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APOLLON -灼熱の特務執行官-  作者: 双首蒼竜
FILE2 兄妹の絆は悲しみの中に
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(11)蠢く影


 研究所から逃走したアイダスは、息を弾ませながら深夜の街路を駆けていた。

 時間も時間だけに、人の姿はない。それは今の彼にとっては僥倖と言えた。

 暗闇の中に光るその目は、歪な赤の輝きを放っている。

 腕の中には、どくどくと脈動を続ける緑色の球体めいたものがあった。


「やぁ、元気そうだね。アイダス=キルト」


 どれだけの時間走ったのだろうか。

 呼吸をするのも苦しくなってきた頃、彼の耳に声が届いた。

 その声は、あまりにフレンドリーな響きを持っていた。まるで親しい友人に語り掛けるかのようだ。

 アイダスが足を止めると、吹き荒ぶ風が甲高い響きを残す。

 いつの間にか彼の行く手に、ひとつの人影が立ちはだかっていた。


「オ、オ前は、ダれ、だ……?」

「まぁ、そう警戒するなよ。僕は君の味方だ……()()()()()()()?」

「み、味方ダと……?」


 人影はゆっくりとアイダスのほうに歩いてくる。

 その姿ははっきりしなかったが、異様な雰囲気を持っていた。

 アイダスの頭の中で、別の意思が強く反応する。それは圧倒的な存在に対する怖れ――畏怖の念といったものか。

 なぜか勝手に膝をつこうとする己の身体を押し留め、彼は大きく頭を振った。


「ふ~ん……思ったより自我が強いんだね。その様子だと、あと一歩というところだけど……」


 謎の人影はそんな彼の様子を見て、笑ったようだった。

 そして、アイダスの持つ物体を、手で指し示す。


「さて……君の持つソレなんだけど、僕にくれないかな?」

「な、なンダと!!」

「元々、そのために君を利用したんだ。少しまどろっこしい手を使ってね……ま、君は理解してないだろうけど」

「ど、ドウいうコトだ!?」


 アイダスの問いに答えず、人影は目元に金色の輝きを閃かせた。

 次の瞬間、アイダスがいきなり頭を抱えて、その場に崩れ落ちる。

 凄まじい痛みが、彼の脳髄を襲っていたのだ。


「う、ウオオオァァアオアァアァアァ……!」

「これで君の覚醒はもうすぐだ。さぁ、会いに行きなよ……愛しい妹にね」


 足下に転がってきた緑色の物体を拾い上げ、謎の人影は肩を揺らした。

 苦しみもがいていたアイダスは、やがてゆらりと立ち上がると、おぼつかない足取りで歩き始める。


「ウオォォォ……み、みゅす、か……!!」


 視線も定まらず、口から涎を垂らして進む姿には、科学者としての威厳も知性も感じられない。

 ただ妹の名だけを呼びながら幽鬼のように去っていく彼の姿を見送り、人影はその姿を闇に溶け込ませた。


「フフフ……楽しくなってきたじゃないか……」





「では、あの男は君に、お兄さんの居場所を聞いてきたのか?」

「うん……でも、そんなの知らなかったし……」


 ミュスカの家に向かう道すがら、ソルドはカフェで別れて以降の話を聴いていた。

 もっとも、特に目新しいことを聞けたわけでもない。

 ミュスカの端末から情報を得たソルドのほうが、知っていることは多かったと言えるだろう。

 その端末自体は彼女に返したものの、衝撃で破損したためか、今は使い物にならなくなっている。


(結局はアマンド・バイオテックも、アイダス=キルトの行方を追っていたということか。ミュスカを拉致したのは、奴の居場所を探るため……)


 アイダスの身内がミュスカしかいない以上、アマンド・バイオテックは彼女に連絡を取ると考えたのだろう。

 実際、メールの送信元からアイダスの現在地は割り出すことができている。

 ミュスカがそれを確認していなかったのは、ある意味で僥倖だったかもしれない。

 それはアマンド・バイオテックに情報が渡らなかったこともそうだが、もうひとつの理由もあった。


(だが、恐らく奴はカオスレイダーに……だとしたら……)


 ソルドは、端末に残されていたメールの内容を思い出す。

 カオスレイダーに侵された者は精神の侵食に抗う中で、矛盾したことを口走る習性がある。あの支離滅裂な内容には、その特徴があったのだ。

 そして仮にそうだとしたなら、次に求めるものはほぼ決まっている。


「あ、ここでいいわ」


 ミュスカの声が、ソルドを現実に引き戻す。いつの間にか、彼女の自宅に着いていたらしい。

 小ぢんまりとした佇まいの一軒家だ。割と年数は経っているようだが、古めかしさはあまり感じない。


「送ってくれて、ありがと。あの……なんだったら、少し寄ってく?」

「気持ちはありがたいが、少しやることがあってな。君も今日は疲れただろうから、ゆっくり休むといい」

「わかった……じゃあね」


 さすがのミュスカも、自宅に強引に男を引き込む気はないようだった。

 もっとも、精神的に疲弊していたというのもあるだろう。

 ドアの閉じる音を聞きながら、ソルドは小さく息をついた。


「ひとまずは落ち着いたが……ここも正直、安全とは言い難い。さて、どうするか?」

「兄様!」


 すると、道の向こうから駆けてくる人影が見えた。

 月光に照らされた青い髪が、美しく揺れている。


「ルナルか。どうした? アイダスの行方は突き止められたのか?」


 珍しく焦った様子のルナルを見て、ソルドは訝しげに訊いた。

 やや息を整え、彼女は小さく頷く。


「兄様の情報通り、彼は例のポイントにいたわ……けど、逃げられた」

「逃げられた?」


 予想しなかった返答に、ソルドは面食らったようだ。

 特務執行官が一人の人間を取り逃がすなど、普通に考えればあり得ない話である。

 しかし、ルナルが事の顛末を語るにつれ、彼の表情に再び厳しさが戻る。


「そうか。やはりアイダス=キルトは、カオスレイダーに寄生されていたか……」

「本格的な覚醒まで、間もない感じね。そして彼は間違いなく、妹のミュスカ=キルトを狙うはず」


 ソルドの抱いていた懸念が現実となった。

 覚醒間近のカオスレイダーが求めるもの――それは宿主にとって親しい者の発する負の感情だ。

 前の事件でジョニー=ライモンがボリス=ベッカーを襲ったように、アイダスはミュスカを狙う可能性が高い。


「でも、意外だったわ。まだここに現れていないなんて……」


 ルナルが急いでいた理由も、そこにあった。

 しかし、アイダスはいまだにその姿を見せていない。


「ここにいたとしても、アイダスと出会う可能性は高いが……彼女に接触させるのだけは避けなければな」

「ええ。このままでは、どう転んでも最悪の事態になる」

「下手をすると、ミュスカの前で奴を殺すことにもなりかねん……」


 だが、そこまで言って、ソルドは人の気配に気付く。

 家のドアが開き、ミュスカが茫然とそこに立っていた。


「ころ、す……って、どういうこと!?」

「ミュスカ!? なぜ……!!」

「話し声が聞こえたから……ねぇ、殺すってなに!? お兄ちゃんを、どうしようっていうの!」

「それは……!」


 ソルドは己の迂闊さを呪った。

 少なくとも、ミュスカに聞かれる可能性のある場所で、口にしていい言葉ではなかった。

 しかし、時はすでに遅い。


「あんたも結局、悪い奴らの仲間だったの!? あたしを利用して、お兄ちゃんを……!」

「それは違う! そうでは……!」

「もうわけわかんない!! なにがなんだかさっぱりよ!!」


 頭を振って叫んだミュスカは、再び家の中へと駆け込んでしまった。

 思わず後を追ったソルドは、廊下の向こうで包丁を構えて立ちすくむ彼女を目にする。


「来ないでよ! お巡りさん、呼んでやるんだから……!」


 この状況では、いくら話しても誤解は解けないだろう。

 いや、そもそもが誤解ではない。アイダスを殺すという言葉は、()()()()()()()なのだ。

 問答している時間はなく、そして下手に騒がれて困るのも事実だ。

 次のソルドの行動は、素早かった。


「すまん……」


 苦しそうにつぶやきながら、彼はミュスカに当て身を食らわせる。

 神速の移動から放たれた一撃に、少女の身体は簡単に床に崩れ落ちた。


「兄様……セントラルから通信が」


 嘆息するソルドの背後から、ルナルの声が聞こえた。

 彼女は兄の傍までやってくると、右手から光を放つ。

 中空に、短髪の少女の姿が映し出される。


『あ、ソルド……それにルナルも、ちょっといい?』

「どうした?【ラケシス】?」

『レイモス市街地のG地区で、謎の化け物が暴れているの。緑色のゾンビみたいな奴!』

「緑色の……ゾンビ!?」

『本来はオリンポスの管轄じゃないけど、普通の人間じゃ手に負えないみたい。もし動けそうなら対応してくれって、司令から……』


 思わずソルドたちは顔を見合わせる。


「さっきルナルが話していたSPSとやらを利用した化け物か? しかし、なぜ……!?」

「アイダスの仕業に違いないわ。このままじゃ、一般市民にも犠牲者が出る!【ラケシス】、司令に了解したと伝えて!」

『あ、う、うん!』


 ルナルは半ば強引に通信を終了すると、すぐに駆け出そうとする。

 しかし、その腕をソルドが掴み止めた。


「ルナル、待て! ここは私が行こう。お前の能力では相性が悪いのだろう?」

「兄様、しかし……!」

「お前はミュスカを頼む。目を覚ましたら、なにをするかわからん。それにいつまた襲撃者が来るか……」


 その言葉に、ルナルの表情が曇る。

 敵との相性が悪いとはいえ、面識のなかった少女の面倒を押し付けられるのも困りものだ。

 ソルドとしても彼女の言いたいことは理解していたが、あえて懇願する。


「面倒ごとを押し付けるようですまんが……頼む」


 ルナルは、小さく嘆息した。

 確かに先程の経緯を見ていれば、目を覚ましたあとの混乱が容易に想像できた。

 元々、話下手なソルドでは火に油を注ぎかねないので、それなら自分が対応したほうがマシだろう。

 シュメイス辺りがいてくれたら、うまく話をまとめられるのだろうか。

 この場にいない人間の話をしても仕方がないが、ルナルはそう考えずにはいられなかった。


「……わかったわ、兄様。気を付けて」

「……すまん」


 本当にすまなそうな表情を向けた兄を見て、彼女は再びため息をついた。


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