(14)変革の兆し
世の混乱とは裏腹に静寂に包まれた宇宙――その中に浮かぶ小惑星パンドラもまた、表向きは変わらぬ様相を保っている。
しかし、半球状の司令室では今、少なからぬ動揺が巻き起こっていた。
「あのダイゴ=オザキが、ソルドに挑戦してきただと?」
銀髪の男ボルトスが、意外だと言わんばかりに声を張り上げた。
それに対し、司令官であるライザスは腕組みをして頷く。
「うむ……シュメイスからの報告だ。ソルドにも、その話は伝わっているようだ……」
「どういうつもりだ? 確かに奴は混沌の下僕だが……今まで直接対決をするような動きは見せなかったはずだ」
その疑問は、もっともなものと言えた。
複数の特務執行官と相まみえる機会こそあったものの、ダイゴ自身が戦う意思を持って接触してきたことは一度としてない。
そもそも混沌の下僕とはいえ、ダイゴ自身は戦いの技術に秀でておらず、その戦闘能力も高くはないのだ。
「わからん。だが、これはひとつのチャンスと言えるだろう。奴がSSSで企んでいたことを聞き出すためのな……」
「では、ソルドに交戦の許可は出したのだな?」
「うむ。どのみち、このことを知ったソルドが黙っているはずもあるまい」
嘆息しつつ答えた司令官を見て、ボルトスも大きく息をついた。
レイモスやノーザンライトでの出来事を考えればソルドを止める理由はなかったし、その行為自体が無駄なことと言えたからだ。
「あの男が簡単に口を割るとは思えんがな……それに相手の思惑もわからない以上、安易に許可すべきでなかったと思うが?」
そんな二人を見つめて口を挟んだのは、ウェルザーである。
かつてはアマンド・バイオテックの情報統括役員だったダイゴである。情報の重要性を知るだけに、自らに不利になることを容易く口にするとは思えない。
なにより以前、ソルドが陥れられたことを考えれば、また同じような策を巡らせている可能性もあった。
「確かに油断ならないのは事実だが、ソルドもアーシェリーの尽力によって立ち直った。以前のような不覚を取ることはもうないだろう」
「だが、念には念をという言葉もある。俺もこれから任務で月に向かうから、いざという時にはすぐ動けるよう備えておこう」
ライザスの答えに続き、ボルトスが告げる。
銀髪の男にしても、万が一の際のフォローを考えておく必要はあると感じていたようだ。
「ならばいいのだが……それよりもライザス、お前は本当にSSSへの襲撃を強行するつもりか?」
ただ、ウェルザーはダイゴの件とは別のところに懸念を抱いている様子だった。
どこか鋭い視線を向けてきた彼を見返し、ライザスは訝しげに告げる。
「……あの強化兵の力は見たはずだ。今、奴らに対抗できるのは特務執行官しかいない」
「だが、オリンポスはカオスレイダー殲滅のための組織だぞ。ただでさえ他の組織に良い顔をされていないのに、お前はあえて首を突っ込もうというのか?」
「……では、どうしろと言う? このまま見てみぬふりをして過ごせと?」
どこか剣呑な雰囲気が、その場に満ちる。
肌を刺すような緊張の中で、ボルトスは二人の男のやり取りを見守った。
「……我々とて余裕はないはずだ。【統括者】を倒すため……そして【エリス】や【ヘカテイア】たちに対抗するために、考えなければならないことはたくさんある。そもそもコスモスティアを持つ我々は、安易に人間同士の争いに関わるべきではない。それはオリンポスを立ち上げた時から一貫していた方針ではないか?」
「だが、状況は変わる。そもそも強化兵に使われているSPS細胞には、カオスレイダーの因子が含まれているのだぞ。一概に無関係とは言えないだろう?」
わずかに苛立ちのようなものを覗かせ、ライザスは言葉を続ける。
ウェルザーの言葉は正論だ。事実、これまでは彼の言うように事を運んできた。
しかし、ここに来て大きく変わりつつある戦局に対応するには、今までの在り方では難しい。
「それにダイゴ=オザキが関わっていた以上、SSSにどのような情報がもたらされたのかもわからん。万が一、カオスレイダーを兵器転用するようなことでもあれば、更に大変なことになる」
「そのようなことは不可能だ」
「なぜ、言い切れる? あの強化兵も自我を破壊するSPS細胞の特性すら覆した存在なのだぞ」
元は科学者であるはずのウェルザーが可能性を否定し、元は査察官であるライザスがそれを肯定する。
それは二人の過去を知る者であれば、意外に思えた一幕だったろう。
傍で聞いていたボルトスも、少し違和感を覚えたほどだ。
「お前の懸念はわかるが、人々をカオスレイダーの脅威から守るのが我々の使命……その関与が少しでも疑われるのなら、私は行動を起こす必要があると判断する」
「……なるほどな。それがお前の考えということか。よくわかった……」
決然と告げたライザスに、ウェルザーはそれ以上反論することなく押し黙る。
この時、彼の中に去来した思いが、どのようなものだったのかはわからない。
重い沈黙の訪れた中、踵を返した男の靴音が響き渡る。
どこか人を寄せ付けない雰囲気で立ち去るその後ろ姿を、二人の男たちは無言で見送った。
SSS本社のあるビル地下の研究施設に、ダイゴとガイモンの姿はあった。
「……そうですか。イーゲルの拉致は成功しましたか」
穏やかでない言葉をつぶやく男の表情は、どこか冷めたものだ。
対する老人は、いつものごとく鼻を鳴らしながら答える。
「当然じゃろう。あの小僧に奴を止める手立てなどないわ……もっともこの場合、拉致という表現が適切かどうかは疑問じゃがな」
「確かに、まったく赤の他人というわけではないですからね。これであとは彼の出番というわけですか」
苦笑めいた笑みを浮かべ、ダイゴは視線を移す。
その先にある金属製の培養槽は開いており、今はもぬけの殻となっている。
「そうじゃな……で? お前はこれからどうするつもりじゃ? 前も言ったが、このままじゃと例の症状が起こる可能性があるぞ」
「オンリーワン・シンドロームですね……もちろん私はここを出ていきますよ。目的はほぼ果たされたのでね……」
特に感慨もなく、男は告げる。
彼にとってSSS参与という肩書きはどうでも良く、固執する意味すらないものだ。
それはガイモンたちとの関係においても、同じことが言える。
「出ていくだけで済めば良いがな……あの症状は、相手を認識することで発症する。お前と奴は、もう顔を合わせたはずじゃろう?」
老人もまた、それに関しては同感のようだった。
ただ、彼の気掛かりは今しがたダイゴの放った一言にあったようだ。
「もちろん……ですが、以前あなたのおっしゃったように、彼はイレギュラーな個体です。幸いそれほど症状はひどくなかったようで……」
「ふむ……なるほど。やはり肝になってくるのは、相違点があるか否かということか……」
その懸念を払拭するかのように答えたダイゴに対し、ガイモンは低く唸るのみだった。
自身だけの思考の海に沈んでゆくその様は、自己中心的な科学者の典型的なあり方と言えただろう。
わずかに嘆息しつつも、男は視線を老人に合わせる。
「いずれにせよ、もう顔を合わせることはないですよ。あとのことは、彼がうまくやってくれるはずです……博士には本当に感謝しています」
「フン……お前の口から感謝などという言葉を聞こうとはな。セレストに大雨でも降るのではないか?」
「ひどい言われようだ……私とて、人並みの気持ちは持ち合わせておりますよ」
憮然としつつも、確かに自分らしからぬ台詞だとダイゴは思った。
しかし、いまだ誰も知ることのない彼自身の望みを果たし得たのは、紛れもなくガイモンたちの力によるものだ。
互いに利用するための関係でしかなかったとはいえ、そこに感謝が皆無だったわけではない。
「ごきげんよう。ガイモン=ムラカミ博士……彼や二人には、よろしく伝えて下さい。あとはあのイーゲルにもね……」
すれ違いざまガイモンに告げながら、ダイゴは歩を進めてゆく。
その瞳に紅い輝きを潜め、固く拳を握り締めながら、彼は施設の空間をあとにした。




