(7)闇へ赴く強制捜査
オリンポスの本拠地であるパンドラの司令室には、やや緊迫した空気が流れていた。
通信越しに顔を合わせているのは、司令官のライザスと特務執行官のボルトスである。
厳しい表情を浮かべる両者だが、その意味合いはこれまでのものと少し違っていた。
『SSSへの強制捜査が始まるな』
「うむ。これで奴らの懐に潜り込める。可能であれば強化兵も叩いておきたいところだが……」
『そう都合良くいけば良いのだがな。SSSとてバカではない……イレーヌもそこは懸念していたんじゃないのか?』
ボルトスの言葉に、ライザスはわずかに唸るのみだ。
要人襲撃犯である強化兵の出所を突き止めるための強制捜査――それはSSSの裏の顔を暴こうとすることに他ならない。
しかし、オリンポス側の隠された目的は特務執行官を潜入させる口実を作ることにあり、場合によっては実力行使による強化兵の排除や生産施設の破壊すらも視野に入っていた。
条件付きとはいえライザスがシュメイスの要請に応じてソルドの参加を追認したのも、そこに理由があったのだ。
『正直、今回の決断は少し焦り過ぎな気もするぞ。お前の気持ちはわかるが、下手をするとオリンポスの立場を悪くすることにもなりかねない』
「わかっている。これがリスキーな決断であることくらいはな。だが、動くべき時に動かなかったことで、我々は戦況の悪化を招いてしまった……これ以上、懸念を増やすわけにはいかんのだ」
黒髪の司令官の放ったその言葉は、苦渋に満ちていた。
それは【ヘカテイア】たちを野放しにしたことで、支援捜査官たちを失わせてしまったことに対する後悔もあったのだろう。
そんな彼を嘆息しつつ見つめながら、ボルトスはもうひとつの懸念を口にする。
『それはそうと、ウェルザーとの連絡が取れなくなったそうだな?』
「ああ。気になることがあるから、調べに行くと言ったきりだ。どうやらフィアネスも同行しているようなのだが……」
数時間前にウェルザーとやり取りした内容を思い返しながら、ライザスは答える。
今更ながら、その理由を深く追及しなかったことが悔やまれた。
他の特務執行官と違い、ボルトスとウェルザーには自由な行動がある程度許されてはいたが、それでも音信不通となったことは今まで一度もなかったのである。
『二人の所在は掴めているのか?』
「火星に向かったことはわかっているが、具体的な位置までは不明だ。【アトロポス】の探査でも見つけ出せない。コスモスティアの反応を辿れないということはないはずなのだが……」
懸念の理由は、今口にした言葉にもあった。
特務執行官の現在位置は常時把握できているわけではないものの、コスモスティアのエネルギー反応は現実世界の物理的障害によって遮断されることはない。つまりはセントラルの探査で見つけ出せるのである。
次元を隔てることでもない限り、行方不明にはならないはずだ。
『まさか、何者かにやられたわけではあるまいな?』
「特務執行官が二人同時にか? そんなことがあるとは思えん。仮に【統括者】や【ヘカテイア】たちが相手だったとしても、ウェルザーなら簡単にやられることはないはずだ」
『だが、断言はできんだろう。誰か捜索に回したほうが良いのではないか?』
「残念ながら、現状で動ける特務執行官はいない。これ以上、カオスレイダーの掃討体制を崩すわけにはいかんからな……」
焦燥を見せるボルトスに対し、ライザスはあくまで冷静に答える。
ソルドやシュメイスが強制捜査に加わる以上、他の特務執行官をカオスレイダー案件以外の任務に当てる余裕はない。
ただ、彼としても古くからの同胞を心配していないわけではなかった。
「ここは私が動こう。ひとまず強制捜査が終わるまではな」
『ライザス……お前……!?』
「ここに来て、私もふんぞり返ってばかりはいられん。今はそれぞれが為すべきことをするだけだ」
その目に強い輝きを宿し、ライザスは静かに立ち上がった。
それは、まさに突然の出来事と言えた。
白昼のSSSオフィスに足音を立てて踏み込んできたのは、黒いスーツを着た一団である。
誰もが殺気にも似た雰囲気をまとい、油断のない様子で周囲を見回している。
「全員、その場を動くな!」
騒めく者たちを牽制するように、一団の先頭に立っていた者が告げる。
言葉だけ聞けば強盗かなにかかと思えたが、特に黒服たちは陣形を崩すことなく整然と立つのみだ。
「い、いったい、なにごとです?」
「我々はCKO捜査局だ。これよりサーパス・スタッフ・サービスに対する強制捜査を実行する!!」
「きょ、強制捜査ですと。いったい、なぜ?」
問い掛けてきた一人の初老の男――恐らくは社の役職に就いている者の問いに、黒服先頭の男は身分証と同時にタブレットの画面を提示する。
「お前たちの会社に、要人襲撃事件の実行犯が潜んでいる可能性がある。この通り強制捜査の許可令状も出ている。大人しく協力してもらおう」
突き付けられた意外な言葉に、SSSの社員たちは更なる動揺を見せるのみだ。
そんな彼らを気にすることもなく、黒服たちは思い思いにフロアの各所へと散らばっていく。
騒然とした空気の中で、社員への取り調べや物色が進んでいった。
「イーゲル=ライオットは、見つかったか?」
「いや。出社はしていたようだが、この階に姿は見当たらん」
「表向きはさておき、このビル自体がSSSの所有だ。他のフロアも当たれ。エージェントからの情報では地下にも階層があるようだ。そちらも探るぞ」
元々広くないオフィスだけに十分もかからぬ内に捜索を終えた黒服たちは、一部の者たちを残して波が引くかのように別階へ移動していく。
呆然と混乱とに彩られた社員たちの様子を、少し離れた壁際で二人の男が見つめていた。
「とりあえず、ここまでは想定通りか……」
姿を偽装した特務執行官ソルドのつぶやきに、同じく容姿を変えたシュメイスが頷く。
「そうだな。ま、地上のオフィスは隠れ蓑だ。社員たちも裏のことを知らない連中がほとんどだろう。捜査局員の言うように本拠は地下……その中でも役員クラスしか入れない最下層階がある。以前、ルナルも入り込んだ場所だ」
「なるほど。手掛かりがあるとすれば、間違いなくそこだな」
その場の者たちに気付かれぬよう、ソルドたちはフロアをあとにする。
いくつか階を駆け下りた彼らが辿り着いた場所は、エレベーターホールであった。
辺りに人気がないことを確認しながら、少し大きめの扉を持つ一基のエレベーターの前で二人は足を止める。
「このエレベーターだけが直通らしい。ただ、特殊な操作に加えて生体認証も必要なようだ……まともな手段で行くことができない以上、少し強引な手を使うしかないな」
スキャニングモードを使用したシュメイスが扉の向こうを確認するかのように、視線を上下させる。
やがてフロアランプでエレベーターが上階に向かったことを確認した彼は、壁面のパネルに手を同化させた。
少し置いてエレベーターのドアが鈍い音と共に開き、その向こう側に暗い縦穴が現れる。
生暖かい風が、二人の周りを回るように吹き抜けた。
「地上の騒ぎは、向こうも聞きつけているはずだ……手を打たれない内に行くぞ」
「よし」
偽装を解いて頷き合った二人は、ためらうことなく奈落のような縦穴へ身を躍らせる。
澱んだ風が抵抗として吹き上げてくる中、男たちの姿は深い闇の中へと消えていった。
『当階層への侵入者を確認しました』
無機質な空間に合わせたような機械音声が響き渡る。
その声を聞きながら、研究施設の主であるガイモン=ムラカミは目を細めた。
「どうやら来たようじゃな……」
中空に浮かび上がったスクリーンには、階層の平面図が映し出されている。
その中にふたつの赤い光点が現れたかと思うと、別々の方向に動き始めようとしていた。
『ほぼ想定通りですね。しかし、本当に良かったのですか? ダージリンはともかく、あなたは普通の人間……システムが起動したら逃げ出す余裕はありませんが』
別枠で浮かんだスクリーンに、金髪の男ニーザーの姿が映し出されている。
背景には澄んだ青空が見えているが、顔には苦虫を噛み潰したような表情が浮かんでいた。
「前にも言ったはずじゃぞ? 特務執行官という輩が来るのなら、ぜひ顔を合わせてみたいものじゃと……そして、わしの継承体はすでに用意してあるとな」
『もちろん忘れてはおりません。ですが、わざわざ自らの生命を危険に晒す必要はないのでは?』
理解できないとばかりに、彼は首を振る。
それに対してガイモンは、いつもと変わらぬ調子で鼻を鳴らした。
「フン。危険を避けていては手に入らない知識もあるということよ。それに閉じこもってばかりでは、脳に必要な刺激も不足するでな……」
その言葉には、置かれた状況に対する微かな不満も垣間見えていた。
完全な軟禁生活でないとはいえ、三十年前の事件以降は表立って外も歩けないガイモンである。もちろん研究に没頭する上では問題なかったのだが、同時に知らなかった知識を吸収する機会には恵まれなかったとも言える。
データや画像だけでは見えない部分を体感する場というのが、老人の求めていたものだったのだ。
「まぁ、案ずるな。こちらにも手はあるでな。特務執行官とやらの力……存分に見せてもらうとしよう」
その機会を得たこの時のガイモンの目は、子供の好奇心にも似た輝きを宿しているようにも見えた。




