貴様! 何者だ!?」
「それを君たちが知る必要はないさ。ただ、この混乱はうまく利用させてもらいたいんでね……」
戦慄が走る中、次いでガーディナル・アーミーが見たものは紫と緑の混ざり合った光だった。
轟音と共に吹き荒れた風が霧散していく。
もうもうと巻き起こった粉塵の中、ソルドたちは強張った面持ちのままに前を見つめていた。
「やったのか……?」
「いや……どうやら、ダメだったらしい」
ソルドのつぶやきに、シュメイスは否定の意を示す。
彼の視線は今しがた敵のいた場所には向かず、振り向くように背後に向けられていた。
「……考え方は悪くなかったけど、それじゃ私は倒せない」
「バカな! いつの間に!?」
全員が驚きと共に振り返ると、【ムネモシュネ】は何事もなかったかのように数メートルほど先にたたずんでいた。
特務執行官の目でも捉えられない謎の挙動に、場の緊張は更に高まる。
わずかに睨み合う時が流れたあと、【ムネモシュネ】は視線を上げた。
「……もう少し試したかったけど、どうやらタイムリミットね。続きはまたの機会にするわ。特務執行官……」
「なに!?」
ソルドの訝しむ声を無視し、黒い影は陽炎のように遠ざかっていく。
時を合わせ、辺りに降り注いでいた人工の光が一斉に消えた。
「!? 照明が落ちた!?」
突然訪れた闇は、ソルドたちにとっても驚きの出来事だった。
それは視界を失う怖れとはまったく関係なく、彼らもまたバビロンの特性を知っていたからに他ならない。
猫のように瞳を輝かせたソルドは、電子の双眸を持つ傍らの少女に問い掛ける。
「アトロ……なにがあったかわかるか?」
「……バビロン施設内のエネルギーラインの七割が停止しています。これは事故とかでなく、意図的に操作されたものです……!」
「意図的に操作だと? それはつまり……!」
「メインコントロールが、強化兵たちに奪い取られた……?」
【アトロポス】の言葉は、彼らにとって最も望まなかった事態が現実になったことを示していた。
拳を握り締めたソルドは、次いでかつての仲間に目を向ける。
「シュメイス、とにかく急ごう! このままにしておくわけにいかない!」
「いや……もう、手遅れだ……」
「!? どういうことだ!?」
「こうなる前にケリをつけなきゃならなかった。メインコントロールを掌握されてしまったということは……」
シュメイスの表情は、歪んでいた。
それはソルドも、ほとんど目にしたことのない絶望の滲んだ顔だった。
彼の口からその理由が語られようとする中、遮るように【アトロポス】が叫ぶ。
「大変です! 別の地点に新たなカオスレイダーの反応が現れました! このCW値は恐らく新種です!」
「く……次から次へと……!」
半ば反射的に、ソルドたちは動き出す。
予期せぬ事態が続く中、人を超えた者たちも無常の嵐に翻弄されるしかなかった――。




