(20)蘇りしもの
決闘の夜が明けた翌日、セレストにあるSSS本社には、変わらぬ日常が訪れていた。
業務に励む社員たちを尻目に社長室へとやってきたフェリア=エーディルは、そこで金髪の男と顔を合わせていた。
「ふむ……【宵の明星】は、強化兵の有用性を評価していると?」
「はい。確かに先日の襲撃は失敗しましたが、そこは次の機会を設けるという話でした」
「なるほど……次回の標的を始末することで、評価と援助の見直しを考えると言いたいのだな?」
「その通りかと」
「まぁ、彼らとしても、あの能力はそれだけ魅力的に映ったということだろうな……」
その男――イーゲル=ライオットは一度視線を上げたあと、表情を緩めて赤毛の秘書を見やる。
「慣れない交渉、ご苦労だったな。フェリア君」
「いえ……オザキ氏が行方不明の現状では、当然のことです」
「本当は他に任せられる人材がいれば良かったのだが……君にはいろいろと頭が上がらん」
苦笑した男はそこで立ち上がると、窓の外に目を向けた。
「今日はもう上がりたまえ。ムラカミ博士には、私から伝えておこう」
「いえ。それでしたら、私から報告しておきますが……?」
わずかに怪訝そうな表情を浮かべたフェリアだが、それに対する男の返答は変わらぬものだった。
「気にする必要はない。君も疲れているだろう。最近はなかなか休暇も与えられないのだから、早く帰れる時は休むといい……」
「……わかりました。お気遣い、ありがとうございます……」
いまだ不可解な様子を見せるものの、特に反論する理由もないと感じたのだろう。視線を戻してきたイーゲルに丁寧に一礼すると、赤毛の秘書は社長室を出ていった。
遠ざかっていく足音を聞きながら、一人残された男はわずかに嘆息する。
「……なかなか難しいものだ。他人を演じるというのは……」
自嘲気味につぶやきながら懐より葉巻を取り出した男は、その先端を飛ばして火を点けた。
その後、イーゲルの姿はビル地下の秘匿階にあった。
青い光の灯る通路を一人で歩きながら、彼は目的の場所に辿り着く。
「どうも……ご機嫌はいかがですか。ムラカミ博士」
研究施設に入るなり、イーゲルはうやうやしく一礼をした。
その態度は、普段の彼を知る者が見れば意外に感じたことだろう。
「フン……お前か」
頭頂部が禿げ上がった白髪頭の老人は舌打ちこそしたものの、その態度は数秒もしない内に変化を見せた。
男の元に歩み寄ってくるなり、彼はその姿を上から下まで眺め回す。
「その姿で、その言葉遣い……なんとも違和感を拭えんわ」
「仕方ありません。それに、そのようにしたのは他ならぬあなたでもある」
その視線にわずか居心地の悪さを感じたものの、金髪の男は淡々と答える。
ただ、彼の口調は老人の言うように、イーゲル=ライオットという男のものではない。
「別に好き好んでそうしたわけではない。実際、調子はどうなんじゃ?」
「特に問題はないといったところですか。もっとも、私も違和感を拭えないのは事実ですが……」
「じゃろうな。他の者に気付かれてはおらんか?」
「今のところは。そもそも普通の人間には簡単に見抜けないでしょう……一部例外もいますがね」
一人の女性の姿を思い出し、男は嘆息する。
それを見たガイモン=ムラカミは、一部の例外が誰なのかを察した。
「あの嬢ちゃんか。元々、小僧とは親しい間柄だったようじゃが……それを抜きにしても、誤魔化すのは難しい相手じゃな」
普段からイーゲル=ライオットに付き従う赤毛の秘書は、老人の目から見ても勘の鋭い女性だった。
他者をあまり高く評価しない彼にしては、珍しい事例であったと言える。
「確かに彼女の能力は、切り捨てるにはもったいないところです。うまくこちら側に取り込んで利用したい……なんなら力づくでもね……」
「……意外とえげつないことを言うものじゃな。お前も」
どこか剣呑な光を瞳に宿した男を見つめ、今度は老人が嘆息した。
ガイモン自身、目的のための手段は選ばない人物だが、男の言葉の意味を考えればあまり面白いとは思わない。
「それはそうと、イーゲルはどうしました?」
「記憶データの抽出と選別作業は、問題なく終わった。今頃、目覚めておるじゃろう……あの男が様子を見に行っておる」
「ほう。彼がね……やり過ぎなければいいですがね」
意味深な台詞を吐きつつ、この場にいるイーゲル=ライオットは瞑目する。
対して、ガイモンはわずかに宙を見上げた。
「まぁ、あの男にとっては待ちに待った本懐を遂げる時じゃ。それに小僧の役目はもう終わり……生かしておく理由もなかろうよ」
「えげつないのは、お互い様ではないですかね……それなら私も、挨拶ぐらいはしてきましょうか」
淡々と物騒なことを言う老人にお返しとばかりに答えると、男はその瞳を閃かせた。
「なにしろこれからは、私が本当のイーゲル=ライオットになるのですから……」
その男は、夢を見ていた。
夢の光景は、彼の過去にあった出来事だ。
ベイ・ウィンドウのある部屋の中で青空を眺めながら、男は落ち着かない表情を浮かべている。
(そろそろ結果がどうなったか、わかるはずだが……まさか、仕損じたわけではないだろうな?)
一抹の不安を覚えつつ、彼は携帯端末を握り締めた。
その途端、端末が震えて着信を知らせる。
驚きつつもすぐに反応した男は、受信のスイッチを押した。
「私だ……ふむ……そうか! 成功したか!!」
当初は緊張した面持ちだったものの、やがて彼は喜びに声を張り上げた。
しばし相手の話の内容に耳を傾けたあと、ねぎらいの言葉を口にしながら通話を終了する。
「ついにやったか……あのいまいましい父を……ついに……!」
見上げる空のように澄み渡った心のまま、男は哄笑を上げたのだった。
『十月八日午後二時、ライオット・スタッフ・カンパニーの社長、リンゲル=ライオット氏の乗った乗用車が、採掘プラント用の資材を積んだ大型ダンプと衝突した。この事故によりライオット氏は死亡。なお、ダンプの自動運行システムは事故当時、動体感知センサーに異常をきたしていたと見られている……』
「ここは……どこだ?」
夢から覚めた男は、わずかに首を振りながら起き上がった。
ひどく気分が悪く、まるで二日酔いのような感覚だ。
彼のいる場所は、広さにして五メートル四方の部屋だった。窓もなければ調度なども置かれていない、ひどく殺風景な空間だ。
光源も天井に四箇所ほどある白光のスポットのみである。
「私は確か、家にいて……そうだ! あの強化兵の男が……!」
その男――イーゲル=ライオットが弾かれるように立ち上がると、申し合わせたかのように部屋唯一の出入り口である扉が開いた。
そこに立っていたのは、鋼の仮面を着けた筋肉質の男である。
「気が付いたようだな。イーゲル」
「お前……アールグレイ! いったい、これはどういうつもりだ!?」
鋭い視線を向けてくるイーゲルに、強化兵のアールグレイはゆっくりと歩み寄る。
「どういうつもりか……か。簡単だよ。復讐だ」
「ふ、復讐だと!? ぐはっっ!!」
端的に答えた彼は、声を荒げる金髪の男を殴り飛ばす。
背後の壁に激しく叩き付けられたイーゲルは、その場に座り込むように崩れる。
「無様だな。イーゲル……所詮、お前は金を増やすしか能のない小僧ということだ」
「な、なに……お前はいったい……!?」
「フフフ……気付かないか? いや、お前はそもそも人格継承を否定していたのだったな。ならば仕方がないか……」
嘲笑したアールグレイは、そこで仮面のロックを解除した。
甲高い排気音と共に外れた鋼鉄の外面の下から、緑色に染まった壮年の男の顔が現れる。
それを見たイーゲルは、驚愕の叫びを上げた。
「お、お前は……バカな!! その顔……もしや、リンゲル!? ごふっ!!」
「父親を呼び捨てにするとは、ずいぶんと不遜な奴だ。恥を知るがいい」
わずかに眉を吊り上げた強化兵は、今度は爪先を相手の腹に叩き込む。
苦痛に呻いたイーゲルだが、やがて憎々しげな視線をアールグレイへと向けた。
「ち、父だと……!? 誰が、お前など……!!」
声こそ掠れていたが、そこには明確な否定の意思が浮かんでいる。
そもそも目の前の強化兵は父親の面影こそ残していたものの、今のイーゲルより年下にしか見えない。いきなり父と名乗られても、違和感しかないだろう。
それを知ってか、アールグレイは再び嘲笑する。
「まぁ、確かに私はリンゲル=ライオットではあるが、厳密にはお前の父でないとも言えるな……」
「ど、どういうことだ……? お前はいったい……!?」
「フフフ……お前は私を出し抜き、殺したつもりなのだろうが、すべては私の思惑通りだったということだ……」
そう言うと、強化兵の男はここまでの経緯を端的に語り始めた。




