(15)因縁の二人
その晩のセレストも、普段と変わらぬ星の闇だった。
市街地と異なり、人気や生活感のない開けた路上を、ソルドは進む。
周囲にあるのは、廃墟となった施設だ。破壊され尽くした重機や機器の残骸がそこかしこに転がり、物寂しさを演出している。
セレスト・ワン――異形の軍勢によって機能を失った採掘プラントは、今もまだ復旧の目処が立たないまま放置されている。
表向きは立入禁止となっているが、侵入自体は容易に可能だ。
ただ、廃墟となった経緯が経緯だけに、近寄ろうとする人間は誰もいなかった。
「どうやら臆さずに来たようだな」
そのプラントの中央に当たる場所で、ダイゴ=オザキは待っていた。
いつもと変わらぬスーツ姿の男は、吹かしていた葉巻を投げ捨てる。
「当然だ。なぜ、臆する必要がある?」
足を止め、仁王立ちの姿勢でソルドは答える。
その表情は落ち着いたものだったが、瞳に浮かぶ光は剣呑そのものだ。
「カオスレイダーから人々を守るのが、私たちの使命だ。貴様たちと戦うことに、微塵も恐れなど抱きはしない」
「フン……親しい人間も守れぬ貴様が、良く言うものだ……」
「……貴様の安い挑発は、聞き飽きた。今更、そんな言葉で私を動揺させられると思ったのか?」
わずかに眉を動かしたものの、彼の様子に大きな変化はない。
奈落に突き落とされたような苦悩と苦痛の中、それらを乗り越え戦う覚悟を強固にしたソルドに、ダイゴの詭弁はもはや通用しなかった。
「なるほど……どうやら開き直ったということか」
肩を揺らしながら、ダイゴはつぶやく。
そんな彼を変わらぬ眼差しで見据えながら、ソルドは威圧的に問い掛けた。
「戯言はいい。貴様には聞きたいことが山ほどあるが……なぜ、私をここに呼びつけた?」
「昨晩言っただろう? 貴様の相手をするためだ。いい加減、この因縁にケリをつけたいと思ってな……」
改めて視線を合わせ、ダイゴは告げる。
男の瞳には殺意が浮かんでいたが、なぜかカオスレイダー特有の紅い輝きは見られない。
「……どういう風の吹き回しか知らないが、それに関しては同意しよう。では、貴様は私と本気で戦おうというのだな?」
「無論だ」
「貴様の力はだいたい理解しているが、私の相手になると思っているのか?」
今度はソルドが挑発する。
転移や精神捜査などダイゴの持つ能力は確かに侮り難いものだが、直接的な戦闘力は高くない。
少なくとも、本気を出した特務執行官に対抗できるものではなかった。
「確かに【ハイペリオン】からもらった力だけでは、無理だろうな。だが私とて、なんの勝算もなしに、貴様に挑もうなどとは考えん……」
それはダイゴも理解していた。
【統括者】より与えられた服従の種子は、あくまでカオスレイダーを統括する力の一片を行使できるに過ぎないのだ。
低くつぶやいた男は懐に手を入れると、取り出した物体をソルドに見せる。
「それは……!?」
「フフフ……これはベルザスでフューレ=オルフィーレに与えたものだ……」
ダイゴの手の上にあったのは、紫と緑の蔦が絡み合ったように見える種子であった。
歪な輝きを放ちつつ脈動するそれを、ソルドは忌まわしき記憶と共に見つめる。
「それが新種の種子か! いったいそれをどうするつもり……まさか!?」
「そう……こうするのだ!」
言うが早いか、ダイゴはその種子を飲み込んだ。
男の身体がビクリと震えたかと思うと、次の瞬間、凄まじい絶叫が響き渡る。
「ぐあああああぁああぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
「ダイゴ……貴様!!」
ダイゴを中心に、凄まじい衝撃波が放たれた。
暴風のように巻き起こったそれに耐えながら、ソルドは目を凝らす。
全身を触手のようなものに包まれ、男の姿は歪なサナギとなっていった。
それはかつてベルザスでフューレが覚醒した時に見たものと、まったく同じ光景だった。
「奴め……自ら新種になろうというのか! 目覚める前に破壊しなくては……!」
拳を握り締め、ソルドは大地を蹴る。
新種への覚醒は極めて短時間で行われるため、攻撃の機会は一瞬しかない。
灼熱の炎を纏って突き出された拳がサナギに炸裂し、凄まじい衝撃音が辺りに響き渡った。
(ソルド!?)
その瞬間、アーシェリーは弾かれたように空を見上げていた。
なぜ、そうしたのかはわからない。
ただ、嵐のように襲ってきた漠然とした不安が、彼女の心を支配しようとしていた。
(……ダイゴ=オザキからの挑戦……今頃、ソルドは……)
手を胸の前で握り締める。
ここではない空の下で今、想い人と因縁の相手は相まみえているはずだ。
(混沌の下僕と呼ばれた男……油断ならない相手ですが、今のソルドであれば問題はないはず……)
自身に言い聞かせるように、アーシェリーは内心でつぶやく。
彼女はダイゴと相まみえたことはないが、その狡猾さについては聞き及んでいる。かつてソルドを精神的に追い込んだことについてもだ。
しかし、地球での一件でソルドは力を取り戻した。同時に、強く謎めいた力を彼に感じるようにもなっていた。
【統括者】ならいざ知らず、カオスレイダー相手ならば、ソルドが不覚を取ることはないはずだった。
(なのに、なぜ……こんなに胸騒ぎがするのでしょう……)
それでもやはりアーシェリーは嫌な予感を拭い去ることができなかった。
闇の彼方に浮かぶ月を見つめ、彼女はただ青年の無事を祈った。
「う……」
もうもうと立ち込める湯気と粉塵の中で、ソルドは身を起こした。
サナギを破壊すべく攻撃した彼だが、爆発的な衝撃と共に後方に弾き飛ばされたのだ。
なにが起こったのかわからないまま、彼は前方を見やる。
十数メートル先にある異形の塊は変わらず脈動を続けていたが、その表面からは手が突き出ていた。
「予感はあった……」
その手が握り締められると同時に、声が響き渡る。
腹の底から響くような、重厚で低い声だった。
「かつてエンリケス=ラウドという男は、自らの憎悪によって覚醒へと至った……」
やがて手はサナギの表面を掴み、引き裂くように動き始める。
「アレクシア=ステイシスは……混沌の意思すらも呑み込んで覚醒した……」
音を立てて裂けていくサナギを凝視しながら、ソルドはその声に耳を傾ける。
「【ハイペリオン】は、恐れていた……混沌の種子の支配から逃れ、逆に支配し得るほどの人類の可能性を……ゆえに種子の支配力を高めた新種を生み出したのだ」
淡々と語られる新種誕生の真実――しかしそれ以上に、ソルドは目の前で生まれた光景から目を離せずにいた。
「だが私は……長く混沌の力に晒されていたがゆえに……その能力を研ぎ澄ますことができた……服従の種子すらも、私の意思を束縛できなくなるほどにな……」
サナギを破り、声の主が姿を現す。
それは紫と緑の輝きを交互に放ちつつも、人の形を留めたダイゴ=オザキの姿だった。
「その私であれば……新種の力すら支配することもできると……感じていたのだよ……」
一歩を踏み出し、男は視線をソルドに向ける。
血の色をした瞳が、歪に輝いた。
そこには狂気など見えず、ただ静かな殺意だけが浮かんでいる。
「ダイゴ……貴様……なのか……?」
呆然とつぶやくソルドに対し、ダイゴは口元に笑みを浮かべて答える。
「その通りだ。ソルド=レイフォース……この言葉は、混沌の意思によるものではない。私の……このダイゴ=オザキの意思によるものだ」
それはかつてアーシェリーが、アレクシアの覚醒に立ち会った時と同じだった。
人の姿と意思を残し、カオスレイダーとなった者――それは混沌の力と同化し、その力を支配下に置いたことを意味していた。
唯一アレクシアの時と違うのは、ダイゴの支配した力が、あの恐るべき新種のものであるという点だった。
「実に素晴らしい感覚だよ……これほどの力があれば、恐れるものはない。そう、ソルド=レイフォース……貴様とてな!!」
そしてダイゴは、瞬間移動のようなスピードでソルドに詰め寄った。
驚愕に目を見開いた青年に、男の拳が叩き込まれる。
「な!? ぐああああぁぁぁっっ!!!」
「さぁ……これで不足はなかろう? 始めようではないか!! 貴様と私の因縁の戦いをな!!」
大きく吹き飛ばされ、廃施設の壁面に突っ込んだソルドを見やりながら、新種の力を得た男は咆哮した。




