(24)蘇る思いと共に
再度の激突の中で、サーナと【エリス】はアーシェリーの変化に気付く。
それまで死人のような状態にあったアーシェリーが、光を纏いながら立ち上がったのだ。
「アーちゃん!?」
「アーシェリー……お前……!?」
動きを止めた女たちに目を向け、緑の光を帯びた女神は言葉を紡ぐ。
それは激情に支配された声でも、無気力な力なき声でもなく、彼女本来の落ち着きを取り戻した声だった。
「……私は、ここであきらめるわけにはいきません。絶望に身を委ねるには、まだ早いのですから……」
「フフ……良いわ。そうでなくてはね……」
その姿を見た【エリス】は、緋色の瞳に歓喜の輝きを宿す。
理由は定かでないが、宿敵だった女がかつてと同じ闘志を見せたことは、彼女にとって望むところであった。
「アレクシア……いえ、【エリス】。あなたの真意はわかりませんが、私は今度こそ、あなたを倒し……!?」
銀の槍を手に一歩を踏み出したアーシェリーだが、その瞬間、なにかに気付いたかのように天空を見上げた。
「この反応……まさか!?」
サーナも、そして【エリス】もそれに気付いていた。
丸く繰り抜かれたような青空に突如現れた赤い光――それが大きさを増しながら、女たちの元に降ってくる。
やがて三者の間に狙いすましたかのように落着した光は、轟音と熱風とを巻き起こし、辺りを土煙の闇に包んだ。
「お前は……!?」
立ち込める粉塵が晴れていく中、その場に現れた者を見て【エリス】がつぶやく。
そこに立っていたのは、赤い髪に黄金の瞳を持つ青年であった。
鋭い眼光が、黒き女を射抜くように見つめる。
「我は太陽……炎の守護者! 絶望導く悪の輩を、正義の炎が焼き尽くす! 我が名は、特務執行官【アポロン】!!」
「ソルド!!」
「ソルド君!!」
驚きから歓喜へと表情を変えていくアーシェリーとサーナ。
それと対照的に【エリス】は表情を歪めていた。
「まさか……お前が、なぜここに?」
「理由を話す必要はない。ただ、ここでシェリーたちをやらせるわけにはいかないのでな」
普段通りのぶっきらぼうな口調で答えつつ、ソルドは拳を握り締める。
男の周囲の空気が震え、陽炎のように景色を歪ませた。
アレクシアだった頃に何度か顔を合わせた【エリス】だったが、今の彼からはかつて以上の力の迸りが感じられる。恐れるというほどではなかったものの、警戒心を煽るには充分過ぎるほどにだ。
「なるほど。これは面白くなりそう……と言いたいけれど、どうやらここまでのようね」
「なに?」
しかし、嘆息混じりにつぶやいた【エリス】は、ソルドの訝しげな声を無視して闇のゲートを生み出した。
ブラックホールのように見える空洞の中へそのまま彼女は後退し、身を沈めていく。
「待ちなさい! 逃げるのですか!【エリス】!!」
「逃げる……?」
その時、とっさに声を張り上げたアーシェリーに対し、【エリス】は紅い瞳を向けた。
そこには冷めたようでありながら、同時に強い憎悪を感じさせる光が見えた。
「勘違いしないことね。目的はほぼ果たしたから、今は退くだけのこと……」
「!? それは……どういうことですか?」
「お前との決着は邪魔の入らないところで、必ずつけるわ。その時までに、もっと腕を上げておきなさい……」
吐き捨てるように言い残した女の姿は、闇と共に消え失せる。
明るさと静けさの戻ってきた奈落の中で、残された特務執行官たちは、しばしたたずむのみだった。
「どういうつもりだったんだ? 彼女は……」
「わかりません……ですが……ソルド、無事で良かった……」
呆然とするソルドにアーシェリーはそっと歩み寄ると、その身を強く寄せた。
瞳に大粒の涙を見せ抱き着いてくる想い人に改めて目を向け、赤い髪の青年はつぶやく。
「すまん……心配をかけたようだな。シェリー……」
「相変わらず人騒がせよねぇ。ソルド君は……まぁ、無事でなによりだけど」
「すまんな。サーナも……って」
そのままもう一人の女に目を向けたソルドだが、すぐに視線を逸らす。
「あら? どうしたのよ。そんな顔赤くして……あぁ、もしかしてお姉さんの裸見て、興奮しちゃった?」
「サーナ、頼むから服をだな……」
「ふふ~ん? お姉さんは別に良いのよ。遠慮しなくても……♪」
ふと、目にイタズラっぽい輝きを浮かべたサーナは、そのままソルドの腕を取って身を寄せる。
肉感的な裸身が擦り付けられ、甘い香りが青年の鼻を打つ。
上目遣いの視線は、どこか蠱惑的だ。
先程までの毅然とした戦士の顔から、明らかに違う女の顔を覗かせて迫ってくる美女に、ソルドは辟易するしかない。
それに対し、すかさず激昂したのはアーシェリーである。
「サーナッ!! いい加減にして下さい!! あなたには、恥じらいというものがないんですかっ!!」
「冗談よ。やぁねぇ、アーちゃんったら、そんなムキになっちゃって……」
泣き顔から一転、怒髪天を衝く勢いでまくし立てたアーシェリーに、サーナはカラカラと笑う。
それまでの鬱屈とした空気はソルドの生還という現実もあり、綺麗に吹き飛ぶこととなった。それは例によってサーナなりの気遣いだったのだろうか。
ありがたいようでいながらも、そのやり方には相変わらずついていけないと思うソルド。
ただ、服を再生した彼女は、改めて嘆息した彼に問い掛けた。
「……で、それはそれとして、ソルド君は今までどこに行ってたわけ? それにどうしてここへ来たの?」
実際、それは重要な質問であった。
セントラルの探査でも引っかからず、存在自体、完全に消失していたはずのソルドが、なぜ急にこの場に現れたのか。
わずかに緊張感の戻る中で自身を見つめてきた二人の女に対し、青年は視線を合わせた。
「それについては長くなるのでな。パンドラに戻ってから説明するが……ひとまず二人の力を貸して欲しいと思ったからだ。君たちが【エリス】と戦っていることは、わかっていたのでな」
「わかっていた? それに力を貸すとは?」
要領を得ない説明に首を傾げたアーシェリーたちに、彼は次いで静かに告げる。
「もちろん……ルナルを救うためにだ」
それは今更な内容の言葉であった。
しかし、かつても聞いたはずのその言葉には、今までにない確信に満ちた響きが感じられた。
虚空に浮かぶアステロイドの上に、【レア】は一人たたずんでいた。
黒き影の前には漆黒の闇が渦を巻き、それが徐々に収束して消えようとしているところだった。
その奥にわずか見えた光景は、丸く繰り抜いたように見えた大地である。
「特務執行官【アポロン】……」
先ほどまでこの場にいた男の名をつぶやき、【レア】はわずかに目を細める。
そこに見えたのは、不穏なまでに鋭い光である。
「思った通りの男……実に直情的だ。だが、それゆえに力強くもある……」
次いで、嘲るようで賞賛するような言葉が放たれる。
その声は中性的であったものの、慈愛に満ちた女のような口調は消えていた。
「【ヘカテイア】の首尾は、想定通りに上々……疑念と不信にまみれたオリンポスは、これで組織的に崩壊するだろう……」
聞く者のいない中で、【レア】は状況を整理する。
支援捜査官たちの死とウェルザーらの離反、更には【モイライ】の破壊によって、オリンポスの対カオスレイダー体制は完全に機能を失った。
そして特務執行官――自らが生み出した秩序の戦士たちも共に歩んできた道から、それぞれの道へと行く先を変えようとしている。
長い年月をかけて築かれてきたはずの信頼と絆は今やひび割れ、その亀裂は未来をより混迷へと向かわせるだろう。それは混沌の軍勢たる【統括者】やカオスレイダーにとって更なる力を与えるものとなる。
「あとは、この中から私の望む駒がどれだけ育つか……」
自らが生み出したものを崩壊へと導き、敵であるものの力を高める。
なぜ、このような矛盾に満ちた行動をするのか――【レア】の真意を知る者は今のところ誰もおらず、【レア】自身もまたそれを語ることはない。
ただひとつだけ言えることは、これまで特務執行官たちが信じてきた盲目的な価値観も崩壊したということだ。カオスレイダーを滅ぼすというシンプルなはずの目的に、今後彼らがどう向き合っていくのかは、ひとつの見所となるだろう。
「踊るがいい……特務執行官。そして見せてみよ。混沌を滅ぼすための意思と力の輝きをな……」
どこか愉快げに、【レア】はつぶやく。
それは舞台を楽しむ観客のようでありながら、同時に演者たちに強い期待を抱く監督のようでもあった。
秩序と混沌を巡る戦いは、野心満ちた人間たちの思惑をも巻き込んで、より複雑な様相を呈していく。
分かたれた道は深い霧の中へと続き、未来はその向こうに閉ざされている。
この先に希望があるのかはわからない。しかし、後戻りすることができない以上、進むしか方法はないのだ。
嵐のように渦巻く思いを胸に秘め、戦士たちは己が道の先へと歩を進める――。
FILE 10 ― MISSION COMPLETE ―




