(11)騒めく心
その日、カオスレイダーの掃討任務に就いていたアーシェリーは、ソルドからの通信を受け取っていた。
光の中に浮かび上がる赤髪の青年は、どこか厳しい表情を浮かべている。
「ルナルそっくりの強化兵ですか!?」
『そうだ。ただの偶然ということはあり得ない。地球でムラカミ博士の言った内容を考えれば、裏にはガイモンがいるはずだ』
「ムラカミ博士の言った内容というと……ルナルが何者かの人格継承実験のクローンだったという話ですね……」
少しだけ驚きの表情を浮かべるも、アーシェリーはすぐにルナルの出自に関する話を思い返す。
『あくまで推測になるが、私はあのダージリンという強化兵も同じなのではないかと考えている』
ソルドは感情を押し殺したように、言葉を継ぐ。
ルナルが三十年前に行われていた人格継承実験の被検体として生まれたことは、ほぼ間違いのない事実だ。
その実験が今もなんらかの形で続いていたとするなら、ダージリンの存在についても説明がつくということだろう。
『そしてダージリンは、ルナルというより【ヘカテイア】に雰囲気が似ていた。つまり【ヘカテイア】は継承された人格であり、私たちの知るルナルとは、やはり別の存在と言えるのではないか?』
「二重人格……というべきでしょうか? ですがそうだとすれば、なぜルナルは【ヘカテイア】に取って代わられることになったのです?」
そこでアーシェリーは、生まれた疑問を口にした。
ルナルの中に異質な声の存在があり、彼女を苛んでいたことは知っている。しかし、明確な人格として存在し対立していたのではない。
仮に別人格だったとするなら、【ヘカテイア】はもっと早くに姿を見せているはずだ。
『わからない。ただ、コスモスティアの代わりに存在した黒い渦のようなもの……あれがひとつの鍵を握っているような気はする……』
ソルドもそれは気付いていたようで、かぶりを振りながら答える。
二人が【ヘカテイア】と出会った際に感じ取った不気味なエネルギーはいまだ謎に包まれている。あの禍々しいまでの力が人の性格に影響を与える可能性がないとは言えない。
ただ、それもあくまで推論だ。証拠がない以上、アーシェリーもそれに対して明確な答えを導き出すことはできなかった。
「今の段階では、やはり不明なことが多過ぎますね。ですが、ソルド……これからどうするつもりです?」
改めて青年を見つめた彼女は、訝しげに問い掛けた。
ソルドの見せている態度に、なぜか嫌な予感がしたためである。
『……ガイモンを問い質すため、SSSに入り込む』
「ソルド!?」
『奴がSSSにいることは、ほぼ間違いない。今の推測が本当かどうか、奴を問い質して確かめなければならない……』
「ソルド。気持ちはわかりますが、落ち着いて下さい!」
その予感の的中に目を見開きつつ、アーシェリーは強く声を発した。
「強化兵の出所がSSSである確証は、まだありません。それを調べるためにシュメイスたちが動いているのでしょう? 相手はカオスレイダーではなく、民間の企業なんです。迂闊に手を出すわけにはいきません」
淡々と正論を語りながらも、彼女の声には強い感情がこもっている。
ソルドの抱いている焦燥は理解できる。アーシェリーとて任務に忙殺される現状を歯痒く思っているからだ。
ただ、ここで無理矢理ガイモンを問い質すことに大きな意味があるとは思えなかった。【ヘカテイア】が人格継承実験の結果、生まれた存在だとしても、元のルナルを取り戻すための解決策を老人が握っているわけではない。
オリンポスも水面下で調査を進めている以上、ソルドの取ろうとしている行動は自身の焦燥を抑えるための対症療法でしかないのだ。
「カオスレイダーに対抗する力を持つだけで、私たちの存在は危険なものなんです。それに、私情で力を振るえばコスモスティアに見放されると言ったのは、あなたじゃないですか!」
『……そうだな。わかっている。だが……』
想い人の言葉に耳を傾けながらも、ソルドの表情には苦悩が満ちている。
滾る混沌とした思いを叩き付けるように、彼は吐き出した。
『それでも私は……これ以上、手をこまねいていることはできない……!』
「……ソルド!? 待って下さい! ソルドッ!!」
そのまま断ち切るように、通信は切られた。
舞い散るように消えた光に向け叫びながら、アーシェリーは愕然とした表情を浮かべる。
(……わかっていたはずなのに……私は……どうして……)
手を握り締め、彼女は心の中でつぶやく。
元々が直情径行であり、即時行動を売りにしていたソルドだ。
しがらみや使命に拘束され、身動きの取れない状況が続いていたことは、想像以上に彼の心を苛んでいたらしい。
そして図らずもルナルそっくりのダージリンと遭遇したことで、ガイモンがSSSにいるという疑念は確信に近付いてしまった。それがまた彼の歯止めを効かなくさせてしまったのだろう。
青年の思いを知りつつもフォローし切れなかった自分に、アーシェリーは不甲斐なさを覚える。
(けど、このままではいけない。今はソルドをなんとしても止めないと……!)
一時の後悔を挟みつつも、彼女は即座に行動を開始する。
新たな光の渦を中空に浮かべ、アーシェリーは思い浮かべた相手への通信回線を開いた。
襲撃失敗が発覚してから半日が経過した頃、SSSオフィスにある社長室にイーゲルとフェリアはいた。
規模こそ小さいものの陽当たりは良く、整然と整えられたその部屋は、実務的ながらも落ち着いた雰囲気をかもし出している。
ただ、その中でたたずむ二人の様子は、お世辞にも穏やかなものではなかった。
「フェリア君。強化兵たちの邪魔をした者の正体は掴めたかね?」
目の前に置かれた端末のコンソールを操作しつつ、イーゲルは問い掛ける。
それに対し首を振りながら、フェリアは嘆息した。
「いえ……それがまったく。ただの人間でないことは確かですが……」
アールグレイたちによる要人襲撃を阻止した赤い髪の男――その記録映像を眺める彼らの表情は険しい。
やがてフェリアは手にしたタブレットを手早く操作すると、イーゲルの視線の脇に置いた。
「実はセレスト・ワン襲撃の際にも同じような者たちによって、SPS兵士が駆逐されたという記録が残っていました」
「そのような話は聞いていないぞ? フェリア君、これをどこで?」
タブレット上では別の記録映像が展開されている。
そこには数多のSPS兵を葬り去っていく三名の人間たちの姿が映っていた。
「セレスト・ワンに残されていた監視カメラが捉えた映像です。先日、裏ルートで手に入れたものです……」
「ダイゴから提出された記録に、このような者たちは映っていなかった……奴が密かに改ざんしていたというのか……」
眉を吊り上げ、イーゲルはいまいましげに吐き捨てた。
そんな男を見つめながら、赤毛の秘書は静かに言葉を継ぐ。
「採掘プラント襲撃の件はオザキ氏に任せ切りでしたし、作戦自体は成功していますから、不審に思うところは少なかったというのもあります。私も、もっと早くに気付くべきでした」
「うむ。しかし、存在すら謎の生体兵器か……そのような者が存在していようとは。このままうまく事が運ぶかと思えば、簡単にはいかないものだな」
「物事が順調に進んでいる時ほど、気を抜かないことです。いつもなら気付けたはずの落とし穴に、はまることもあります……」
「それは、誰の受け売りかね?」
「……私の母の口癖でした」
「かつて女傑議員と謳われたエーディル女史か……なるほどな。肝に銘じておこう」
背もたれに背を預けながら、イーゲルは大きく息をつく。
今回の襲撃失敗によって、これまで順調とも言えた【宵の明星】との交渉は停滞することになるだろう。
そして彼にとっての懸念は、それ以外にもあった。
「ところで、オザキ氏との連絡は取れたのですか?」
「いや。襲撃失敗の報告以降、変わらず音信不通のままだ。なにかあったとも思えんが……」
これまで交渉も含め、精力的に活動していたダイゴとの連絡がいきなり途絶えたのだ。
今までは少なくともこちらから連絡すれば、一時間ないし二時間以内には返信があった。
なにより現状では目立った予定も入っていなかったはずなので、応答できないというのもおかしい。
「……嫌な予感がします。くれぐれもお気を付け下さい」
わずか重くなった空気の中で、唐突にフェリアはつぶやいた。
見咎めたわけでもないのだろうが、イーゲルはそんな彼女に鋭い視線を向ける。
「君にしては、ずいぶん漠然とした言い回しだな。気になることでもあるのかね?」
「いえ……ここ最近、オザキ氏はムラカミ博士の下を良く訪れていたとのことでしたので……」
「強化兵のプレゼンの件を考えれば、それは当然のことだろう?」
「確かにそうなのですが……」
「……君もずいぶん心配性だな。ダイゴが博士と組んで、なにかを企んでいると?」
歯切れの悪い態度を見せる秘書に対し、男ははっきりと告げた。
その言葉に頷く女の手は、少しばかり震えているようだった。
「……正直に申し上げれば、その通りです。オザキ氏は得体の知れない人物……そしてムラカミ博士は、今は亡き前代表と繋がりの深かった方ですので……」
前代表という言葉に、イーゲルはやや不機嫌そうな表情を見せた。
視線を前方に固定しつつも、その目はどこか遠くを見ているように見える。
「……確かにな。だが、あの老人は父の庇護の下でつまらぬ研究だけをしてきた人間だ。元より自分のことしか考えない彼に人を陥れる真似などできんよ」
「人格継承……代表は、あの研究を否定しておられるのですね?」
「当然だ。君も私の理想は知っているだろう?」
その問い掛けに対し、フェリアはすぐに頷く。
「人が人らしく生きられる世界を作る……ですね? それはすなわち、自由な争いが認められる世界だと……」
「そうだ。人は相争い、その中でこそ進化していく生物だ。政府やCKOによる偽りの平和など不要……それは人類を衰退させる毒でしかない」
いつになく力のこもった声が、男の口から放たれる。
彼が目指すものは、秩序によって支配されることのない自由な世界だ。そのために【宵の明星】に力を貸し、世の混乱を煽っている。
それは図らずも【統括者】やカオスレイダーがもたらそうとしている世界と同質のものだ。
「そして変えようのない生死があってこそ生命は入れ替わり、発展は促されるのだ。未来永劫、生き続けるための研究など必要ない!」
昂る感情のまま、彼はガイモンの生涯を懸けた研究を切り捨てる。
彼にとって老人の利用価値は類稀なる頭脳にこそあり、それ以外は正直どうでも良かったのだ。
「あの愚かな父は、それをわかっていなかった……他にも思うところはあったが、一番許せなかったのはそこだ!」
「だから、殺した……」
「そうだ。リンゲル=ライオットという男の呪縛から逃れることで、SSSはここまで発展した。それはすなわち、私の考えが正しかったことの証左だろう!」
他者には聞かせられない罪の言葉に対し叫ぶように言い放つと、イーゲルは拳を叩き付ける。
ドン、という激しい音が、室内に大きく響き渡った。
荒い息をつく者と息を呑む者――両者の間でわずか時は止まっていたが、やがてそれも静かな嘆息と共に動き出す。
「すまない……つい、エキサイトしてしまったようだ」
「いえ……」
「だが、君の忠告は聞き入れよう。ムラカミ博士はともかく、ダイゴは油断のできない相手だ。なんとしても探し出し、追及する必要がある。採掘プラントの件も含めてな……」
「ありがとうございます。代表……」
いつもの落ち着きを取り戻したイーゲルに対し、フェリアはわずかに頭を下げた。
そんな彼女をどこか愛しげに見つめ、男は静かにつぶやく。
「礼を言うのはこちらだ。君がいてくれるから、私は安心していられる……やはり君は私にとってかけがえのない存在であり、同時に母のような存在なのかもしれん……」
「え? 母……ですか?」
「いや……ただの戯言だ。忘れてくれたまえ……」
意外な言葉に目を見開いたフェリアだが、それを言ったイーゲルの顔はすぐに逸らされ、浮かんだ表情を確認することはできなかった。




