(6)その少女の心の内は
「失敗しただと?」
男は眉間にわずかなシワを寄せて、その報告を聞いていた。
『はっ。思わぬ邪魔が入りまして……』
スクリーンの向こうにいるオールバックの男は、聞き取りづらい声で言葉を返す。
直接顔を合わせているわけでないものの、明らかに萎縮した様子だ。
紫煙を吐き出しながら、男は無造作に机上に足を投げ出した。
「言い訳は聞かん。手段は任せると言ったはずだ。にも関わらず、第三者の介入で容易く失敗するなどあっていいと思うのか?」
『申し訳ありません。しかし……その男、ただ者ではなく……』
「言い訳は聞かんと言ったはずだ。今一度チャンスをやる……今度はしくじるな」
『はっ……』
オールバックはまだなにかを言いたげだったが、弁解の余地がないことは自覚しているのだろう。
画面に向かって頭を下げ、通信を切った。
わずかに闇が立ち込めた部屋の中で、男は再び大きく煙を吐く。
「ただ者ではないか……」
つぶやきながら、彼はスクリーン上に浮かぶフォルダをタッチした。
オールバックより送られてきていた画像ファイルである。
展開すると、複数の男たちが一人の青年を取り囲んでいる光景が表れる。
恐らくは口封じでもするつもりなのだろう。
しかし、野卑な笑いを浮かべる男たちを見ながら、中央にいる青年は怖れる様子もない。
やがて、一人の男が襲いかかったと思った瞬間、その男が逆に数メートルほど吹き飛ばされた。
「なるほどな。この力……普通の人間ではあり得ないか……」
渾身の力を込めた攻撃なら、大の男が弾け飛ぶことは納得はできる。
だが、青年は明らかに手を抜いたと思われる裏拳のみで、男を吹き飛ばしたのだ。
続けて襲いかかってくる男たちを、彼は素早い動きで捌き、薙ぎ倒していく。
目にも留まらないとはこのことだろう。
その俊敏さや躍動感、柔軟性は機械によって生み出されるものではない。
すなわちアンドロイドやサイボーグの類ではないということだ。
「この動き……恐らくは生体兵器の類か。どこの企業のものかはわからんが、興味深い存在だな」
青年――ソルドの姿を見ながら、男は密かに歪んだ笑みを浮かべていた。
喧騒に包まれた空間で、ソルドは微妙に居心地の悪さを味わっていた。
窓の外には闇が訪れている。
しかし、街を照らす数々の光は、今が夜であることを感じさせないほどだ。
行き交う人々は思い思いにおしゃべりを交わしながら、右に左にと交差していく。
そして室内にもまた、数多くの人が溢れている。
肉の焼ける匂いや香草の香りが立ち込め、店員たちの声が入り乱れて飛んでいた。
「……ねぇ、ホントにそんなんでいいの? 別に遠慮することはなかったんだけど?」
対面に座りながら、ミュスカは彼に問いかける。
彼女の前にはかなり大きなチョコレートパフェが置かれている。
対するソルドの目の前に置かれているのは、ティーカップに入った緑色の液体だ。
湯気をたてて香ってくるのは、香ばしい緑茶の香りである。
「ああ、構わん」
不思議そうな少女をちらりと見やりながら、彼は淡々と返答した。
そのままカップに口をつけて、茶を喉に運ぶ。
一瞬、彼の眉が不快そうに歪んだのは、それがお世辞にもおいしいと言えなかったためか。
幸いにもミュスカが、それに気付いた様子はない。
「まぁ、アンタがいいって言うなら、いいんだけどさ……なんかオッサン臭いなぁと思って」
あっけらかんとした口調で、彼女は率直な意見を口にする。
生命を助けられたお礼ということでやってきたディナーカフェだが、ソルドの好みは関係なく、自分が来たかっただけなのかもしれない。
その証拠にパフェを頬張る姿が嬉しそうな上、食べ方が手慣れている。
もっとも、ソルドの好みを満たす店となると明らかにミュスカの嗜好には合わないだろう。
彼にとっても長居をする場所ではなかったから、特に居心地の良さを求める必要はなかった。
「で、君自身、あの男たちに狙われた理由に心当たりはないのか?」
「え? うん……まぁ、ないかな。でも、ほら! あたしって可愛いから! 狙いたくなる男って多いんじゃない?」
「あまり茶化すな。真面目な話だ」
「だって、知らないもんは知らないんだもん」
神妙な表情で彼は問いかけるが、ミュスカは変わらぬ口調で答えるだけだ。
ただ、一瞬だけ考えるような仕草を見せたのが、気になった点である。
しかし、詮索するより早く、今度は彼女からソルドに語りかけてきた。
「それより、あたしはアンタのことが聞きたいんだけどなぁ。この辺じゃあまり見かけない格好だよね?」
「む……」
「でも、旅行者にしちゃずいぶん軽装だし、その頭もずいぶんド派手。それって地毛なの?」
「別に作り物ではないが……」
「へ~、そういうカラーって、どこの流行りなのかな?」
「むぅ……」
ミュスカのペースに巻き込まれて返答している自分に、思わずため息をつく。
最初に会った時から会話にせよ行動にせよ、一連のアドバンテージは目の前の少女に握られっぱなしである。
これでは正直埒が明かない。
ソルドは改めて厳しい表情を作った。
「ともかく、私のことはどうでもよかろう」
「ん~ん、全然そんなことないし! で、アンタって……あ?」
そんな雰囲気を感じ取ったのか、ミュスカが再び話を戻そうとした時、彼女のカバンの中から携帯の着信音が流れてきた。
曲が途切れずに流れ続けていることから、メールではなく電話であることは明らかだ。
「……出なくていいのか?」
「別にいいの。出たところで仕方ないから」
「仕方がない?」
「そ、薄情な兄貴からの電話だし」
「お兄さんだと? ならばなおのこと、出なくてはいかんだろう」
思わずソルドの表情が気色ばんだ。
家族からの連絡をまるで無視するという少女の姿に、驚きを隠せない様子だ。
しかし、それは彼女に限ったことでなく、日常どこにでも見られる光景である。
遺伝子操作、人工受胎、クローニングという生体産業の盛んな時代で、父母の存在すら知らぬまま施設で生まれ育つ人間たちは少なくない。
家族の繋がりに価値を見出す人間が、今どれほどいるのだろう。
ミュスカの態度に同意を示す者は、多くもないが少なくもないはずである。
それをよくわかっているのか、ソルドの反応に少女は訝しさを隠せない様子だった。
「……別にいいって言ってるじゃん。どうせ今日もまた帰らないとか、そんな話なんだから。毎日毎日ウザいんだよね」
「決め付けてはいかんな。もしかしたら君を心配してのことかもしれんし、なにか急な用事かもしれん」
「そんなこと、あるわけないじゃん」
「しかし、無視して良い理由にはなるまい」
ソルドの口調は一貫して厳しい。
その瞳には、彼が普段カオスレイダーに見せるものとは違う意味での鋭い輝きがあった。
お世辞にも好意的とは呼べぬ眼差しに、ミュスカも少し表情を硬くする。
「詳しい事情は知らんが、仮にも血の繋がった家族だろう? うざったく感じられても、それは君のことを思うがゆえだ。打算なしに信じられる……それが家族の絆というものではな……」
「ああ、もういいったらいいの!! 説教じみたこと言わないでよね!!」
諭すようなソルドの言葉を制し、少女は不機嫌そうにテーブルを叩いた。
パフェのスプーンが卓上から落ち、カラランという甲高い音をたてる。
その剣幕に驚いたのか、周囲の客たちも会話をやめて二人に視線を向ける。
刹那の静寂が、辺りを包んだ。
「……なんかしらけちゃった。一応、これでお礼はしたから……あたし、もう帰るね」
「待て。まだ話は……」
ばつが悪くなったのかミュスカは立ち上がると、無造作にカバンを掴んで席を立った。
そのまま後追いで立ち上がったソルドを残し、衆目から逃れるように駆け出していく。
ただ一瞬、彼を一瞥した瞳にわずかな愁いが覗いたように見えたのは、気のせいだったろうか?
再びざわめきを取り戻した店内で意味もなく立ち尽くしながら、ソルドは小さくため息をついた。
(ふむ……どうやら怒らせてしまったか。どうも、ああいう娘は扱いに困る)
周りの人間たちは別れ話だなんだのと、無責任なことを言っている。
しかし、彼にとっての気がかりは周囲の反応ではなく、ましてミュスカの機嫌を損ねたことでもなかった。
(しかし、結局狙われた理由はわからずじまいだったか。任務を優先しなければならんのは事実だが……放っておくわけにもいかんな。少し調べてみるとしよう……)
残った茶を一気に飲み干すと、彼は悠然と席をあとにした。




