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APOLLON -灼熱の特務執行官-  作者: 双首蒼竜
FILE11 黄昏に向かう世界
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(5)決断


 その言葉に、場の誰もが息を呑んだ。

 刹那ではあるが、時が止まる。それほどに褐色の特務執行官の口にした内容は、意外なものだった。


「オリンポスを離れろ……!? ボルトスは、私たちに裏切り者になれと言うのですか?」

「……言葉が足りなかったか。要は、オリンポスを離れてお前たちの判断で行動しろということだ」


 ソルドの反応にわずか息をついたボルトスは、言い直したあとに、その理由を語り出す。


「先ほどアーシェリーが言ったように、ここに居続けることで、お前たちの立場はかえって悪化することになる……どのみち反逆者の汚名を被ることになるだろう」


 驚きや戸惑いに満ちた全員の視線を浴びつつも、彼はためらうことなく淡々と続ける。


「だが、オリンポスの指揮系統から外れるなら、話は別だ。表立って事を構えようとしない限り、恐らくライザスは追及してくるまい……そうしている余裕がないとも言うがな」

「……そんなにうまくいくものですか? 私たちの存在は、一歩間違えれば世界の脅威となり得ます。オリンポスの指揮下を離れた特務執行官を、政府やCKOが放っておくとも思えません」

「普通に考えればな。だが、今はまだ我々の存在は公になっていない……実際、政府やCKO内部でも特務執行官の詳細を知る者はごくわずかだ」


 アーシェリーの疑問に答えつつ、ボルトスはソルドに目を移す。

【モイライ】の有していた異常とも言える情報管理能力は、世間だけでなく政府やCKOにすら与える情報を制限していた。

 それだけカオスレイダーや特務執行官に関する情報の秘匿性が高かった証でもあるのだが、しかし――と褐色の男は表情を歪める。


「【モイライ】を失った以上、この秘匿性は近い内に崩壊する。そうなれば、オリンポスの存在や動向に世界の注目が集まることにもなろう。特務執行官も今まで通り活動するどころか、非難の対象にされるかもしれん……」


 それは、ある意味で最悪とも呼べるシナリオだった。

 カオスレイダーもそうだが、それを掃討する特務執行官も人々にとっては忌むべき存在になり得る。

 人を超えた力を持つだけですでに脅威なのだが、より問題なのは容赦なくカオスレイダーや寄生者を葬る点だ。

 理屈としてカオスレイダーに寄生された人間を助けられないとはいえ、感情的に人々は納得しないだろう。特に今までの被害者の親族や知己ならなおさらのことだ。

 ソルドの脳裏にふと、ボリス=ベッカーの顔が浮かんだ。


「ルナルを救うという目的を果たすのなら、お前たちは今、オリンポスを離れるべきなのだ」

「しかし……」


 そんなソルドの表情は、いまだ曇ったままだ。

 理屈はわかる。状況の悪化もそうだが、【モイライ】なき今、オリンポスの組織としての情報収集能力に期待することも難しい。つまり【ヘカテイア】を探す上でもメリットがないのである。

 ただ、ソルドが特務執行官となったのは、罪なき人々を守るためだ。

 方法が完全に正しいものと呼べないにせよ、長きに渡りそれを使命としてきたオリンポスを離れることにはためらいがあったのである。


「ソルドよ。これは、ライザスが残した最後の抜け道だ」

「抜け道……?」

「あいつも一組織の長だ。CKOへの建前もある以上、もはや曖昧な態度は見せられん。それほどに【モイライ】の破壊は大きな問題だった……」


 迷いを見せる彼に対し、ボルトスは更なる意見を口にする。

 ルナル救出の行動が離反行為というのは確かに行き過ぎた話であったが、それは体裁を整える以上に、ソルドたちにオリンポスを離れるよう仕向ける思惑があったのだと。


「オリンポスの存在が明るみに出れば、特務執行官の勝手な行動は許されなくなる。一人一人が軍隊にも匹敵する戦闘能力を持つ以上、その管理には徹底が求められるからな。我らの力を狙う不逞の輩も現れるだろう。だが、今ならばお前たちの存在だけでもなかったことにできる……」


 特務執行官の名を捨て野に下れば、ソルドたちは引き替えに自由を手にできる。そうすればルナル救出に向けた行動がしやすくなる――それがライザスの思惑だった。

 それは非情とも呼べる態度の裏に隠された彼の情けだったのだ。


「もちろん、それは茨の道だ。組織のまともな支援も受けられない中で戦い続けるのは、困難を極めるだろう。最終的な決断を下すのはお前たちであり、無理にとは言わん。しかし、どのような答えを出そうとも、俺はお前たちを全力でサポートするつもりだ……」


 静かに、しかし力強い口調でボルトスは話を締め括る。

 場に訪れた静寂の中で、それぞれの心に様々な思いが去来した。


「……わかりました。罪なき人々を守るという使命を捨てるつもりはありません。ですが、【ヘカテイア】を……ルナルを葬るという命令にも従うことはできない」


 やがて沈黙を破ったのは、ソルドだった。

 その顔に滲んでいた苦悩は消え失せ、黄金の目には強い輝きが浮かんでいる。


「私は必ずルナルを救うと誓いました。そのためなら、特務執行官の名も捨てましょう」

「そうか……」


 深く頷いたボルトスから、彼は女性たちに目を移す。


「シェリー、サーナ……君たちはどうする?」

「愚問ですよ。ソルド……私の思いはあなたと変わらない。そして、あなたを支えるためにも共に行きます」


 それに対し、アーシェリーも迷いを見せることなく答えた。

 己が為すことを改めて見出した彼女にとって、それは当然とも言える決断だった。

 反対に首を振ったのは、サーナである。


「悪いけど、あたしはここに残るわ。いくらなんでも、特務執行官三人もの情報を一気に消すのは不自然でしょ……それに愛する二人の邪魔をするほど、お姉さんも無粋じゃないのよね」

「サ、サーナ! なにを言って……」

「ま、それは冗談として、あたしにはあたしでやるべきことがあるのよ。でも、ルナルちゃんを見捨てたわけじゃないから、いざとなったら呼んで……その時は、なにを置いても駆け付けるわ」


 彼女はいつものからかうような調子で答えたが、最後に口にした言葉には真摯な響きがこもっていた。

 そのやるべきことがなんなのかは気になったが、ソルドはあえて追及せずに頷く。


「アトロ……君はどうする?」

「わ、わたしは……」


 最後に残された【アトロポス】は、迷いに満ちた表情を浮かべていた。

 無理もないことである。ルナルを信じるとは言ったものの、彼女は肉体を得たばかりで、パンドラを離れた経験もないのだ。

 なによりオリンポスに、心残りがないわけではなかった。


「ソルド……エルシオーネの件もあります。彼女はここに残るべきじゃありませんか?」

「いえ。その必要はありません」


 アーシェリーが出した助け舟に対し、答えを返してきたのは別の人物だった。

 思わず全員の視線がそちらに向くと、入口の辺りに長い黒髪の女性がたたずんでいた。


「【クロト】姉さん!」

「【アトロポス】……あなたはソルドたちと一緒に行って下さい。あとのことは、私が引き受けます」


 その女性――【アトロポス】同様に肉体を得た電脳人格の【クロト】はそう告げると、ソルドのほうに視線を移す。

 実体を得て更に美しさを増したように見える彼女だが、その特徴とも言える愁いに満ちた表情もまた深みを増していた。


「【モイライ】を失ったとはいえ、私たちの中にはこれまでの活動のデータが蓄積されています。オリンポスを離れるのなら、【アトロポス】の力は必ず役に立つはずです」

「【クロト】……しかし……」


 どこか魅入られつつも反論しようとしたソルドを制し、【クロト】はわずかに顔を上げた。


「……不可抗力だったとはいえ、【ラケシス】の消滅は私にも責任があります。私の記憶が消えなければ、彼女は今もここに残っていたかもしれない……」

「ね、姉さん! それは……!」

「【アトロポス】、聞いて下さい」


 どこか苦しんでいるような姉を見かねたように【アトロポス】が口を挟んだが、彼女はその言葉をも制した。


「私たちは確かに電脳人格です。しかし、時を経て、その感情は限りなく人に近くなりました。【ヘカテイア】の力は確かに強大でしたが、【ラケシス】が消えた最大の理由は、憎悪に支配され我を見失ってしまったことです。それは、これまでの人の歴史でも証明されています」


 歩を進めながら、【クロト】は淡々と言葉を紡ぐ。

 そこには圧というほどではないものの、反論を許さない説得力が感じられた。

 三姉妹の中では最も理知的かつ感情を表に出さない彼女だけに、セントラルエリアでの戦いや以後のことも分析していたようであり、その内容は他人事で冷たいもののように思える。


「今のエルシオーネ母様は、彼女の憎悪を引き継いでしまったように思えます。そうであるなら、母様を止めるのは私の役目です。もう同じ悲劇を繰り返さないためにも……」


 しかし、彼女もまた心を持つ電脳人格である。

 なぜ、自分が残るのか。そして【アトロポス】を行かせるのか――その理由は、彼女自身の思いにあった。


「そして私は【アトロポス】……あなたの行く末も見てみたい。深い悲しみを抱えながらも、信じる心を手放さないあなたが、どのような未来を導くのか……」

「姉さん……」

「だから、あなたは行って下さい。その思いの示すままに。ソルド……彼女のことをよろしく頼みます」


【アトロポス】の肩に手を置きつつ、【クロト】は再びソルドに目を移す。

 そこにはわずかに揺れる輝きがあるように見えた。


「【クロト】……君は……」

「……人の心を持つということは、苦しいものですね……ですが、決して悪いことではないと私も思います」


 思わず息を呑んだ青年の言葉に、黒髪の美女はふっと寂しげな微笑みを浮かべた。


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