(5)澱む危機感
新たな指令を受け、アートサテライト・レジデンスのベータへと降り立ったソルドは、人気のない木陰で通信回線を開いていた。
ただ、その相手は司令のライザスでもなければ、電脳人格の【ラケシス】でもない。
淡い光の渦の中に浮かび上がっているのは、金髪碧眼の青年の姿である。
「殺された?」
『ああ。リンゲル=ライオットがすでに故人なのは事実だが、実はその死因がはっきりしてないのさ』
ソルドの言葉を受け、青年――特務執行官【ヘルメス】ことシュメイスは、わずかに嘆息する。
『表向きは事故死となっているが、実際にリンゲルの死亡現場を見た者はいない。死体に関しても司法解剖を受けることなく火葬され、証拠としてはなにも残っていない……』
なにかのデータを参照するように視線を動かしていた彼は、そこで改めてソルドに視線を戻す。
『その後、イーゲルがすぐに代表取締役として就任し、今のSSSへ発展するんだが……その承継があまりにスムーズだったため、イーゲルがリンゲルを亡き者にしたのではないか、なんて憶測が飛んでるのさ』
「しかし、イーゲルが実子なら承継は当然のことではないのか? 当時のSSSはそこまで大きな会社ではなかったのだろう?」
『いや、そうでもない。リンゲルは成果主義者だったようだ。血縁だからといって、すんなり会社を継がせる気はなかったろうし、事実、次期代表の候補は何名かいたようだ。金銭面での問題もある程度は解決できる状況にあったらしい……』
様々な手間やコストを考えると、親族承継以外の選択肢はあまり現実的ではなかったと言える。
しかし、イーゲルが継いだことで会社の業績は大きく上がることとなった。それを考えると、リンゲルという人物の慧眼もそこまで優れていたわけではないようだ。
SSSという会社としては、良い結果に終わったんじゃないかと締める金髪の青年に、ソルドは憮然と言い返す。
「だからといって、実の息子が父親を手にかけるなどあり得るのか?」
『そう驚く話でもないさ……裏社会絡みでは、ごく普通にあることだ』
それに対し、シュメイスは平然と言い放つ。
生前から人の闇をこれでもかと見てきた彼にとっては、特に珍しいことでもないのだろう。
それを正常な考え方と思うかどうかは、人それぞれだ。
『ま、それは余談なんだがな。で、お前の言っていたガイモンとの繋がりについてだが、やはり裏で資金供与が行われていた。モイパ地区にあった研究所の口座に、定期的に金が振り込まれていたようだ』
「そうか……」
『高額の金が動いていたことから、リンゲルがガイモンの研究に相当な期待を抱いていたことは間違いない……となれば、CKOによる襲撃作戦を看過していたとは考えにくいな』
「ならば、やはりガイモンはリンゲルの下へ逃げ込んだと見るべきか?」
『確証はないが、可能性は高い。そしてそれを裏付けるような話を、さっき司令から聞いた』
「司令から?」
そこでわずかにソルドの顔が、緊張を帯びた。
ルナルの正体に関する調査はプライベートの話だけに、彼も後ろめたさを隠せないようだ。
シュメイスは、声のトーンを落としつつ言葉を続ける。
『……ここ最近起こってる、政府要人襲撃事件は知ってるだろ?』
「ああ……」
『その犯人が、SPSを利用した新たな生体兵器だったということだ。しかもゾンビみたいな奴じゃない。自我を持ち、自らの意思で力を振るうことができる奴だ』
「なんだと? バカな!?」
『司令はSSSの関与があるんじゃないかと疑ってる。で、俺に調査命令が下されたのさ』
自身の行動を知った上でライザスが関与してきたわけでないことに安堵しつつも、ソルドは別の意味で驚愕の叫びを上げていた。
その意味を知るシュメイスも、表情を厳しくする。
『お前も知ってるようにSPSは人間の自我を破壊し、ゾンビのような化け物にしてしまう。その特性を覆すほどの生体兵器を、いったい誰が作り上げたのか……相当な頭脳を持った人間でなければ不可能なはずだろ?』
「そうか! ガイモンが生きてSSSに身を寄せているなら、その説明がつくと言いたいんだな?」
『そういうことだ』
どこか諭すような言葉の先をソルドが継ぐと、金髪の青年はわずかに頷いた。
『ま、これもあくまで推測だけどな。もっと確たる証拠を掴みたいところだが、新たな指令の件もある。お前との連絡も、そう取れなくなるかもな……』
「それは仕方ないだろう。だが、もし有力な情報が見つかったら教えてくれ」
『ああ、わかった。じゃあな』
あくまで任務遂行に支障がないレベルで情報収集をしてもらっているだけに、ソルドも強く懇願することはしなかった。
むしろ、ここまで動いてもらっていることには感謝の念しかない。
(これでSSSにガイモンがいるという可能性は高まったが……新たな生体兵器か。厄介なことにならなければいいが……)
ただ、シュメイスのもたらした新たな情報に、彼はどこか危機感を抱かずにはいられなかった。
ベージュの壁面に、寒色の光が投げかけられている。
面積としてはさほどに広くないオフィスには、数卓の机が相向かいにくっついて列をなしている。
SSSが名目上借りているその場所に、フェリア=エーディルは姿を見せた。
思い思いにパソコンとにらめっこしている何名かの社員たちを横目に、彼女は少し離れた自分の机に向かう。
整然と片付けられた机上に愛用のタブレットを置き、大きく一息をつく。その顔はやつれているとは言わないまでも、疲労の色を感じさせるものであった。
そんな彼女の背後から、いきなり飛び付いてくる影がある。
「フェ・リ・ア・さ~ん!」
「……きゃっ! ちょ、ちょっと、アンジェ! なにするの?」
抱き着いてきたのは、小柄な女性である。
ただ、見た目はかなり幼く、ビジネススーツを着ていなければ子供に間違えられても仕方のない容姿をしていた。
ふわふわの茶髪を持ち、アンジェと呼ばれたその女性は、やや膨れたような顔でフェリアを見上げる。
「なにするのもないですよ~。最近、冷たいじゃないですか。わたしを放って代表とばっかりイチャイチャしてぇ……」
そんな少女のような女性を見やりながら、フェリアは苦笑気味に答える。
「仕方ないでしょ。私は代表の秘書なんだから……」
「ふ~ん。そうですか……さてはフェリアさん、もうわたしに飽きちゃったんですね? わたしのことなんか、ただの遊びだったんですねっ!?」
「ちょ、ちょっと、誤解を招くようなことを言わないの! そんなわけないでしょ!」
「じゃあ、たまには一緒にお茶とかしましょうよぉ~。今日はもう業務終了でしょ?」
からかうようなアンジェの言動に少しあたふたした様子を見せつつも、彼女は真摯な口調で続ける。
「残念だけど、そういうわけにもいかないの……今は最も警戒しなきゃならない時だから……」
「でも、裏の業務も順調じゃないですか~。それともまだ、あのダイゴ=オザキって人のことを疑ってるんですか?」
「しっ! アンジェ、ここでそれを言わないの!」
アンジェの口元をとっさに手で覆いながら、フェリアは油断のない様子で周囲を見回す。
とりあえず今の会話は、他の社員たちに聞かれた様子はないようだ。
咎めるように視線を鋭くした彼女は、目線を合わせて囁く。
「……確かにあの人に助けられたのは事実だけど、得体の知れないところは変わらないわ。受けた恩義と信頼するかどうかとは、また別の問題よ」
「相変わらず抜け目ないですねぇ……ま、そんなところを代表は信頼してるんでしょうけど」
「とにかく、そういうことだから……また落ち着いたら、埋め合わせはするからね?」
「はいはい。わかりましたよ~だ」
再度頬を膨らませたアンジェは、ぷいっと顔を背ける。
そんな彼女にもう一度ごめんねと返しながら、フェリアは机の中に入っていた私物を取り出し、慌ただしくオフィスを出て言った。
遠ざかる赤毛の女性をそれとなく視線で追ったアンジェだが、やがてつぶやくように一言を放つ。
「……ここ最近は、明らかに過密スケジュール。イーゲルもほとんど姿を見せないし……もう少し探りを入れる必要がありますね……」
その鳶色の瞳には先ほどまであった無邪気さの代わりに、冷徹にも見える光が覗いていた――。




