(21)復讐ゆえの帰還
それは十年ほど前のある日のことだった。
人工の光が眼下に広がるビルの上で、二人の初老の男が顔を合わせていた。
「なに? あの小僧がおぬしの生命を狙っているじゃと?」
「うむ……間違いなくな。恐らく近い内になんらかの行動を起こすだろう……」
それは在りし日のリンゲル=ライオットとガイモン=ムラカミであった。
訝しむ視線を向けてくるガイモンに、リンゲルは己が手を握り締めつつ、淡々と告げる。
「ただ、これは好機でもある。私もそろそろ老いを感じているからな……博士の研究の被検体となるには良いタイミングだ」
「人格継承か……じゃが、まだあれには多くの弊害が残ったままじゃぞ?」
老博士は珍しく乗り気でない様子を見せたが、男は問題ないとばかりに続ける。
「別に今すぐ継承を行う必要はない。博士の納得のいく結果が出せるまで、私のデータを保管しておけば良い」
「リンゲル……おぬし……」
「博士……私はあなたの能力と熱意とを高く評価している。そして同時に感謝もしている」
目を見開くガイモンに、リンゲルは改めて向き直る。
どこか冷たさを感じさせる風貌ながら、その目には確かに今、口にした感情が滲んでいるように見えた。
「あなたがいたことで、彼女も完全な形で蘇ろうとしているのだからな」
「感謝じゃと? 戯言を言う……」
鼻を鳴らして顔を逸らす老博士に、彼は今一度懇願する。
「それもあるがゆえに、お願いしたいのだ。老いた私では、彼女と共に歩むことはできん……もう二度と約束を違えたくもないのでな」
「……そのために、おぬしは小僧の手にかかって死ぬというのか?」
「違うな。私は死ぬのではない。新たな生命へと引き継がれるのだ……」
最後に一言つぶやきながら、リンゲルは星空を見上げた。
わずかに目を移したガイモンは、そこにいまだ野心を絶やさぬ瞳の光を見るのだった。
「……そして私は殺害される前に人格継承を行い、こうして今に蘇ったのだ」
どこか遠い目をしつつ、アールグレイは話を締め括った。
異色の肌を持つ父の継承体を見上げ、イーゲルは改めて動揺を浮かべる。
「バカな……私の思惑を読んでいたというのか……?」
「フフフ……だから、危機意識が足りんというのだ。己が生命を失うことは、可能性を閉ざすもの……それが経営者ともなれば、なおさらのことだ。お前にも、そう仕込んだはずだがな」
まるでペットに芸を教えたかのような口ぶりに、イーゲルは怒りをあらわにする。
ただ、それ以上にリンゲルが人格継承で蘇ったことが信じられない様子だった。
「だが、ムラカミ博士には人格継承の研究を禁じたはず……! 研究資金の流れも逐一チェックしていた! それがなぜ今になって……?」
「お前がそういう行動に出ることも予期していた。ゆえに研究のための資金は、別に確保しておいたのだ」
そんなことはお見通しとばかりに、アールグレイは答えた。
彼曰く、ムラカミ博士へ秘密裏に資金供与が行われるよう、手を回していたということだ。
「もっとも、私もこれほど覚醒が先延ばしになるとは思わなかったがな。博士もあれで完璧主義者なところがある……まるでタイムスリップしたような感覚だよ」
ただ、そこで強化兵の男はわずかに嘆息する。
実際、リンゲル=ライオットという人物が亡くなってから今日までに十年近くの月日が流れてしまった。その間にSSSと名を変えた会社は、その規模も大きく変わっていたのである。
「だが、結果としては功を奏したと言えるな。SPS細胞を使った強化兵士計画……その素体として新たな力も手にできたのだからな!」
どこか侮っていた息子に対して、彼はその妬みにも似た憤りをぶつける。
再び蹴り上げられたつま先が、今度はイーゲルの顎に炸裂した。
「ぐはっっ!!」
「イーゲルよ……私はお前からすべてを奪う。そのために戻ってきた」
吐血してその場に倒れたイーゲルを見下ろし、アールグレイは低く告げる。
澱んだ空気の中で、その声は禍々しい響きを持って室内を満たした。
「I'm the Returned to Get Revenge on Yigel(我はイーゲルに復讐するために舞い戻りし者)……それこそが我が名、すなわちアールグレイなのだ」
「え? 代表の様子がおかしい?」
セレストでも人気の高いカフェテリアの一角で、アンジェラ=ハーケンは首を傾げた。
珍しく早上がりできたということで、フェリアが彼女をディナーがてらのお茶に誘ったのである。
湯気を上げるティーカップに砂糖を幾ばくか落としながら、赤毛の社長秘書がため息を漏らす。
「そうね……おかしいというか、妙に違和感を覚えるわ」
「フェリアさんの気のせいじゃないですか? わたしが見た限りじゃ、別におかしなところはないですけどね」
答えるアンジェラは、特製のパフェを口いっぱいに頬張って笑みを浮かべる。
自他共に認める甘党の彼女だが、容姿も相まってか、その姿は好物にありついた子供そのものである。
フェリア自身いまだに気付いていないが、これが彼女に一服盛って情報を盗み出した諜報部エージェントの姿とはとても思えない。それをまた毛ほども感じさせない態度の自然さも、アンジェラの怖さであったと言えよう。
「ええ。確かにそうなんだけどね……私もうまく説明できないんだけど、どこか態度が芝居がかっているというか、不自然というか……」
「きっと代表の言うように、疲れてるんですよ。フェリアさん」
「そうなのかしら……」
そんな彼女が太鼓判を押すかのように言うと、フェリアも自身の直感が間違っているのかという気になってくる。
どこかアンニュイな様子でカップを傾ける赤毛の女性は、近寄り難くも放っておけない空気を振り撒いていた。
その姿をチラリと見やったアンジェラは、わずかに目線を上げる。
(おかしい、か……でも、フェリアさんがそんなことを言うのも珍しいと言えば珍しいですね……)
代表秘書として業務をこなすフェリアは、優れた洞察力の持ち主だ。
そして一日の大半をイーゲルと共に過ごす彼女だからこそ、気付ける変化もあったのかも知れない。
安直に気のせいと言うべきではなかったかと若干反省しながらも、少女のようなエージェントは鳶色の瞳を閃かせた。
(フェオドラさんが物証を得るには、まだ少し時間がかかるようですし……ここはひとつ探ってみたほうが良いかも知れないですね)
「すべてを奪う……復讐だと?」
父の意思を持つ強化兵の男を見つめ、イーゲルは問い掛ける。
当初こそ信じられないといった面持ちだったが、今はその現実を受け止めているようだった。
「そうだ。お前の生命を奪うのは容易いが、それだけでは私の気が済まん。殺す前にSSSを我が手にいただく……」
「なにを言うかと思えば……今更、お前がしゃしゃり出て行って、どうにかなるとでも思っているのか!?」
「まともに考えれば、無理だろうな。対外的にも私は死人なのだからな……」
アールグレイはリンゲルの人格継承体でこそあるものの、リンゲル本人ではない。リンゲルが死ぬことでイーゲルへと引き継がれた経営権を取り戻すことは、まず不可能だと言える。
もちろん承知しているとばかりに、アールグレイは憤りをあらわにする息子を見据えた。
「だが……お前が健在ならば、そもそも余計な手続きすらなく会社を奪い取ることができるだろう?」
「私に傀儡になれとでも言うのか!? ふざけたことを……!」
「フフフ……誰がそんなことを言った? お前はいまだに人格継承の可能性を軽視しているようだな」
「なに!?」
「私には協力者がいるのだよ。その者の力を借りれば、会社を奪うことなど造作もないということだ……」
「ど、どういうことだ? 協力者だと!?」
相手の真意がわからず声を荒げるイーゲルだが、それに対する答えは別のところから、もたらされた。
「……そこから先は私が話したほうが良いでしょう。リンゲル殿……」
部屋の入口から、低い声と共に一人の男が現れる。
そちらを一瞥したアールグレイはやや意外そうな顔をしたものの、すぐにその口元を歪めた。
「来たのか……」
「一応、これからは私がイーゲルになるのでね。本人に挨拶をしておこうと思いまして……」
強化兵の影に隠れるような位置にいた男は、次いだ言葉と共に照明の下に姿を見せる。
「き、貴様は!? バカな!!」
イーゲルは、更なる驚愕の表情を顔に浮かべる。
そこにいたのは、鏡を見るかのように自分とまったく瓜二つの容姿を持った男であった。




