(10)襲撃のあとに
闇の中で消えかけていた意識が蘇っていた。
神経接続のなされた右腕は白煙と共に、男に痛みの感覚を送り込んでくる。
折れたあばらの刺さった肺から血が溢れ、咳と共に吐き出される。
ただ、霞む視界はなぜかはっきりし始め、全身に満ちる苦痛も徐々にではあるが引き始めていた。
「てめぇ……ソルド=レイフォース……」
目を開けたボリス=ベッカーは、そこに赤い髪を持った青年の姿を見る。
それは彼にとって忘れようもない友の仇であった。
「しゃべるな。今、下手に動けば死ぬぞ」
その手を男の胸板にかざしつつ、ソルド=レイフォースは語り掛ける。
ナノマシンヒーリングによって、ボリスの傷はなんとか致死となるレベルを免れていた。
それでも、絶対安静の状況であることに変わりはない。
「フン……てめぇに助けられるなんざぁ……反吐が出るって……ぐっ!?」
「しばらく黙っているがいい」
それでもなおも動こうとしたボリスに、ソルドは嘆息しつつ処置を行う。
ナノマシンヒーリングを応用した瞬間麻酔によって再び意識を飛ばされた男は、苦々しげな表情だけをその顔に残していた。
(これで問題はない。あとは救急に任せればいいだろう。それにしても、悪運の強い男だ……)
やがて応急手当を終えたソルドは、ゆっくりと立ち上がる。
ボリスも含め、アールグレイに襲われた特別保安局の警護官たちは、全員が生命を落とさずに済んでいた。襲撃阻止に成功し、なおかつ人的損害をも免れた事実は、僥倖と呼ぶべきだったろう。
少なからぬ因縁を持つ男を一瞥したあと、青年は光となって天へ飛ぶ。
(SPSを応用した強化兵。そして、ルナルそっくりのダージリン……)
行く先を見据えるソルドの表情は、厳しさを湛えていた。
戦いの中での動揺が消え、改めて考えを巡らせていた彼は、ある確信に近い思いを抱いていたのだ。
(これまでの襲撃が本当にSSSの仕業なら、間違いなくガイモンは……)
拳を強く握り締め、彼は密かに決意の光を瞳に宿した。
襲撃現場から撤退した二人の強化兵は、ある廃屋に身を潜めていた。
ひび割れた柱に背を預けてたたずむアールグレイに対し、ダージリンは落ち着かなげに動き回っている。
同じところを行ったり来たりしたかと思えば、急に立ち止まって拳や蹴りを宙に放つ。
震えた空気の中で、積もった埃が舞い上がった。
「機嫌が悪そうだな」
「当たり前でしょう? 久しぶりにゾクゾクする相手に出会えた。この気持ち……あなたなら理解できるはず……」
淡々とつぶやいたアールグレイに対し、ダージリンは感情を剥き出しにして答える。
晒した素顔に浮かぶのは、憤りにも近い感情だ。
嘆息するような動きをした男は、地に転がる割れた仮面を見やる。
「もちろんだ……だが、我々の作戦行動はモニターされている。博士も対策は練っているだろうが、ここで正体が露見するとまずいことになる」
「でも、私の姿がバレても問題ないんじゃなくて? 問題があるとするなら、あなたのほうよね」
「確かにな……だが、念には念だ。今はあのイーゲルに疑われるような真似は避けねばならん……」
苦渋にも似た感情が、アールグレイの声に混じる。
あの場からの撤退は、彼にとっても本意ではなかった。事実、それによって今回の作戦行動は失敗に終わっている。
「そうね……けど、私は欲求不満だわ」
長い黒髪を掻き上げ、ダージリンは男の傍へ歩み寄る。
そして首元にある着脱装置を操作し、スーツの拘束を解除した。
形を失い地に落ちた黒い物体の上で緑色に染まった裸身を晒しながら、彼女は相手の首元へと手を伸ばす。
「この火照り……あなたに鎮めてもらうしかないわね。お互い気が狂うまで……フフ……」
「いいだろう……それがお前の望みならな……」
その声に応じるようにアールグレイもまたすべての拘束を解くと、相棒となる女を抱き寄せた。
やがて獣のような息遣いと甘やかな嬌声とが放たれ始め、澱んだ室内を熱気と共に満たしていった――。
時と場所は移り、月のエリア・セレストにあるSSS本社のあるビル。
秘密研究施設となっているその地下の空間で、ダイゴ=オザキは眉をひそめていた。
「失敗した?」
「うむ……余計な邪魔が入ってな。ダージリンの姿が露呈してしまった。それで撤退を決めたようじゃ」
「イーゲルは、そのことを?」
「奴に渡した記録には細工をしてある。襲撃失敗の件はともかく、二人の正体に関してバレることはあるまい」
「ならば良いのですが……しかし、あの二人を止めるとは、いったい何者の仕業です?」
「うむ。これを見るが良い」
男の問いに苦々しげに答えつつ、ガイモンはコンソールを操作する。
中空に浮かび上がったスクリーンに、映像が映し出された。
それはベータの路上における襲撃の記録であった。
「これは……!」
しばしその映像を見つめていたダイゴは、表情を厳しくする。
ダージリンの行動を追った記録に、彼の良く知る人物が現れたからだ。
赤い髪と黄金の瞳を持つ青年は、目まぐるしく動く戦いの中で女強化兵を圧倒する。
その後に仮面を割られ、素顔を晒したダージリンの姿が見えた。
「攻防はわずかじゃったが、パワーもスピードも反応速度も、二人を上回っておる……いったい何者じゃ?」
「……特務執行官」
「なんじゃと?」
「奴はCKOの秘匿機関オリンポスが有する人型生体兵器の一人……特務執行官【アポロン】ですよ」
いまいましげに、ダイゴはつぶやく。
二人の強化兵の連携攻撃を切り抜ける様子を眺めるその目には、憎悪の光が浮かんでいた。
その言葉を聞いたガイモンは、対照的に子供のような輝きを瞳に宿す。
「そうか。あれが例の化け物に対抗するために生まれた兵器か……素晴らしい。ぜひ、その力を解析したいものよ」
感嘆したような老人の声には、どこか狂気めいたものが感じられる。
自身の頭脳に自信はあるものの、その上をいく叡智や技術には憧憬と同時に探究心が湧く。それは確かに純粋な科学者の姿ではあった。
高揚する彼を、ダイゴは嘆息して見つめる。
「博士の探究心は認めますが……今は自重して頂きましょう」
いつになく厳しい口調に転じた男は、ガイモンに詰め寄るように続けた。
「奴があの場に現れたということは、オリンポスが今回の襲撃に対して指令を下したと見るべきです。このままでは想定外の邪魔が入る恐れがある……」
「ふむ……では、計画を実行に移すというのか?」
彼の言わんとするところを察し、老人はわずかに目を見開く。
そんな彼を横目に、ダイゴは低い唸りを上げている金属製の培養槽へと目を移した。
「少し早いですが、支障はないはずです……あの二人が戻ってくる前に、お膳立てを整えましょう。博士は、彼の覚醒の準備をお願いします」
「ダイゴ=オザキよ……今更じゃが、わかっておるじゃろうな? それがどういう意味を持つのか……」
同様に培養槽を見つめながら、ガイモンは問い返す。
「確かにこれはイレギュラーな素体じゃ。それでも本来の人格継承と同様の弊害が起こる可能性はあるのじゃぞ?」
「わかっておりますとも……わかっているからこそ、お願いしたのです。そしてこれが私にとっても、あなた方にとっても最善の策なのですよ」
老人を一瞥して笑みを浮かべたダイゴは、そのまま踵を返す。
意味深に放たれたその言葉の中に、どのような感情が潜んでいるのかは窺い知れない。
甲高い靴音と共にスライドドアをくぐる男を、老人は訝しげに見送った。
(まさかこうも早く、特務執行官が出張ってくるとはな。思った以上にオリンポスも我々を警戒していたと見える……セレストで調子に乗り過ぎたか)
青い光の灯る通路に出たダイゴは、わずかに嘆息した。
SSSでの信用を確立するために行ったセレストでの作戦は大きな成果を上げたものの、同時に敵の警戒心を煽る結果となってしまったようだ。
(まぁいい。今の私にとって、それは大きな問題ではない。だが……)
先の映像を思い返し、彼は思う。
偶然か必然か、特務執行官の中で最も強い因縁を持つ相手が、再びここで立ちはだかったという現実を。
(ソルド=レイフォース……奴との決着だけは、つけねばなるまい……)
その瞳に混沌の下僕の証たる紅い輝きを浮かべ、ダイゴは密かに拳を握り締めた。




