(21)生まれた希望と潰える希望
閉じられた虚空の中に、ふたつの影が向かい合う。
【レア】の言葉を聞いたソルドは、その拳を強く握り締めつつ、目の前の相手に問い掛けた。
「ルナルを……あいつを蘇らせる方法を、あなたは知っているのか!?」
「知っています。そのためにはいくつかの条件をクリアする必要がありますが……まずその前に、なぜ彼女が必要となるのかを話しておきましょう」
騒めく心のまま言い放った青年に対し、黒き影の答えは落ち着いたものだ。
「ルナル……【アルテミス】の有していた秩序の光には、他のものにない特性があるのです」
「他のものにない特性?」
「そう……他者の光を受け入れ自らの力としたり、逆にその力を他者に分け与える特性です」
その特性を応用した技術が、肉体の光子変換だと【レア】は付け加える。
他の特務執行官に自身の情報をバックアップとして預け、それを基に肉体を再構成するのだと。
そして、その預け先は基本的にソルドが担っていたことも――。
「更には他者の光を束ね、強大な力へ変えることもできる……この能力が、混沌の王を倒すために必須となるのです」
【レア】は、その一言を強調した。
過去の戦いで王を封印せざるを得なかった理由は、この光の担い手が存在しなかったためらしい。
幾星霜の長い時を経て初めて、ルナルがその資格者となったのだと。
「【統括者】はともかく、それを統べる王の力は単騎で立ち向かうには困難な存在……【絆の光】を持つ【アルテミス】は、今後の戦いで重要な役割を担うのです」
「……それについては、理解しました。では、実際どうすれば、あいつを救えるのです?」
初めて聞く情報の連続にソルドも驚きを隠せなかったが、すぐにそれらを整理して問い返す。
少なくともルナルの存在が、今後の戦局を大きく左右することは確かだった。ますます彼女を救い出さねばならないという思いが、強くなってくる。
力強い視線を向けてくる青年に、【レア】は更に続けた。
「あなたも何度か【アルテミス】からの声を聞いたはずです……その理由は、あなたの中に彼女の一部が存在しているため……」
「ルナルの一部が、私の中に!?」
「そう。彼女が光子変換を行った際、バックアップとした情報……言わば光の残滓があなたの中に残っている。それが端末の役割をして、彼女の心をあなたに届けているのです。以前、その残滓を触媒に私の力をあなたに与えたこともありました……」
「!? それは【ハイペリオン】と戦った、あの時か……!」
かつて火星であった出来事を思い返した彼に、黒き影は頷く。
【ハイペリオン】が奴の力と呼んだあれは、どうやら【レア】のものだったようだ。
あの助けがなければ、ソルドは倒されていただろう。
「【アルテミス】を救う方法は、残滓を利用して彼女にアクセスし、【虚無の深闇】からその意識を引き上げることです」
「虚無の……深闇?」
「あなたも知っているはず……【ヘカテイア】と呼ばれる存在の中にある黒き力を……」
【ヘカテイア】の名が出たことに驚きながらも、ソルドは彼女と邂逅した時のことを思い返す。
黒き女の心臓部から感じられた異質な力――すべてを呑み込むような深淵のことを【レア】は言っているのだ。
ただ、なぜ【レア】がそれを知っているのかという疑問に、この時のソルドは思い至らなかった。
「【アルテミス】の……ルナルの意識は、その奥底に封じられているのです。しかし、あまり時間は残されていない。彼女の意識はやがて【虚無の深闇】に溶け込み、消えてしまうでしょう。そうなる前に救い出さないといけません……」
そして、わずかに危機感を煽るように言ったあと、【レア】はルナル救出の方法を続けて語り始めるのだった。
広大かつ静謐な雰囲気に包まれていたパンドラのセントラルエリアに、破壊の嵐が吹き荒れていた。
【ヘカテイア】の振り回す漆黒の大鎌から凄まじい衝撃波が迸り、それがエルシオーネの展開するエネルギーフィールドに炸裂する。
轟音と共に閃光が弾け、辺りを稲光のように照らしていた。
「フフ……意外と頑張るじゃない! エルシオーネ!!」
大鎌を踊るように振るいながら、【ヘカテイア】は哄笑する。
刃が一閃するたびに生み出される力は、怒涛のように絶え間なく押し寄せる。
フィールドを維持するエルシオーネの表情は、苦悶に歪んでいた。
(くっ……なんて力なの! このままでは押し破られる……!)
特務執行官随一の圧倒的な防御力を誇るエネルギーフィールドを形成できる彼女だが、彼女の力をもってしても【ヘカテイア】の攻撃を防ぎ切ることは困難であった。
フィールドを一部突き破った衝撃波が身体に傷を穿ち、鮮血を迸らせる。
まだ効果範囲を自分自身に絞れば防ぎ切ることは可能だったが、彼女の背後には【クロト】たちがおり、上空にはオリンポスの中枢とも呼べる【モイライ】がある。
すべてを守り切ることを考えなければならないエルシオーネにとって、この状況はあまりに不利と言えた。
(司令たちが来るまでは、なんとか耐えないと……!)
それでも彼女の顔から、絶望は感じられない。
【クロト】たちを通じ、ライザスら他の特務執行官への救援要請はすでに出していた。そう長い時間はかからず、戻ってくる仲間がいるはずだ。
それまでの時間稼ぎができれば充分と、エルシオーネは考えていたのである。
しかし、それは【ヘカテイア】もお見通しだった。
「時間稼ぎするつもりね。小賢しい女……けど、それが無駄だということを教えてあげるわ!!」
咆哮と共に【ヘカテイア】の攻撃の挙動が変化する。
それまで無作為に放たれていた衝撃波を、一点に集中したのだ。
立て続けに放たれた力が重なり合い、より強大な衝撃波となってエルシオーネを襲う。
エネルギーフィールドが凄まじいスパークを見せたかと思うと、次の瞬間には音を立てて打ち砕かれる。
「な……きゃああああああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
「ああぁぁあぁぁぁぁっっ!!」
暴風のように荒れ狂った波動にエルシオーネの身体が吹き飛ばされ、【クロト】たちもまた宙を舞う。
散り散りに床を転がった彼女たちに冷たい視線を向けながら、【ヘカテイア】は歪んだ笑みを浮かべる。
「さぁ、これで終わりにしてあげる……っ!?」
ただ、再び大鎌を振りかぶろうとした黒き女は、なにかに気付いたように飛び退る。
間髪入れず元いた場所に、上空から無数の光の矢が降り注いだ。
着弾した床から、煙のような粉塵が巻き上がる。
「これは……!?」
「あんたの思い通りになんかさせるもんか!!【ヘカテイア】ァァッッ!!」
次いで飛んできた咆哮のような叫びの出所に、【ヘカテイア】は視線を移す。
そこにいたのは、【モイライ】の基幹部である柱に手を当てた【ラケシス】だった。
わずかな光に包まれた彼女が憎悪の表情を見せると同時に、再び上空から閃光が降り注ぐ。
「そう……防衛システムとリンクしたわけね。つまらない真似を……」
【ヘカテイア】は、無数に浮かんでいるボールのような物体を見て、鼻を鳴らす。
侵入者撃退用の迎撃システムが彼女を敵として捉えていた。
本来なら自律稼働するはずのそれらは現在、【ラケシス】の支配下にあるらしい。【モイライ】を通じてコントロールを掌握したということだろう。
浮遊ユニットから撃ち出されたレーザーの雨が標的を穿とうと立て続けに迫るが、縦横無尽に飛んで回避する【ヘカテイア】の表情は、あくまで余裕に満ちていた。
「ポンコツにしては考えたようだけど、やはりポンコツには違いないわね。【ラケシス】!」
「なにをっっ!!」
「さっきの話を聞いてなかったのかしら? 私が【モイライ】への最上位アクセス権限を行使できるってこと!」
「!? いけない!!【モイライ】との接続を早く切るのよ!【ラケシス】!!」
ふらつきながら立ち上がったエルシオーネが、気付いたように叫ぶ。
しかし、憎悪に支配された【ラケシス】は、母と呼べるはずの彼女の言葉に耳を貸さなかった。
肉体を持った電脳人格の瞳は歪な赤い光を帯び、それに対する【ヘカテイア】の瞳が冷たい輝きに満ちる。
「……量子コンピューター管制ユニット【NYX】へ、ダイレクトアクセス……アクセスコードは【RHEA】……ECシステムの起動を申請する」
『了解……最上位管理者による特殊コードの入力を確認……ECシステムを起動します』
ややあってエリア内に無機質な機械音声が響き、同時に【ヘカテイア】を狙っていたレーザー攻撃がぱたりと止んだ。
次いで宙に浮いていたボール型の防衛ユニットが音を立てて、床に落下していく。
「え!? 止まった……? どういうこと……う、うああああぁあぁあぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
眉をひそめた【ラケシス】だが、次の瞬間、柱から急速に逆流してきた赤い光に包まれ絶叫を上げる。
稲妻のような激しい輝きにマテリアルボディがスパークを起こし、少女の肉体の各部で火花が散っていた。
初めて感じるであろう苦痛という感覚に抗うこともできず、【ラケシス】はその身を硬直させるだけだ。
「せっかくエルシオーネが身体を用意してくれたのに、残念だったわね!【ラケシス】……あなたの存在、この世から完全に抹消してあげる!!」
「や、やめて!【ヘカテイア】ッッ!!」
悲痛なエルシオーネの叫びが響く中、【ヘカテイア】は大鎌を振り上げる。
先ほどまでと比較にならないほどに凝縮された漆黒のエネルギーが、周囲の空気を震わせた。
しかし、その力を解き放とうとした瞬間、黒き女の表情が歪む。
「く……! お前……まだ……!?」
額の辺りを押さえつつ、独り言のようにつぶやく【ヘカテイア】。
その銀の瞳に生まれていたのは、動揺と憎悪だ。
しかし、わずかに体勢を崩しつつも踏み止まった彼女は、そのまま大鎌を薙ぐように振るった。
「けど、残念ね……これで目的は……達したわ……!」
脂汗を流しつつも次いで女の口元に浮かんだのは、歪んだ笑みだった。
【ヘカテイア】の言葉を肯定するかのように凄まじい閃光が走り、轟音が響き渡る。
やがて水晶を思わせる巨大な破片が次々と落下し始めたかと思うと、淡雪のような煌めきが周囲を満たしていった――。




