(9)意外な接触
フジ島の集落から少し離れたところに、一軒のログハウスがあった。
そこは一見すると普通の家屋に見えるが、実は外見を偽装した簡易基地である。
木材のような壁は腐食にも強い特殊鋼製であり、入り口は認証された者でなければ開かないようになっている。屋根は高性能のソーラーパネルで、降り注ぐ強烈な太陽光を稼働用の電力として変換していた。
その内部は外観に反して科学的であり、居住空間を兼ねたメインルームとメンテナンスルームとに分かれている。
メインルームには大型のコンソールとモニタースクリーンが設置され、淡い光と甲高い駆動音が辺りを満たしていた。
『よ。元気そうだな』
そこで、ソルドたちは通信の主と対面していた。
やや荒い画像のモニターに映し出された金髪の青年は片手を上げると、開口一番にそう言った。
実際はまだ二週間程度しか経っていないが、その気さくな物言いを聞くのは久しぶりな気がするなと、ソルドは表情を緩める。
「シュメイスもな。今、オリンポスは大変なことになってるんじゃないか?」
『確かにな……今更ながら、【モイライ】の情報処理能力がどれだけ偉大だったかを思い知ったって感じさ』
両手を広げつつ嘆息するシュメイスの顔には、わずか疲労の色が見えた。
戦域情報管理官を務めていただけに、現在のオリンポスでは情報管理の面で重要な役割を任されているということだ。世界に真実が露呈しないようにするだけでも、苦労が絶えないことは間違いないだろう。
コンソール前に座る【アトロポス】は、わずかに肩を竦めた。
「そうですね。今の技術では、全世界に散らばったナノマシンのコントロールは不可能ですし……」
『ああ……それに俺たちを取り巻く状況も、面倒になった。顔が割れていないのがせめてもの救いだが、以前ほど大っぴらに掃討活動ができるわけでもないのさ。まぁ、大事ばかり起こしていた誰かさんがいなくなったのが、せめてもの救いだな』
「それは言えてるかも知れませんね」
シュメイスの皮肉めいた言葉に、アーシェリーが傍らに目をやりつつ苦笑を漏らす。
特務執行官時代に器物損壊の常習犯であったソルドにとっては、耳の痛い台詞と言えた。
わずかに眉を吊り上げた赤髪の青年は、憮然と言葉を継ぐ。
「……それで? こんな世間話をするために連絡してきたわけでもないのだろう? そもそもこの通信すら、足が付く可能性があるはずだ」
『へぇ。お前にしては鋭いな……けど、俺を見くびってもらっちゃ困るぜ。伊達に生前はハッカーをやってたわけじゃないんでな』
一瞬、意外そうな顔をした金髪の青年は、背もたれに預けていた背を離すと、改めてソルドたちを正面に見据えた。
『けどまぁ、長々世間話をしてるわけにいかないのも確かだ。単刀直入に言うぜ。フィアネスが会いたがってる』
「フィアネスが!?」
『ああ。お前たちと直接コンタクトを取れなかったから、俺に連絡が来たのさ』
思わず場の空気が固まる中、アーシェリーが怪訝そうに眉をひそめる。
「ですが、フィアネスが、なぜ……?」
『俺も詳しいことを聞いたわけじゃない。今、その内容を送るから、確認してくれ』
言うが早いか、シュメイスはモニターの向こうで手早くコンソールを操作した。
すぐにひとつのメッセージが転送されてくる。
【アトロポス】がそれを開くと、モニター上にひとつの文章が映し出された。
『ソルドへ……明晩二時に、ベータの第一宇宙港にて待っております』
非常にシンプルな内容であった。
あくまで用件は直接伝えたいという意思表示であろう。
『これを見て、どうするかはお前たち次第だ。あのフィアネスのことだから、罠ってことはなさそうだけどな……』
「確かにな……」
シュメイスの言葉に頷きつつも、ソルドの表情は険しい。
性格的に人を陥れるような真似はしないものの、同時に目的のためならば、それを許容する柔軟さと意思力とを併せ持つのがフィアネスだ。オリンポスを離反した真意も見えない以上、楽観視はできない。
そんな彼の思いを感じ取ったように、シュメイスは続けた。
『今回の用件はこれだけだが、もし、俺の力が必要になるようだったら、いつでも連絡してくれ』
「ああ……すまんな。シュメイス」
『気にすんな。ルナルを救い出したいと思っているのは、お前たちだけじゃないってこと、忘れんなよ』
最後に一言、言葉を残したのち、金髪の青年は画面から掻き消え、通信は終わりを告げた。
わずか沈黙の訪れた淡い光の空間で、ソルドたちは顔を見合わせる。
「フィアネスさんは今、ウェルザーさんと一緒に【レア】の陣営にいるんですよね?」
「そうだ。ルナル……【ヘカテイア】も共にいる」
【アトロポス】の問いに答えながら、ソルドは思う。
離反してから二週間、停滞していた状況が大きく動く予感がしていた。
「これは千載一遇のチャンスだ。【ヘカテイア】のことについてもだが、フィアネスたちの真意を聞く上でもな……」
「そうですね。ですが、この内容……オリンポスにも伝わっているのでしょうか?」
「……なんとも言えないな。シュメイスの意思はさておき、現状のオリンポスの情報管理がどうなっているかわからない……誰か来ることは想定しておいたほうがいいかも知れない」
同意を示すも、アーシェリーは懸念を覗かせる。
彼女の思うところは、理解できた。フィアネスたちの真意を知りたいのはライザスたちも同様であり、情報が漏れていたなら特務執行官の誰かが来る可能性はある。
ボルトスやサーナはさておき、それ以外のメンバーだった場合、正直気まずさが残るというのが本音だった。
「まずは、行ってみないとわからないということですね」
「そうなるな……ここは、私一人で行こう。この文面を見る限り、フィアネスは私に用があるみたいだからな……」
「わかりました。ですが、気をつけて下さい」
「ああ……そう何度も死にかけるつもりはない」
不安そうな視線を向けてきた恋人に、ソルドは苦笑気味に頷いてみせた。
深い闇だけがある。
その中を果てしなく落ちていく感覚だけがある。
(なぜ……こんなに暗いのかしら……)
虚ろな意識の中で、アレクシアは思う。
愛する者を失い、果てしない憎悪と共に彼女は生きてきた。
そして、その憎悪を糧に力を得て、仇を追い続けてきた。
しかし今、その憎悪は霧のように霞んでしまっている。
自らを支えていた強い思いが、闇に呑まれて消えていく感じがした。
(私は……なぜ……?)
答える者のいない中で、彼女の意識は、ただ無限に落ちていく――。
「【エリス】」
少し苛立ちげな呼び掛けに、【エリス】は意識を取り戻した。
オーロラの下、寒風が肌を切り裂くように辺りを吹き抜けている。
「【ヘカテイア】……」
彼女が視線を移すと、いつの間にか傍らには黒い髪の女の姿があった。
その同胞たる【ヘカテイア】は、金属を思わせる銀の瞳で訝しげな視線を向けてくる。
「いったい、なにを呆けていたのかしら?」
「呆けて、いた……? 私が……?」
「ええ、そうね。心ここにあらずって感じだったわ」
「そう……」
一度視線を落としたあと、【エリス】は空を見上げた。
普段、狂気すら感じさせる紅い瞳には、どこか動揺したような光が浮かんでいる。
「ねぇ、【ヘカテイア】……自分が自分でなくなっていくような気がしたことはあるかしら?」
やがて彼女は、ぽつりとつぶやいた。
ここ最近、ずっと違和感を覚えていたことだ。
恋人の仇であるアーシェリーを前にした時、以前は凄まじい憎悪が身を裂いて溢れ出てくる感覚があった。
しかし、この間――セレストの縦穴で相対した時は、その思いに支配されることがほとんどなかった。消えてしまった焚火のように、心は虚ろであった。
【レア】の勅命があったからとはいえ、それは彼女にとってあり得ないほどに意外な出来事だったのだ。
「……なにを言っているの? やはりあなた、どこかおかしいわね」
「そう……いえ……なんでもないわ」
ただ、その言葉に【ヘカテイア】が同意を示すことはなかった。恐らくは言葉の真意すらも、理解していないだろう。
【エリス】は嘆息しながら、踵を返す。自身の感じている直感にも似た思い――それは己一人のものということだ。
凍り付いた土の固さを感じながら、彼女は歩み去っていく。
【ヘカテイア】はその背中を、冷たい瞳で見送るのみだった。




