(24)月光の心
愛も憎悪も表裏一体。
二人の兄妹は、己が思いのままに激突した。
漆黒の大鎌が空を裂くと、迸る衝撃波が床や壁を巻き込んで破壊する。
荒れ狂ったように舞う粉塵の中を赤い光が駆け、そのあとを追うように黒い闇が風となる。
乱舞する刃から再度生まれた破壊の奔流を、黄金光の防壁が受け流す。
三百六十度へ散るように粉塵が吹き飛び、二人の姿が明確になる。
「……やっぱり少し変わったようね。ソルド=レイフォース……」
「【ヘカテイア】……」
大鎌の柄の先端を掴んで止めたソルドを見つめ、【ヘカテイア】は感心したように言う。
目の前にいる男は、黄金の光をわずかに放っていた。
(確かに以前とは違う。奴の動きにも力にも……ついていけるようになっている)
ソルドもまた意外そうな表情をしている。
かつてイサキを救った力はダイゴ=オザキとの戦い以降、わずかずつ引き出すことができるようになっていた。それは彼の身体能力をも引き上げていたのだ。
「面白いわ!! 楽しくなりそうね!!」
「ぐっ……!?」
それでも【ヘカテイア】との力量差は、まだ埋まらない。
振り下ろされる刃の重みが増し、先端がソルドの肩口に食い込む。
「く……! ルナル……私の声を聞くんだ!!」
「さっきから、なにを言っているのかしら!?」
血を流しつつ苦痛に耐えながら、彼は叫ぶ。
しかし、それに対する黒き女の返答に変化はない。
(ダメか……! この状況では、ルナルの封じられた心を呼び覚ますことはできないか……!)
【レア】から聞いた条件が思い出される。
【ヘカテイア】と対峙した状態で呼び掛けることはできたが、ルナルの復活を望む他者が今ここにはいなかった。戦いながらでの呼び掛けでは思うように集中できないのも、理由のひとつにあったろう。
歯噛みしつつ【ヘカテイア】を見つめたソルドだが、突如風を切る音が聞こえてくる。
それがなにか気が付く前に、目の前を渦のような波動が横切った。
とっさに黒き女は大鎌を離して飛び退り、ソルドもまた動きの自由を取り戻す。
「ソルド!! 無事ですか!!」
「シェリー! アトロ! 来てくれたのか!!」
聞こえてきた声の方向に目をやると、そこには緑髪の女性とポニーテールの少女がいた。言わずと知れたアーシェリーたちである。
ソルドは顔をしかめつつ大鎌を引き抜くと、それを投げ捨てる。
「薄汚い泥棒猫にポンコツの電脳人格……! うっとうしい……!!」
同じように目をやった【ヘカテイア】は、憎悪に表情を歪める。
新たな大鎌を生み出した彼女は、それを振りかぶって攻撃を放とうとする。
「させるかっ!!」
ソルドはすかさず跳んだ。
一気に黒き女の眼前に迫った彼は、先ほど同様に振り下ろされようとした柄を掴み止める。
「ソルド! お前はっ!!」
「二人共、今だ! ルナルの……心に!!」
【ヘカテイア】を見据えたまま、ソルドは叫ぶ。
わずかに逡巡したアーシェリーたちだが、彼の言葉の意味を察すると、すぐに声を張り上げた。
「ルナル!!」
「ルナルさん!!」
「ルナル!! 私たちの声を……聞けぇっ!!」
三人の声が重なる中、【ヘカテイア】は更なる憎悪を滾らせて大鎌に力を込めようとする。
その瞬間、彼女は大きく目を見開いた。
「うっ!? ぐ……うああああぁああぁぁぁぁっっ!!!」
頭を押さえてのけぞり、黒き女が絶叫する。
同時にソルドの身体から、先ほどまでと異なる白銀の光が漏れた。
「ここは……?」
気が付くと、ソルドの意識は暗闇の中にあった。
自身の存在すらも認識できないほど、深い闇が周囲に広がっている。
(まるで、溶けて呑み込まれてしまいそうだ……)
率直な思いを、彼は抱く。
このまま居続けたら、いずれ本当に言葉通りになりそうな気がした。
「兄様……」
そんな中で、彼は聞き慣れた女の声を聞く。
目を向けるように意識を集中すると、そこにはおぼろげな光を放つ人の姿がある。
その正体がなにか、ソルドはすぐに察した。
「ルナル!!」
特徴的な青い髪と銀の瞳は、紛れもなく彼の知る愛妹のものだった。
声にならないその声を肯定するように、女は頷きを返す。
「久しぶり……というべきかしら。兄様……」
「やはり、ルナルなんだな! だとすると、ここは……」
「そう……ここは【虚無の深闇】の中よ」
ルナルは無表情につぶやいた。それはこれまでの幻影で見せてきた悲痛な姿とは、まるで違うものだ。
巡る様々な思いの中でソルドは訝しみつつも、言葉を紡ぐ。
「ルナル……なにから言えば良いかわからないが、とにかくここを出よう」
「できないわ」
「なぜ!?」
「できると思っているの? ここは光さえ出られないブラックホールのような場所なのよ。今、ここにいる兄様も、一時的に意識を接続しているだけに過ぎない……私の残滓を媒介にね」
しかし、それに対するルナルの返答は、やはり冷たいものだった。
どこか説明的な口調は、特務執行官の任に当たっていた時の彼女と同じものだ。
「それに今更、どんな顔をして戻れって言うの? オリンポスを崩壊させ、多くの人々を苦しめた私に……」
「だが、それは【ヘカテイア】が!!」
「違うわ。兄様も本当はわかっているんでしょう? 私と【ヘカテイア】が、同一人物だってことを……」
今、ここに実体があれば、ソルドは息を呑んでいたことだろう。
わかっていても認めたくなかった事実を、ルナル本人はあっさりと肯定した。
彼女はそこで陰のある表情を見せ、訥々と語り始める。
「兄様が地球へ行ったあとの任務で、私は【ハイペリオン】に殺されかけ……そして【エリス】に助けられた」
それはルナルが、ソルドたちの前から姿を消したあとの経緯だった。
【エリス】に連れ去られたルナルは、そこで【レア】と邂逅したと言う。
「……瀕死の私を、【レア】は蘇らせたわ。そして同時に、私の心の闇につけ込んだ……」
どこかおぞましいことを思い出すように、彼女の口調は変わる。
ソルドは口を挟むこともできずに、話に聞き入るだけだ。
「私の中の嫉妬と憎悪……そして昔から存在していた殺意の塊が溶け合った存在こそ、【ヘカテイア】なのよ。【虚無の深闇】によって力を得た彼女は、私に代わって表に解き放たれた……」
【ヘカテイア】の正体――それはエルシオーネが語ったものと、ほぼ同じだった。
わずかに違ったのは、そこに人格継承実験の産物が絡んでいたことだろう。
ルーナ=クルエルティスの殺意が下地にあったため、凶悪な【ヘカテイア】は形成されたのだ。
「今の私に【ヘカテイア】を止める力はない。少し気を逸らして邪魔する程度が関の山よ。私は嘆きながら、彼女の凶行を眺めるしかなかったわ……」
顔を俯けて、ルナルは続ける。
【虚無の深闇】に閉ざされていても、外界で起こったことはすべて知っていたと。
同時に【ヘカテイア】の為すことすべてが、自身の奥底にあった歪んだ願望の発露だったということも――。
「……だから、彼女の罪は私の罪なのよ。私は、彼女と共に果てるべきなの……」
「!? バカな!! そんなこと!!」
ソルドの意識は、そこで絶叫する。
彼女と共に果てるべき――その言葉の示す意味を、彼は悟ったのだ。
再び顔を上げたルナルは瞳に涙を浮かべながら、寂しそうに微笑んだ。
「……ありがとう。兄様……こんな私を見捨てないでくれて。でも……もう、さよならよ……」
その言葉を最後に、輝く妹の姿は遠ざかっていく。
ソルドの意識が一気に後退し、現実の世界へ舞い戻っていく。
「待て!! 待ってくれ!! ルナルゥゥゥッ!!!」
抗うこともできない中で、彼は必死に妹の名を叫び続けた。
再び気が付くと、ソルドの目の前には【ヘカテイア】がうずくまっていた。
後ろからは、アーシェリーと【アトロポス】の声が飛んできている。
意識が闇に飛んでいた時間は恐らく一瞬か、長くても数秒程度だったのだろう。
どこか呆然とした表情のままにソルドが一歩を踏み出した瞬間、黒き女は顔を上げた。
「おのれ……ソルド=レイフォース……!!」
憎悪を滾らせた表情で、彼女は目の前の男を睨み付ける。
しかし同時に、その瞳には溢れんばかりの涙が浮かんでいた。
「殺す……!! お前は私が必ず殺すっ!! 兄だなどと嘘をつき、私を裏切った偽善まみれのお前を……絶対に許さないっっ!!!」
「!? ルナル……!!」
絶叫しつつ退くように跳んだ【ヘカテイア】は、そのまま自らが生み出した闇の中に消えていく。
輝く軌跡を残して去る黒き女を、ソルドは同じように涙に濡れた顔で見送った。




