(14)収束してゆく思惑
フジ島の本拠で、ソルドたちはフィアネスからの通信を受け取っていた。
それは前回の接触から、わずか二日後のことだった。
「軌道エレベーター・バビロンだと?」
『ええ。【ヘカテイア】が次の行動を起こすのは、そこで間違いありませんわ』
ソルドの言葉に、フィアネスは画面の向こうで頷く。
その表情は、能面のように冷たいものだ。
「……次の行動とは、カオスレイダーの覚醒を促すための行動ということですよね? 対象となる人物の情報はあるのですか?」
それに対し、今度はアーシェリーが問い掛ける。
フィアネスがわずかに片手を上げると、モニター上に別枠のウインドウが表示された。そこには一人の男の画像と詳細な情報が列記されている。
一通り目を通したあとに頷くソルドだが、ふとその眉がひそめられた。
「……なるほどな。ターゲットはわかったが、これを今知ったところで間に合うのか?」
近場ならともかく火星まで移動して相手を探し出すとなれば、ソルドたちでも半日近くはかかってしまうだろう。【ヘカテイア】が空間を繋げて移動する能力を持っている以上、手遅れになる可能性のほうが遥かに高い。
ただ、それはフィアネスも承知していることだった。
『時間に関しては、まだ猶予がありますわ。【レア】からの情報で、近々バビロンで大規模な混乱が起こるとのこと……そのタイミングに合わせて、覚醒を促すよう言われたみたいですわね』
「大規模な混乱だと? それはなんだ?」
しかし、その理由はあからさまに不穏なものだった。
反射的に問い返すソルドに対し、フィアネスは初めて顔を曇らせる。
『残念ながら、そこまではわかりませんわ。ただ、混沌の力を高めるには、そのほうが効率的なのだという話しか……』
「……わかった。情報感謝する。フィアネス……」
元より嘘をついたりごまかす理由がない以上、彼女の言葉は真実なのだろう。袂を分かったとはいえ、かつての仲間を不必要に疑いたくないという心情もあった。
ひとまずの礼を述べてソルドは通信を終了したものの、その場の誰もが納得のいかない表情を浮かべていた。
「どう思う? シェリー」
「大規模な混乱がなにを指すかは、やはり気になりますね。それをなぜ【レア】が知っているのかということも……」
アーシェリーは、この話の裏に【レア】の思惑が潜んでいることを疑っていた。
覚醒のタイミングを見計らうことが、あたかも自分たちに【ヘカテイア】と相まみえる機会を与えているように思えたからだ。
続いてソルドは、傍らでコンソールを叩いている【アトロポス】に視線を移した。
「アトロ……【クロト】から、バビロンに関する情報は得ていないか?」
「オリンポス内部での動きはわかりませんけど、CKOの【アマランサス】から、気になる情報は上がっていたみたいですね」
「気になる情報?」
「はい。バビロン基幹都市のレイモスで、不可解な人員や物資の移動があるという内容ですけど……」
モニターにいくつかのデータを表示させながら、【アトロポス】は答える。
彼女は現在でも【クロト】との連絡を取り合っており、限定的ではあるものの、政府やCKOの機密情報などもやり取りしていた。
彼女の言葉の中に出てきた都市名に苦い表情を浮かべつつ、ソルドは唸る。
「ソルド……どうしますか?」
「……ここで考えていても仕方ないな。まずはレイモスへ行こう。情報収集は現地で行ったほうが手っ取り早い。あと、今回はアトロも同行して欲しいんだが……」
「わかりました。ルナルさん絡みのことですからね」
どのみち選択肢はないのだから、悩むだけ時間の無駄だった。
行動を決意した三人は、出立するべく準備を始める。
(レイモス、か……)
その中でソルドは、因縁の都市への再来訪に複雑な思いを抱いていた。
鉄のような重みを持った空間だった。
円柱状に造られた室内は直径が二十メートル、天井までの高さは五メートルほどもあったが、その広さに合わぬほどに空気は張り詰めていた。
部屋の中央には巨大な円卓があり、均等に配された椅子には十数名の人間たちが着席している。
軍服のような服を纏ったその者たちは皆、鋭い眼光を持ち、剣呑な雰囲気を放っている。
やがて、その中で一番背もたれの高い椅子に座る男が口を開いた。
「例の計画は順調か?」
室内が暗いために見た目はわからなかったが、声の感じからしてまだ若い男であった。
その問いに答えたのは、彼の斜め向かいに座る男だ。
「はっ……現在、CKOは先日のクリフォード襲撃によって逃走した囚人たちへの対応に追われています。保安局は言うに及ばず、治安維持軍の一部までも駆り出されている状況です」
「そうか……SSSの新型強化兵士は、想像以上の成果を見せてくれたな」
背の高い椅子に座る男は、その答えに満足げな様子を見せる。
そのやり取りを皮切りに、席のあちらこちらから声が上がった。
「アマンド・バイオテックからの援助もあり、部隊の再編成も滞りなく進んでいるようです。次の襲撃にも問題なく間に合うとのこと……」
「だが、悠長に構えている暇はない。クリフォードの一件による混乱も長くは続かないだろう。奴らが次の手を打つ前に行動を起こす必要があるぞ?」
「然り。それに噂の特務執行官とやらも、姿を見せておらん……もし、その者たちがバビロンに派遣されようものなら、戦況は厳しくなるじゃろう」
「ですが、特務執行官とやらは、謎の化け物を相手にすることが目的のはず……CKOが自らその禁を破ると?」
「可能性は高いと言える。軌道エレベーター・バビロンを占拠されることは、火星における物流の主導権を奪われることと同義……クリフォードの件と合わせれば現行政府にとって最悪のシナリオとなる。CKOもなりふり構ってはいられまい」
次々と放たれる列席者の意見を聞いていた背の高い椅子の男は、軽く右手を上げる。
数十秒も経たぬ内に場が落ち着き、静けさが戻ってきたところで、彼は重々しく告げた。
「準備が整い次第、速やかにバビロン攻略作戦を実行するのだ。我らの威信を懸けた今回の作戦……失敗は許されんぞ」
「かしこまりました。必ずや成功させてみせましょう。偉大なる我らが主に誓って」
「【宵の明星】に、栄光の輝きを!」
「「【宵の明星】に、栄光の輝きを!!」」
男の最後の一言に一斉に起立した列席者たちは、各々右腕を胸元に当てて唱和した。
異様な雰囲気を放つ会議は終わり、場をあとにした男は一人階段を昇り、屋外へと出ていた。
光の下に現れた彼の容姿はまだ二十代くらいの青年であったが、色のない髪に赤みを帯びた瞳と、少し異様な外見をしている。
小高い岩山に偽装された施設の外に広がるのは、無人の荒野だ。砂を含んだ風が、乾いた音と共に吹き抜けていく。
大地を見下ろしつつ歩を進めた彼は、やがてその場に跪き、深く頭を下げた。
「……ご報告致します。偉大なる我らが主よ……」
つぶやくように放たれた言葉に応じ、そこに黒い影が姿を現す。
闇そのものが具現化したような人型の目元には、歪な光が浮かんでいる。
続く男の言葉を聞いていたその影は、やがて見えぬ口を開く。
「なるほど……お前たちは実に優秀だ。私の想像以上の働きをしてくれるな」
「もったいないお言葉……」
「だが、油断は禁物だ。お前たちの敵は、バビロンへの襲撃を見越している可能性がある」
「存じております。CKOとて無能の集団ではありませんので……」
重々しく響いた影の声に、男は砂を握り締める。
その手は、わずかばかり震えていた。
「しかし、我らもかつてのような辛酸を舐めるつもりは毛頭ありません。この度のバビロン攻略、必ずや成功させてみせましょう……」
「期待しているぞ……新世界の担い手たちよ」
やがて立ち上がった男は改めて一礼し、踵を返した。
足音も静かに去る背を見送りながら、影は満足げに頷いたようだった。
「さて、これでお膳立ては整った。あとは奴ら……混沌の軍勢が、どう動くか……」
双眸を白く輝かせたその姿は、紛れもない【レア】のものだった。




