(22)来襲者
それは今までに会ったこともない敵だった。
管理局エリアに一人姿を見せた侵入者は不気味な肌の色をし、黒いボディスーツを纏っている。その見た目は百七十センチほどの平均的な体格の若い男だ。
百戦錬磨と言えなくとも、不埒な侵入者をこれまで何人も制してきた屈強な警備員たちにしてみれば、どうということもない相手だったろう。
しかし今、彼らの大半は無力化され、床に倒れ伏している。
「くそ……なんだってんだ!? こいつは……!」
スタン・スティックを構えたやや白髪混じりの中年の男は、残った仲間たちと共に一斉に飛び掛かる。
それに対し、不気味な若者は猫のように身を翻して警備員たちを翻弄した。
ほとんどミリ単位の間隔で攻撃を回避し、続いて繰り出した蹴りが杭となり棍棒となって警備員たちに襲い掛かる。
肉がひしゃげ、骨が砕け、血が飛び散る。それは明らかに人とは思えない威力の打撃だった。
警備員たちはなす術もなく、新たに生まれる血溜まりの中に沈んでいく。
そしてただ一人残された白髪混じりの男にも、暴風のような攻撃が迫った。
「うわあああぁぁぁぁぁぁ!!」
「あいにく、その男をやらせるわけにはいかないわね」
しかし、恐怖の叫びに被さって冷たい声が割り込む。
いつの間に現れたのか、両者の間に漆黒を纏った女が立っていた。
派手な衝撃音こそあったものの、突き出された女の手は何事もなかったかのように必殺の蹴りを受け止めている。
若者はわずかに表情を動かすと、次いで油断のない光を瞳に宿した。
「想定外戦力の存在を確認……作戦遂行の障害となる可能性大。この場で排除する」
「……面白いことを言うわね。いいわ。暇潰しにはなるでしょう」
緑の肌をした若者を見つめながら、その女――【ヘカテイア】は、歪んだ笑みを浮かべた。
顎門のように開いた扉の前で、激しい戦いが繰り広げられていた。
弾けるように散った床が、破片となって巻き上がる。
人の目には止まらぬほどの接近戦だ。振り抜かれた拳が、打ち下ろされた手刀が空気を震わせ、蹴りが旋風を巻き起こす。
明確な直撃こそないものの、油断ならない技の応酬だった。
「さすがね……ソルド=レイフォース」
玉のような汗を散らし、ダージリンはつぶやく。
一見、互角に見える攻防ではあったが、実際は彼女が追い込まれている。純粋な運動能力で見れば、特務執行官であったソルドが上なのは当然だ。
しかし、同時に彼女は焦ってもいなかった。
「でも、あなたは甘い……」
身を寄せるほどにダージリンが距離を詰めると、途端にソルドの動きが鈍る。
確かに動きは制限されるが、それで攻撃不可能になるわけではない。にも関わらず、明らかな動揺と共に青年は距離を離そうと動くのだ。
「あなたは私を殺せない……いえ、殺すことができないと言うべきかしら?」
「くっ……戯言をっ!!」
雄叫びと共に再び繰り出されるソルドの攻撃は、どこか精彩を欠いていた。
彼自身、手加減をしているつもりは毛頭ない。しかし、意識の奥底では本気で攻撃することを躊躇している。
何度か顔を合わせる中で、ダージリンはそれを確信していた。
「どうしてかしらね……その理由、知りたいわ」
穏やかな言葉とは裏腹に、鋭い蹴りを繰り出すダージリン。
その一撃を飛び退ってかわしながら、ソルドは表情を歪めた。
(……奴の言う通りだ……)
彼自身も、そのことはわかっていた。
まったくの別人であるにも関わらず、どうしても目の前の女に妹の姿を重ねてしまう。
会うたびに、その思いは強くなっている気がした。ましてルナルを救うために動いている今、彼女を手にかけることは妹を見捨てることと同義のようにも感じられた。
(……私は……やはり……っ!?)
苦悩を振り切るように立ち上がったソルドだが、そこで異様な空気を感じ取る。
次いで、大扉の向こうから唸るような声が聞こえてきた。
「この力の高まり……それに今のは!?」
「なに? この声は……?」
訝しむダージリンから目を離し、スキャニングモードを起動したソルドは表情を険しく変えた。
特務執行官であった彼にとって、良く知っている反応がその超感覚に飛び込んでくる。
「やはり、カオスレイダー……! ダージリン! この勝負はここまでだ!!」
「なんですって!?」
ほとんど条件反射とも呼べる動きで、ソルドは駆け出す。
ハッとしたように目を見張ったダージリンは、そんな彼をすぐさま追った。
少しばかり時は戻り、殺戮の嵐が吹き荒れた管理局エリアの一角には、一時の静寂が訪れていた。
「それなりには楽しませてもらったわ。でも、やっぱり暇潰しだったわね……」
髪を掻き上げつつ、【ヘカテイア】がつぶやく。
彼女の足元にはバラバラになった機械の残骸が転がっている。激しく火花を散らすそれが人の形をしていたことは、良く観察しなくとも明らかだったろう。
辺りには緑色の肉片が無数に飛び散っており、ピクピクと虫のように蠢いている。
「SPS細胞……所詮はこの程度のものってことね」
肉片を踏みにじり、黒い女は腰を抜かしている白髪混じりの中年警備員を見やる。
血に染まる床に自らの汚水を垂れ流しながら、彼は呆然とつぶやいた。
「お、俺は……た、助かったのか……?」
その言葉は、どこかすがっているようにも聞こえた。
仲間を打ち倒した恐るべき侵入者は今、目の前の女に容易く殺害――いや、破壊されたのだ。
理解できない現実の連続の中、男が救いを求めたとしてもおかしくはなかったろう。
「お前の役目はこれからよ……タイミングとしては早いかも知れないけど、せいぜい派手に暴れなさい」
しかし、それが甘い考えであったことを、彼は思い知ることになる。
いきなり顔面を鷲掴みにしてきた女の手から、黒い闇が広がり始めたのだ。
「う……!? うぐ、ぐああああああぁあぁぁぁーーーーーーーっっ!!!」
それに合わせるように、男は絶叫する。
自身の内から凄まじくドロドロした感情が溢れ、それが理性を蝕んでいく。
目の前が暗くなり、音も聞こえなくなる。自我が見えない獣に貪り食われていくような感覚に、彼は絶叫を放つのみだ。
ただ、床を転がり続ける男の姿が変化していく様子はない。
「ふ~ん……? まだ侵食が進んでなかったみたいね。まぁいいわ。この程度の心の弱い男なら、覚醒まで時間はかからないでしょう……」
「ニルギリッ!?」
再び髪を掻き上げる【ヘカテイア】だったが、その耳に背後から声が聞こえてくる。
振り向くとそこには、黒いボディスーツと仮面を着けた男女三名が立っていた。
「あら? あなたたちは……」
機械の破片をバキリと踏みつけつつ、黒き女はその目を細める。
それに対して動揺した声を上げたのは、赤いバイザーの男だった。
「その姿!? バカな……! お前はルーナ、なのか……!?」
「ルーナ? なんのことかしら? 私の名は【ヘカテイア】……虚無の殺戮者……」
首を傾げつつ答えた【ヘカテイア】は、その男アールグレイを見やった。
空気が黒く澱み、息苦しさを増したように重く辺りに圧し掛かる。
「……【ヘカテイア】だと。お前がニルギリを倒したというのか? まさか特務執行官なのか!?」
「鋭い洞察ね。でも残念だけど、私は特務執行官なんかじゃないの」
口元を歪めつつ、黒き女はその手に大鎌を顕現した。
死神を思わせる禍々しい武器――それをいきなり生み出したことも含め、強化兵たちの間に戦慄が走る。
「この男が目覚めるまでの間、少し遊びましょうか……悪くない話でしょう? ポンコツさんたち」
「貴様……!」
拳を震わせつつ、アールグレイはバイザーの奥に殺意を宿した。
同胞を完膚なきまでに破壊した女は得体の知れない相手であったが、バカにされたまま引き下がるのは彼のプライドが許さなかった。
「ディンブラ、キームン……動きを合わせろ。油断するなよ」
「了解」
ただ、冷静さまで失ったわけではない。
低い声で指示を下したアールグレイは、同胞の二人と共に風となって【ヘカテイア】へと襲い掛かった。




