(6)高まる疑惑
SSS本社の秘匿された地下最下層――そこにあるメインデータルームには緊張した空気が満ちていた。
広さとしては十平方メートル強の空間だが、壁面にはスクリーンやコンソールが並び、色とりどりの光が明滅を繰り返している。
コンソール前の席には複数のオペレーターが座り、せわしなく手を動かしている。
その様子を部屋の入り口付近で見つめながら、イーゲルの姿をした男ニーザーは口を開いた。
「首尾はどうだ?」
「はい。おっしゃる通り、重要データの抽出作業は着々と進んでいます。あと一時間もあれば完了するかと……」
その問いに答えたのは、作業指揮を取っていた赤毛の女性秘書フェリア=エーディルだ。
ニーザーのほうに振り向いた彼女は、淡々とした様子で進捗を報告する。
「問題は移送のほうですね。ウイルス感染やハッキングを恐れる必要がないとしても、事故でデータが消失したり、漏洩する可能性は否めません」
「それに関しては、アールグレイに任せる。彼ならば、確実に成し遂げてくれるだろう」
「強化兵に移送作業を任せるのですか?」
「不服かね?」
「いえ、そういうわけではないのですが……それにしても、なぜ急に本部機能の移転を実行されるのです?」
そこでフェリアは抱いていた疑問を口にした。
裏の人材派遣業としてのSSSには、この本社とは別に拠点となるべき施設がいくつか存在する。
リスク回避のために設けられたそれらだが、実際に本部機能の移転を行うのは今回が初だ。それも事前通達なしでの出来事である。
訝しげな視線を向けてくる彼女に対し、ニーザーはわずかな嘆息を伴って答える。
「……スパイの存在が露呈したからだよ」
「スパイですか!?」
「まだ君には話していなかったな。ついてきたまえ……」
わずかな動揺に支配された空気の中、フェリアは背を向けた男に付き従って部屋を出た。
二人がやってきたのは、独房のような空間だった。
まったくと言って良いほど、そこには調度の類はない。壁も天井も床も冷たい金属が剥き出しであり、部屋というよりはコンテナの中のようにも思える。
中には二人の女がおり、その内の一人――黒髪の強化兵ダージリンは壁に背を預けてたたずんでいた。
「どうかね? ダージリン……彼女は?」
「見た目よりは強情ね。こっちが飽きる程度には……」
姿を見せたニーザーに、ダージリンはわずかに嘆息して答える。
その手に握られているのは棒状の鞭であり、全体的に赤みを帯びていた。
彼女の眼下には、もう一人――小柄な茶色の髪の女が横たわっている。着衣はボロボロで、あらわになった肌には無数の痣と血が滲んでいた。
「なるほど。肉体的苦痛で口を割ることはないか……見事なものだ」
感心したようにつぶやくニーザーの後ろから顔を覗かせたフェリアは、そこで目を見開く。
「アンジェラッッ!?」
すかさず大声を上げて飛び出した彼女は、そのまま横たわる女を抱きかかえるように起こす。
鳶色の瞳が、力なく赤毛の女の顔を見上げた。
「フ……フェリ、ア……さ、ん……」
「代表!! これはどういうことなんですか!? なぜ、アンジェラをっ!!」
責めるような視線を金髪の男に向けながら、フェリアは声を荒げる。
それは普段、彼女がイーゲル=ライオットという人物に取る落ち着いた態度と異なり、激情に満ち溢れていた。
その視線を真っ向から受け止めたニーザーだが、臆した様子もなく淡々と答える。
「フェリア君……この女がスパイだよ。夜遅くに社長室に忍び込み、なにかを探っていたのだ。私が所用でたまたま社に戻ったところを見つけてな……」
「そんな! 代表……彼女はそんなことをする人間ではありません!」
「君が彼女を庇いたい気持ちは理解できる。だが、厳然たる事実として、彼女は夜のオフィスに一人でいた……」
二人の関係性を知る――正確にはイーゲルを演ずる上で覚えた知識に過ぎないが――男は、さも残念だと言わんばかりの口調で続ける。
「本人は忘れ物を取りに来たなどと言い張っていたが、あまりに稚拙な言い訳だ。照明もつけず、気配を消して動き回る人間を、怪しく思わない理由はない」
「しかし、これはあまりにひど過ぎます!」
「残念ながら、悠長に取り調べている暇はないのでな。今のSSSは非常に重要な時期にある……疑わしい行動を取る人間を見過ごすわけにはいかん」
「だからといって……!!」
「くどいぞ。フェリア君……それとも彼女の行動に思い当たる節があるのかね? まさか君の差し金というわけでもあるまい……!?」
なおも反駁してくるフェリアに、今度はニーザーが鋭い視線を向ける。それは問い掛けるようでありながら、内に強い疑いを覗かせた声であった。
その言葉を聞いたフェリアは、なにかに気付いたかのように目を見開く。
「!? い、いえ……そのような……ことは……」
実のところアンジェラの取った行動に、思い当たる節がないわけではなかった。
先日、カフェテリアで口にした内容――イーゲル=ライオットに対する違和感のことが、彼女の頭をよぎったのである。あの時、アンジェラは気のせいと一笑に付したが、実際は疑いを抱いたのかも知れない。
だとすれば、アンジェラをこのような目に遭わせることになったのは、自身の責任ということになる。
どこか愕然としたように視線を落としたフェリアを見下ろし、ニーザーは冷徹な表情を浮かべた。
「……まぁいい。近い内に、事の真偽ははっきりする……彼女が口を割ろうと割るまいとな」
「そ、それは、どういう……ことですか?」
力のない問いを返す秘書に歩み寄ると、男は彼女を強引に立たせて入口へと押しやる。
鈍い音と共に、再びアンジェラの身体が床に倒れた。
「同じことを二度言う必要はない……戻るぞ、フェリア君。君にはやるべきことが残っているのだからな」
「ア、アンジェラッ!!」
戻ろうとするフェリアを力づくで押し留めながら、ニーザーは黒髪の女に視線を向ける。
「それとダージリン……君にもそろそろ備えてもらう必要がある」
「あら? この娘は、もういいの?」
「これ以上、取り調べを続けても意味はない。元より無抵抗の人間をいたぶるのは趣味じゃないだろう? どうせなら骨のある相手との戦いのほうが良いはず……違うかね?」
どこか不機嫌そうな表情をしていたダージリンだが、そこで初めて口元を歪めた。
ニーザーの言葉通り、ルーナ=クルエルティスの継承体である彼女の望みは、血を沸き立たせるほどの戦いにあるのだ。
「いいわ……ここのところ、つまらないことが多過ぎて飽き飽きしていたから。ゾクゾクする快感を早く味わいたいものね……」
心の中でその時を思い浮かべながら、彼女は力強い光をその瞳に浮かべる。
その様子を見てニーザーもまた歪な笑みを浮かべた。
(……やっぱり、違う……代表は……こんな人じゃない……!)
そんな中、力強い腕に拘束されつつ男を見上げていたフェリアは、自身の直感が気のせいではなかったという思いを強くしていた。
星の瞬く闇の中、凍てつくような風が流れている。
天空には赤い光のカーテンが浮かび、それが果てもなく連なって伸びている。
俗にオーロラと呼ばれる現象は火星においても観測される事象であり、テラフォーミングが為された今は、かつて地球で見られたものと大差はなくなっていた。
そんな幻想的な空と異なり地上には緑もなく、ただ死を思わせる氷の平野が広がっている。
静寂だけが辺りを支配し、動く者は見えない最北の極冠の地――そこに一組の男女が訪れていた。
「……静かですわね」
「そうだな。今のところ私たち以外には誰もいないようだが……」
二人の特務執行官――ウェルザーとフィアネスは視線を巡らせながら、言葉を交わす。
【ヘカテイア】によって指定された時刻は、当然のことながら多くの人間が寝静まる時間帯だ。もっとも、この極冠の地に住む人間はいないため、仮に昼間であったとしても状況に大きな差はないだろう。
完全なプライベートで訪れたならば、落ち着いた時間を過ごせるかも知れない――不謹慎ながらも、ふとウェルザーはそんなことを考えた。
「【ヘカテイア】たちの主というのは、いったい何者なんでしょう?」
「さてな……それを確かめるために、ここまで来た。あまり緊張するな……フィアネス」
そんな彼の心境と異なり、フィアネスの表情は固い。
周囲の寒さに対してとは異なる意味で、小さな身体が震えているのがわかった。
そっと彼女を抱き寄せたウェルザーは、自身の胸にその頭を乗せる。
思わぬ相手の行動にフィアネスは驚くも、すぐに目を閉じて穏やかな感覚に身を委ねた。
「来たようですね。ウェルザー……久しぶりと言うべきでしょうか」
そんな二人の耳に飛び込んできたのは、中性的な声音を持つ声だった。
とっさに身を離し、身構える彼らの前に、ひとつの影が姿を見せる。
漆黒を纏ったようにおぼろな姿の目元には、白い輝きが目のように浮かんでいた。
「あなたは……やはり……!」
その姿を認めたウェルザーはわずかな動揺を覗かせつつも、同時に納得もしたというように声を漏らすのだった。




