(15)暗雲の基幹都市
赤色の荒野に、それは異様な存在感を示していた。
赤い点滅灯が、天を貫くように建つ鈍色の塔を曇天に浮き上がらせる。
五平方キロメートルに及ぶ基幹部を持つ軌道エレベーター・バビロン――それは火星最大の人工建築物であり、他星との物流の要となっている他、数多の企業のテナントを有するオフィスやレジャー施設としての側面も持っていた。
そのバビロンを中心に広がるのは、巨大な都市だ。放射状に伸びた道路に沿って建物が配置されている様は、上空から見れば蜘蛛の巣を連想させた。
「ふ~ん……ここがレイモスですか」
その大通りのひとつでタクシーから降り立ったアンジェラ=ハーケンは、開口一番そう言った。
せわしなく周囲を見回す彼女の様子は容姿も相まってか、好奇心旺盛な子供のように見える。
そんなアンジェラの傍らに立ったのは、金髪の青年だ。
オリンポスの特務執行官シュメイス=ストームフォースは、少し不思議そうな顔をする。
「レイモスに来るのは初めてか?」
「そういうわけじゃないですけど、まともに街に降りたのは今回が初ですね。いつもは軌道エレベーターを使う際に通り過ぎるだけだったんで」
「意外だな。諜報部のエージェントの割には……」
至極当然な反応に、アンジェラは大きく嘆息する。
「そもそも、わたしの担当区域は月でしたからね。特に最近はSSSに潜りっぱなしだったんで、火星に来たのも久々なんですよ。これが観光だったら良かったんですけどね~」
「それは仕方のないところだな」
「おまけに、なんでシュメイスさんと一緒なんですかね?」
「……いろいろ事情があんのさ。ま、お前の場合、仮に恋人と来たとしても、親子に間違われるのがオチだろうけどな」
「むむ……! 人が忘れようとしていたことを、この人は……!」
元から不満げだったその表情は、シュメイスの放った軽口に見る見る紅潮する。
肩を怒らせつつ青年に向き直ったアンジェラは、まくし立てるように叫んだ。
「だいたい、あれは失礼過ぎますよ!! どこをどう見たら、わたしたちが親子に見えるんですか!?」
「ま、普通は間違っても、兄妹とかだろうな。おまけに全然似ていないしな」
アンジェラが激怒している理由は、バビロンの商業エリアであった出来事が原因である。
並んで歩いていた二人は、とある店の呼び込みの年配女性に親子呼ばわりされたのだ。
シュメイスは大笑いしたが、アンジェラはよほど不本意だったのか今同様に大声で叫びまくっていたのである。
「気持ちはわかるが、ふて腐れるなよ。お前が大人の女ってことは、ちゃんと俺が知ってる」
「誤解を招くような発言は、やめて下さいよ!!」
なだめるようでいながら煽るような青年の物言いに、アンジェラは更に頬を紅潮させる。
周囲から視線が注がれてきたこともあり、さすがにこれ以上目立つのはまずいと思ったのか、シュメイスは一言謝って歩き出した。
内心不満は収まらなかったものの、アンジェラもすぐそれに従う。
「しかし、見たところ物々しい雰囲気はないな」
「まぁ、人や物資の移動が増えたって言っても、一般市民には関係ないですからね」
「確かにな。かといって、悠長に探っている時間もないか……」
二人がレイモスにやってきたのは、【アマランサス】からもたらされた情報の調査のためだ。
しかし、元より諜報部所属のアンジェラはさておき、特務機関所属のシュメイスが来た理由については不明のままだった。
協力体制にあったとはいえ、両組織共に手の内をさらけ出しているわけではない。その微妙な関係は、二人のそれと良く似ていると言えただろう。
「時間がないのは当然です。ここはさっさと行動に移るべきですね」
人目を避けるよう路地裏に移動したアンジェラは、バッグに入れていたタブレット型端末を取り出す。
表面に指を走らせると、中空におぼろげに輝くスクリーンが投影された。
「諜報部の情報では、移動物資は主にアマンド・バイオテックの施設に運び込まれているようです。直接乗り込んで調べたほうが、手っ取り早いですね」
「直接って……今からか?」
「なんですか? なにか不満なんですか?」
「いや……俺は構わないが、お前もずいぶんタフだなと思ってな」
シュメイスは、感心したようにつぶやいた。
特務執行官である彼はさておき、月から移動してきたばかりで一度も腰を落ち着けることなく調査を開始しようとするアンジェラのバイタリティが、素直に凄いと思ったのだ。
「こう見えて、体力には自信があるんですよ。そうでなければ、瀕死の真似事なんてできませんからね……」
それに対しアンジェラは少し得意げに語るものの、言葉の最後は暗い声となっていた。
時を違え、砂煙の舞うレイモス外縁部を歩く三つの人影があった。
バビロンの基幹部付近と異なり、荒涼な大地へと繋がる外縁部は、同じ都市と思えないほどに殺伐とした風景が広がる。
暗雲を貫いてそびえ建つ軌道エレベーターを遠方に捉えながら、黒髪の少女は機械仕掛けの瞳孔を動かした。
「へぇ……ここがレイモスなんですね」
元電脳人格の少女【アトロポス】は、感嘆した様子で口を開いた。
乾いた風に髪を揺らし、広げた手の上で踊る砂を握り締める。
電子の目で見るという行為はかつてと同じでも、その身で感じるという経験は初のものだ。
そんな彼女を横目にしつつ、アーシェリーはソルドに語り掛ける。
「ここは確か、ソルドが初めてSPS絡みの事件を解決した場所ですよね?」
「そうだ。そして初めて【ハイペリオン】と会った場所でもある。あの時は、ルナルも同じ任務に就いていた……」
瞑目したあと、ソルドは顔を上げる。
彼にとってこの地は、因縁や後悔など様々な思いの渦巻く場所だった。今また、ここを訪れたことも、新たな運命の分岐点なのではないかと思える。
そんな青年の様子を見て、アーシェリーはわずかに顔を俯けた。
「……すみません。ソルド……」
「いや……気にしないでくれ。今、私たちがすべきことは、過去を振り返ることではないからな」
意識を現実に引き戻したソルドは首を振りつつ、恋人の肩を叩く。
そして、視線を【アトロポス】に向けた。
「まず、情報を整理しよう。アトロ……フィアネスからもらった寄生者のデータを、もう一度見せてくれるか?」
「了解しました」
二人の傍に歩み寄った黒髪の少女が、その手を上に向ける。
光が放射状に放たれ、その中で複数のスクリーンが浮かび上がった。
「対象は、バビロンの運行管理局に勤める人物ですね。その中でも警備管理部に所属しているようです」
「警備管理部?」
「警備担当会社との折衝や、自衛設備のメンテナンスなどを行う部署ですね」
言いながら【アトロポス】は、様々なデータを提示する。
警備管理部の仕事内容は秘匿性が高い上に流動的であり、勤務時間もまちまちだ。
労務管理上はさておき、実質的に帰宅できない日も割とあるのではないかということだった。
「そうなると、正面から接触するのは難しそうだな」
「そうですね。今の私たちは、特務執行官でもありませんし……」
アーシェリーの言葉に、ソルドは唸る。
ICコードが使えないのは当然として、組織の名を借りての捜査も不可能である以上、接触を図るには強引に潜入するしかない。
「不可解な人や物資の移動については?」
「はい。こちらは情報が限定的になってしまいますが、一部の企業名義で頻繁に行われているようです。代表的なところで言えば、アマンド・バイオテックですか」
「アマンド・バイオテックか……」
反政府組織との繋がりを持つとされる巨大企業の不穏な動きは、気になるところだ。
この地で起こるという大規模な混乱にも、まったく無関係とは言えない予感がした。
「……ソルド。ここは分かれて調査を行ったほうが良いかも知れません。私がアマンド・バイオテックを調べましょう」
ややあって、アーシェリーが再度口を開いた。
彼女もまた同じ予感を抱いていたのだろう。そして時間もない以上、ひとつずつ探っていくのは効率が悪いと判断したようだ。
ソルドとしても、その判断に異を唱えるつもりはなかった。
「そうだな……では、私とアトロで寄生者を探りつつ、同時にバビロン内部の動きも調べる。大規模な混乱が起きるというなら、なにかしらの変化があるはずだからな。十二時間後に、またここで落ち合おう」
「了解です。では、始めましょう。二人共、気を付けて下さい」
「シェリーもな」
頷き合った三人は、行動を開始する。
巻き起こった突風に砂埃が激しく舞い上がると、その場にたたずむ者は誰もいなくなっていた。




