(22)継承者たち
イーゲルの姿を持つ男は、傷だらけのイーゲルを見下ろして口元を歪める。
同じ容姿でありながら、そこには明確な雰囲気の違いが垣間見られた。
「無様だな。イーゲル……この場合の挨拶は、初めましてと言うべきかな?」
「き、貴様はいったい、何者だ!?」
「先ほどリンゲル殿が口にされた協力者だよ。お前に取って代わる者とでも言っておこうか……旧き友よ」
イーゲルは動揺しつつも、自分そっくりの男が放った言葉に思い当たる節があった様子だ。
「旧き友……? それに、その物言いと態度……まさか、ダイゴなのか!?」
「ふむ……当たりとも言えるし、外れとも言えるな」
「どういうつもりだ!? 行方をくらましたと思えば、その姿……整形でもしたというのか!?」
よろよろと身を起こしつつ、彼は鋭い視線を目の前の男に向ける。
それに対し、イーゲルの姿を持った男は蔑むように笑った。
「フフフ……人の話は最後まで聞くことだな。イーゲルよ……確かに私はダイゴ=オザキの人格を持つ者だが、ダイゴ=オザキ本人ではない」
「な、なんだと?」
「同時にこの姿は整形ではなく、私本来の姿だ。なにしろお前と遺伝子情報はまったく同じなのだからな」
「ど、どういうことだ?」
疑問を抱く者と、冷静に受け答える者――向かい合う同じ容姿の男たちに割り込むように、アールグレイが言葉を継ぐ。
「わからないか? これが人格継承の可能性のひとつだ……彼はお前を基にしたクローン体であり、ダイゴ=オザキ氏の人格を継承しているということだ」
「そういうことだ。もっとも、これはムラカミ博士も初めての試みだったようだがな……」
自らをダイゴの人格を持つ者と名乗ったイーゲルは、そこでわずかに瞑目した。
無機質な空間に、刹那の沈黙が訪れる。
「バ、バカな……そんなことが……だが、なぜだ? 貴様がダイゴなら、なぜリンゲルに手を貸す!?」
やがてそれを破ったのは、イーゲル=ライオット本人だった。
少なくとも目の前の男がダイゴ=オザキだというのなら、リンゲルに協力する理由がわからなかったからだ。
ただ、それに対する返答は極めてシンプルなものだった。
「答えは簡単だ。取引だよ」
「と、取引だと!?」
「そうだ。私……というよりダイゴは、人格継承を望んでいた。ムラカミ博士はその代償として、リンゲル殿に手を貸すよう依頼したのだ。私はそれを引き継いでいる」
「人格継承を望んでいただと? なぜだ?」
取引という理由はさておき、その内容にイーゲルは疑問を抱いた様子だった。
彼自身、ダイゴの思惑をわかっていたわけではないが、ガイモンの研究が目当てとは想像しなかったようだ。
「お前はどう思ったか知らんが、ダイゴがSSSにやって来て参与を引き受けた理由は、そこにあったのだよ……それ以上は、特に知らなくても良いことだ」
「そういうことだ。そしてオザキ氏は、お前のクローンに人格を継承した……その理由は、もう言わなくともわかるだろう?」
悪意に満ちた男たちの言葉に、イーゲルは怒りの視線を向ける。
「私に取って代わり、会社を乗っ取るためか!!」
「そうだ。この手段ならSSSは簡単かつ確実に我々の手に落ちるからな」
「お前が眠っている間に、重要な記憶データの抽出も完了した。もはやお前の存在する理由もなくなったのだ」
「おのれぇぇっっ!! ぐはっ!!」
感情の赴くままに同じ姿の男に掴みかかろうとしたイーゲルだが、すぐに割り込んだアールグレイによって再び殴り倒される。
床に伏した息子の髪を掴み上げ、強化兵の父親は冷たい声で言った。
「ただ、私の会社をSSSという影の大企業に育て上げた功績は認めてやる。その褒美というわけではないが……母に会わせてやろう」
「は、母だ、と……?」
「そうだ。お前が知りたがっていた、お前の出自だ」
アールグレイはそのままイーゲルを引き摺り、部屋を出ていく。
無様な姿を晒す旧友を眺めながら、ダイゴの意思を持つ男は嘆息した。
強化兵の男が次に訪れたのは、無数の配管が壁や天井を走る空間だった。
スポットのような照明がそこかしこに灯る中、配管から吹き出している蒸気で、辺りはやや蒸し暑い。
その中で一人の女が、壁に背を預けてたたずんでいた。
「……茶番は終わったのかしら?」
その場に現れた同胞に、強化兵の女――ダージリンは黒髪を掻き上げつつ言う。
その瞳はアールグレイに引き摺られている汚れたスーツ姿の男に向いていた。
「そう言うな。それに茶番という意味では、これもまたそうかも知れん」
やや苦笑気味に答えながら、アールグレイはイーゲルを女の前に放り投げた。
鈍い音と共に床に倒れた男は、力なく顔を上げる。
「お、お前、は……ダージリン、か……?」
「……ずいぶん派手にやられたものね。坊や……」
「ぼ、坊や、だと……?」
訝しむようにつぶやいたイーゲルに対し、答えを返したのは背後に立つ父親だ。
「紹介しておこうか。イーゲル……彼女がお前の母親だよ」
「な、なに……!?」
「正確には、お前の母……ルーナ=クルエルティスの人格を継承した者だ」
「ル、ルーナ=クルエルティスだと……まさか……!?」
「お前も聞いたことがあるだろう。かつて【虐殺の女神】の異名で知られた女傭兵の名前を……」
その言葉にイーゲルは、裏社会ではひとつの伝説ともなっていた噂話を思い出していた。
「……降伏や逃走を一切認めず、交戦した敵を皆殺しにしたというあの女傭兵か……? そんな女がなぜ……!?」
「かつて私とルーナは、戦地で出会ったのだ。時には味方、時には敵としてな……」
そこでアールグレイ――リンゲルは懐かしむようにつぶやいた。
彼が生前、名を馳せた傭兵であったという事実。その中でダージリンことルーナと相まみえ、心を通わせたこと――リンゲルという男の過去も含め、すべてがイーゲルにとっては初耳なことだった。
驚愕の事実に目を見開く男の顔を覗き込みながら、強化兵の女は妖艶に笑む。
「久しぶり……いえ、初めましてというべきかしらね。坊や……」
「お、お前が母親などと……冗談にも程が……ぶはっっ!!」
「確かに冗談であって欲しいわね。こんな男が私とリンゲルの子だというのだから……」
表情を一変させてイーゲルの頬を張り飛ばしたダージリンはそのまま立ち上がると、横たわる男の背中を踏み付ける。
「荒々しさの欠片もない小者……まったくゾクゾクしないわ」
その声は、本当につまらないと言わんばかりの感情に満ちていた。
少なくとも母親が子に対して見せる態度ではない。
「血の中に身を置かない男など、所詮はこの程度……やはり殺す価値もないわね」
「バカな……お前が、母だというなら、それが子に対する言葉……か……?」
「笑わせるわね。坊や……私はつまらない男は嫌いなのよ。それが実の息子であってもね……」
力なくも反論したイーゲルに対し、ダージリンは歪んだ笑みを浮かべると、その爪先を叩き込む。
「ぐあっっ!!」
「それとも、なでなでして欲しかった!? 抱き締めて欲しかった!? 私のおっぱいが恋しかったのかしら!?」
まるでボールを蹴るかのように、ダージリンは何度も蹴りを見舞った。
その表情はどこか狂気を感じさせるものであり、まともな人間のものではない。さしものアールグレイも、これに対しては閉口するのみだ。
やがてボロ雑巾のようになった男を見下ろし、女は荒い息をつく。
「……それじゃリンゲルには敵わないわけね。もう連れて行って……」
「……いいのか?」
「あなたもさっき言ったでしょう? 私は茶番に付き合う趣味はないの……」
用は済んだとばかりに、ダージリンは二人に対して背を向ける。
無言でイーゲルを担ぎ上げたアールグレイは踵を返すと、その場を立ち去っていった。
「本当に……無様な坊や……」
ただ、最後に一言だけ女はつぶやく。
その顔は蒸気の霧に隠れていたものの、放たれた声は憐憫に満ちているようにも聞こえた。




